あの孫正義さんの弟で、ガンホーの創業者として有名な孫泰蔵さん、あまり知られていない泰蔵さんの経歴には兄・正義さんとのエピソード満載でした。
- 孫家の最終兵器、孫泰蔵の経歴
- 奥さんは「恋のから騒ぎ」出身
- Yahoo!JAPANを立上げたのは孫正義の弟だった!
- パズドラが出来るまでの道のり
6分ほどの内容となります、ぜひ最後までお付き合いください。
孫泰蔵の経歴

1972年9月29日、佐賀県鳥栖市の出身で、4人兄弟の末っ子。
孫泰蔵さんと正義さんは15歳差、3男とでさえ7歳差あります。
兄と同様に父の三憲さんに褒められて育てられます。

天才泰蔵、金の泰蔵
中学生になると九州の名門校・中高一貫の久留米大学附設中学校・高等学校に入学します。
クラスの人気者で、生徒会長を務めていたそうです。
高校の同級生は豪華でホリエモン、後に孫さんの右腕となる三木雄信さん、衆議院議員の古賀篤さんがいました。
兄の孫正義さんも久留米大学附設高等学校でしたが、一大決心し、退学してアメリカへ留学しています。
その後、2浪して東大の経済学部に入学。
4年生になった1996年、ソフトバンクが請け負ったYahoo!JAPANの立上げに関わります。
これが、キッカケで学生仲間と「インディゴ株式会社」を設立、起業家としての活動がスタートします。
1998年に「ガンホー・オンライン・エンターテイメント株式会社」の前身となる会社を創業。
2002年に現在の社名に変更、ラグナロクオンラインの日本国内運営により躍進し、2005年3月9日にジャスダック(当時・大証ヘラクレス)に上場しました。
2012年2月にリリースした「パズル&ドラゴンズ」が大ヒット、孫泰蔵の名はガンホーの創業者として世に広く知られることになります。
現在は、主にスタートアップ支援の活動をしています。
奥さんは「恋のから騒ぎ」出身!

奥様は明石家さんまさん司会の「恋のから騒ぎ」で有名になった「遠山せいあ」さんです。
1期生で番組では「男は金!」と公言するキャラで活躍していました。
現在は、せいあ リー(seia Lee)という名で声楽家として活動されています。
父親・孫三憲さんのほめ殺し教育

兄の孫正義さんと共に起業家として成功を収めている孫泰蔵さん。
4人兄弟から2人も大企業家が出ていることは、孫家の教育と無関係ではないでしょう。
特に父親の三憲さんの影響が大きいようでお二人の著書やインタビューでもよく出てきます。
三憲さんの教育方針は一言でいえば「褒める教育」
絵が好きだった泰藏さんの水彩画を額に入れ、食卓の見えるところに数十枚も飾り「ピカソよりうまい!大胆さ、細やかさ、深さ、どれをとっても天才だ!」とほめちぎっていたそうです。
後年、そのことが話題となった時には三憲さんは次のように話しています。

俺は今でも、泰蔵は絵描きになれたと思っとるよ。信じなきゃ貼らんもんね。泰蔵は世界一と俺は心から信じていたよ。信じていなければ、褒める教育は続かん。
実際、成人した後も「天才正義!」「天才泰蔵!」と言い続けているそうです。
その他「考えさせる教育」など、独特な方法で2人の成功者を出しています。
これらの教育法は「現代の魔法使い」と呼ばれる天才・落合陽一さんを育てた教育と非常に似ています。
「天才の育て方」は存在するようです。
兄・孫正義の教え
父だけでなく、偉大な兄からも大きな影響を受けています。
実は泰蔵さんは、2度東大受験に失敗しているのですが、3年目で合格できたのは、兄・孫正義の指導があったからでした。
孫正義さんの教えはスパルタで、卒業後、孫泰蔵さんがインディゴを立上げた時も「お前のためにならない」と1円も出資しなかったそうです。
Yahoo!JAPANを立上げたのは孫正義の弟だった!
泰蔵さんが大学4年生の時、大きな転機が訪れます。
時は、就職超氷河期、やることも決まらず悶々としているところに正義さんから食事の誘いがあります。

