本記事は、ポンド危機でのイングランド銀行とジョージソロスの攻防をまとめました。
息詰まるぎりぎりの攻防戦の中、イングランドのラモント蔵相が致命的ミスを犯しています。
語り継がれる歴史的名場面です。5分ほどおつきあいください。
ポンド危機の背景
1992年初秋、ジョージ・ソロスと右腕のドラッケンミラーは、ポンドに注目します。
当時のイギリスは、ERM(欧州為替相場メカニズム)に参加しており、ポンドは、マルクに対して一定の幅でリンクされていました。
協調して為替の変動を抑えるしくみ。決められた中心相場に対して、±2.25%(一部の国は±6%)の範囲に各国の為替変動を抑えるというもの。相場変動の恐れがある場合には、各国金融当局が金利を上げる、介入するなどを行う。
ただ当時の両国の国内事情は逼迫していました。
ドイツの状況
東ドイツとの統一のため、巨額の予算が必要であり、インフレ懸念から高金利政策をとっていました。国内事情を優先する必要から弱い通貨を持つ英国やイタリアのために、協調利下げをする余裕はない。
イギリスの状況
不況で苦しんでおり、高金利を維持しているのは無理がある。
ソロスとドラッケンミラーの見解
調査の結果、確信を得たドラッケンミラーは、ソロスに相談します。
チャンスです。
ファンドの全運用資産70億ドルを売りに賭けるべきだと思います。
説明を聞くと、ソロスは苦痛に歪んだ表情をしました。ドッケンミラーが計画を取り下げようとするとソロスは言いました。
それは、これまで私が耳にした中で最も無茶な投資だな。
私たちは、この取引に資産の100%でなく、200%を賭けるべきだ!
ジョージ・ソロスとドラッケンミラーの意見は一致します。
イギリスは景気が悪いのに、やせ我慢して高金利を維持し、対独マルク相場を一定の範囲に収め続けることは無理だ。
空売りを仕掛ければ、ERMは崩壊し、ボンドは一気に下落するはずだ。
動き出した「ポンド売り」作戦
ソロス達は、空売りのために資金を調達します。一気に集めたのでは市場で目立ち手の内が読まれてしまうので、世界中の100もの銀行から小口に分けて借り集めました。
準備万端、空前の為替投機は、1992年8月頃に始まり、9月10日頃から本格化します。
英ポンドの状態は明らかに異常だ。
間違った市場は正されるべきだな。
ソロスは、100億ドル(当時のレートで1兆2000億円)のポンドを空売りして、60億ドルのマルクを買います。
その他、英国株を購入、ドイツの債券を購入し、ドイツ株を空売りなどを仕込みます。
ジョージソロスとイングランド銀行の壮絶な戦いが始まります。
イングランド銀行の抵抗
英ポンドの売り浴びせに対して、イングランド銀行は、英ポンドの買支えを必死に行います。
イギリスのメージャー首相やラモント蔵相は「金利や為替レートの引き下げはしない」と1992年の夏以降、繰り返し発言。
100億ポンド使ってもヘッジファンドと戦う
そして、実際、英ポンド買い・独マルク売りの為替介入を行ってポンド相場を支えていました。。
しかしソロスにその他の投機筋も加わり、英ポンド売りで攻撃をかけた結果、1992年9月15日(火)には、英ポンド/独マルクはERMが定める下限値よりわずかに高い水準まで下落してしまっていました。
勝利は目前だな...
ポンドの切り下げは時間の問題のように見えました。
しかし、 ラモント蔵相には秘策が残っていたのです。
ラモント蔵相の秘策
ヘッジファンドなどに英国政府が負けてたまるか!
ラモント蔵相は、投機筋を撃退する秘策を練ります。
そして1992年9月16日、攻防戦決着の日の朝を迎えます。
今日で決まりだろう。
ソロスは、勝利を確信していました。
ラモント蔵相は、切り札を出します。
金利を12%に上げます。
午前11時、公定歩合を10%→12%に引き上げたのです。
さらに、440億ポンド相当の外貨準備高から、150億ポンド(当時のレートで約3兆3900億円)を市場に投入して、英ポンドを買い支えました。
悪あがきを...
ソロスはとドッケンミラーは、ひるまず、さらに大量のポンドを売り浴びせます。 ポンドの下落は、止まりません。
それから、わずか3時間後・・・・・・・・
午後2時15分、公定歩合をなんと15%に引き上げます。
前代未聞の「1日2回目の利上げ」です。
関係者は、英国政府の不退転の決意に驚きます。
ついにポンドは、上がり始めます。
イングランド銀行の敗北
潮目が変わったかに思えましたが、直ぐにその勢いは衰えてしまいます。
そして、再び自然落下を開始します。
ドイツ連銀は、英国のために最後まで金利を引き下げませんでした。
ポッ、ポンドは切り下げる。英国は、ERMから離脱する。。。。
この日の夜、ラモント蔵相はERM離脱を発表。英政府は敗北したのでした。
公定歩合は10.00%に戻されました。
ソロスは、たった一晩の間に40億ドル稼いだといわれています。
一回の投機としては人類史上最大の儲けとなったのでした。
ソロスのトレードは1カ月ほどしてからマスコミで報じられることとなり、「イングランド銀行を破産させた男」として、一躍有名になります。
一方の英国政府は、為替介入で20~30億ポンドの損害を出したといわれています。
イギリス人は、この日の屈辱感を忘れられず、ブラック・ウェンズデーと名づけました。
ただ、ERM離脱後、金利を自由に下げられるようになり、ポンド安にもなった。
これが経済にプラスの影響を与え、皮肉にもイギリス経済は好転していったのでした。
そのため、1992年9月16日(水)をブラックウェンズデーではなく、ホワイトウェンズデーと呼ぶ人もいるようです。
最大の失敗
実はこの攻防でラモント蔵相は、イギリス敗北の一因とも言える大失敗を犯していました。
それは、「100億ポンド使ってもヘッジファンドと戦う」という発言でした。
大事な序盤、敵に懐事情を知られてしまい、きっかり100億ポンド売られてしまっていました。ラモント蔵相は敵に大切な情報を流してしまっていたのです。
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参考資料
本記事作成にあたり次のサイト・本を参考にさせていただきました。
◆書籍:
新マーケットの魔術師―米トップトレーダーたちが語る成功の秘密
ビッグミステイク レジェンド投資家の大失敗に学ぶ
- 本カテゴリの記事は基本的に主人公寄りで書いています。
- 極力資料に基づき記載していますが、会話の内容など一部脚色しています。
(おしまい)