お前もう4年か。どうするの。ソフトバンクに入れんよ

絶対入らんよ
父親が親戚ともめているのを見て育った孫正義さんは、親族経営はしないと誓っているのでした。
そんな会話をしているときに、Yahoo立上げのためのエンジニアが足りないとの話になりました。
創業者のジェリー・ヤンに会ってみたい孫泰三さんは東大の学生や知り合いでメンバーを100人集められると大風呂敷を広げます。
「それなら、まず5人だけ連れてきて」
Yahooの日本版の立ち上げプロジェクトの会議に参画することになりました。
ソフトバンクのYahooへの投資

このアメリカで生まれて間もないYahooへの投資は、アリババと並ぶ孫正義の大ヒット投資となります。
1995年、アメリカ人事業家から「もっとも面白いベンチャー」とYahooの噂を聞きつけた孫正義は、創業者のジェリー・ヤンに会いに行きます。
当時は立ち上げて半年くらい、オフィスには15人程度しかいないようなところでしたが、Yahooのコンセプトとシステムにほれ込んだ正義は投資を申し出ます。

君たちのビジネスはこれから伸びるから200億くらい投資したい

そ、そんなにいらないよ!
まだyahooの売り上げが1億とか2億の時代の話です...
そんな調子で投資の話はトントン拍子で進み、その流れで日本法人であるYahoo!JAPANの立上げをソフトバンクが請け負うことになったのです。
Yahoo!Japan立ち上げまでの困難
一回目のミーティングのため初めて見るソフトバンク本社の応接室で待っているとサンダルにジーンズ姿の若者がいました。
それがジェリー・ヤンさんでした。
年齢は孫泰蔵さんと同年代(3つ上)ですが、「Yahoo!ワールドツアー」と銘打って世界中にYahooを広めて回っているのです。
日本で立ち上げた後は、韓国、そのあとオーストラリアで立ち上げる計画となっています。
刺激を受けた、泰蔵さんは2週間で検索エンジンのプランを作成、導入の方式を提案します。
「オッそれいいね、よろしく!」
なんとこの学生の意見があっさり採用されてしまいます。
日本のWebページの登録と区分け作業を孫泰蔵学生チームが任されてしまったのです。
これが地獄の日々の始まりでした。
孫正義が決めた立上げまでの期間はたった2ヵ月後の1996年4月、ジェリー・ヤンさんさえ「無理だよ」と言っています。
さらに、当時の登録数最大のサーチエンジンが4000件のところをYahoo!Japanは3万件にして、情報量日本一を目指すというのです。

こなったら、やるしかない
まずは、数少ない武器の一つ、浪人時代に教わった孫正義直伝の計画立案のノウハウをフル活用します。
100人ほどのバイトを雇い、4チームに分けて24時間体制でWEBページの登録作業を行う作業計画を立案。
ただ、バイトは4チームでも孫泰蔵さんなどの管理者は人手不足のままで、毎日作業場の寝袋で3時間睡眠の過酷な日々が続きました。
ボロボロになりながら、作業が何とか終わったのはオープン前日の3月31日。
4月1日のオープンを見届けると、孫泰蔵さんはそのまま倒れ病院に搬送されました。
起業時の苦労
このYahooの作業をするために仲間と立ち上げたのが最初の会社「インディゴ」です。
最初は8畳一間、秋葉原で買ってきたパソコン数台と学生ばかり8人でのスタートとなりました。
立ち上げ段階では「社会勉強だ」と兄の孫正義さんも父の三憲さんも1円も出資してくれません。
ただ、会社を作るためにはどうしても300万必要。
そこで父の知り合いの社長に300万円を貸してくれるように頼みに行くことに。
そこで泰蔵さんは大風呂敷を広げます。
「お金を貸していただければ、社長さんにはノーリスクで3つの得があります。」

????、説明して
ノーリスクの理由は、300万を貸していただいたら、会社をつくりますが、300万を入れた口座の口座のハンコと通帳は社長さんにお渡しします。
使い込めないのでなくなる心配はありません。

なるほど
1つ目の得は5パーセント、15万円の金利をつけます。
2つ目の得は将来ホームページが必要となった時に数十万かかるところを無償で作ります。
次に3つめ、ちょっと勢いが止まり孫泰蔵さんはおずおずと話します。

それはですね‥‥あの、私とか、一緒にやる仲間が、一生感謝します!
沈黙。
「失敗したか...」
泰蔵さんがそう思っていると社長が話し始めます。

親父さんとは昔から付き合いがあるけど孫家は面白いねえ。
気に入ってもらい、なんと300万どころか「株式会社にしたほうが箔がつく」と1000万円貸してもらえることになったのです。
もちろん金利はしっかり5%の50万円に増額されました。
実はこの3つのメリットを示す方法、父と兄に教わった孫家秘伝の交渉術でした。
こうして「インディゴ」を立上げ、前述のとおりYahooの仕事をヘロヘロになりながら何とか完了します。
YahooでWebページを見まくった経験から、Java applet集に需要があると思いつき、日本初の『Java ROM』を作成し、これがヒット。
パッケージの制作や販売は、ソフトバンクに依頼するなどYahooで得た縁も活用し、順調なスタートをきったのでした。
ちなみにビジネスにのめり込んでいった泰蔵さんは、4年生を3回経験しています。
パズドラが出来るまでの道のり

1998年、アメリカの大手オークションサイト・OnSaleとソフトバンクの合弁企業、オンセール株式会社の初代社長に就任します。
ネットオークション事業は、ヤフオク!などの大手が強く、パッとしませんでした。
ここで2001年、ITバブルが崩壊。
兄の孫正義さんをはじめ、ITベンチャー企業は軒並み危機に陥ります。
泰蔵さんのオンセールも例外ではありませんでした、業績は落ち込み追い詰められます。
ところが孫家の遺伝子は特殊です。
ピンチの時ほど燃え上がり、勝負に出ます。
2002年8月、社名が現在の「ガンホー・オンライン・エンターテイメント」に変更。
オークションに見切りをつけ、オンラインゲーム事業に舵を切ります。
韓国のゲーム会社より「ラグナロクオンライン」の国内運営権を取得したところ、これが大ヒット、会社も急成長します。
この後「ラグナロクオンライン」は長い間、同社の主力となります(依存度が99%以上!)
2005年3月9日にはジャスダック(当時:大証ヘラクレス市場)に上場、公募価格の1株120万円に対し、一時期は1株2000万円弱まで高騰し話題となります。
そして2012年、ついにあのゲームが出ます。

「パズル&ドラゴンズ」
これがメガヒット。社会現象にもなります。
モバイル部門の売り上げがPC部門を上回るほどに成長。
- 「ラグナロクオンライン」依存からの脱却
- 2012年1-12月の売上高が前年の2.7倍、営業利益は7.9倍
- モバイルゲーム部門の売り上げがPCオンラインゲーム部門を上回る
2012年から2013年にかけて株価が急上昇、時価総額が一時、1兆円を突破。
孫正義の弟との話題性もあり、孫泰蔵さんの名も世に知れ渡ります。
「スマートフォンにおけるゲームを、GreeやMobage(DeNA)が提供するブラウザプラットフォームからネイティブアプリに移行させる原動力となった」
ともいわれています。
活躍が、兄の孫正義に認められたということでしょうか。
2013年5月7日、ガンホーはソフトバンクに買収され、連結子会社となります。
その後、2016年8月に公開買い付けにより売却。
ソフトバンクはしっかり利益を得ています。
スタートアップ支援家としての顔

「俺は一体、何を成すべき人間なのか」
不惑(40歳)目前にして、多忙な業務の中で孫泰蔵さんは迷っていました。
売上向上や利益を出すとの価値観の他に自分にはやることがあるのではないか。
孫正義の価値観とは違ったものを目指したい。
そこで2年かけて出した答えが、若い時より携わってきた「スタートアップ支援」。
2009年、本格的なスタートアップ支援を開始するために、MOVIDA JAPAN株式会社を設立。
「自分の経験を若き起業家に伝える。そして2030年までに東アジアにシリコンバレーを超えるベンチャーの生態系を作る」
そんな目標を掲げ、後進のサポートする場所を提供する活動を続けています。
今でも成功者として紹介される孫泰蔵さんですが、「孫家の最終兵器」の活躍はこれからなのかもしれません。