みなさんは、「村上世彰」さんにどのような印象を持たれているでしょうか。
- 「もの言う株主」とか言って強気な発言をする、うるさい人
- 株で悪どく儲けたために、逮捕されて実刑判決を受けた人
- 最近は風貌が変わりお金の教育など「いい事」をしている?
こんなところではないでしょうか。
立派な理念もあるが、お金も儲けている。
どうやらこの方の行動には2面性があるようです。
本記事では、村上氏の光と影それぞれの部分について経歴を交えてご紹介していきたいと思います。
- もの言う株主・村上世彰氏の経歴
- 逮捕されたニッポン放送買収劇の真相
- 再度、公の場に出てきた理由(村上世彰の信念)
10分ほどの内容です、是非最後までお付き合いください。
もの言う株主・村上世彰氏の経歴

村上氏はメディアへの露出も多く、ハッキリ言うキャラクターで名言も多く残しております。
- 金儲け、悪い事ですか?
- 儲ける事が第一番だと思っています。
- 投資をして利益を出す自信がないなら、思い切って株主に返す。
- みんな、僕が金儲けしたから嫌いなんですよ。
- (インサーダー取引にあたる会話について)聞いちゃったかと言われれば・・・聞いちゃってるんですねぇ
これら発言は当時メディアで頻繁に報じられ、この印象を持たれている方が多いのではないでしょうか。
村上ファンド=村上世彰は、積極的に株主提案を行い、株主を軽んじる経営者に対して株主総会などで批判や叱責することなどから、「もの言う株主」として注目を集めていました。
このように言うと、何か顧問のように企業への指導だけが目的のように聞こえますが、もちろんその前にその企業の株を買っていて利益を出すのが目的です。
投資対象とした会社の株を購入した上で、企業価値の向上を指導し、売り抜けるのが基本戦略となります。
- 利益の上がる事業に専念させ株価向上
- 配当や自社株買いで株主還元
どのような経緯で村上氏がファンドを作ったのか、有名になる前の経歴から見ていきます。
村上世彰氏の経歴
1959年大阪、在日台湾人の父親と日本人の母親の次男として生まれます。
投資を始めたのはなんと小学校3年生。
父親の提案で小学3年生から大学生までのおこずかいとして100万を一括でもらったのです。
その資金で株式投資をし、おこずかいを稼いだのが投資家人生の始まりとなります。
父親も投資家で、大学時代から父親のカバン持ちなどをし「投資哲学はすべて父から学んだ」と語っています。
ある時「国家というものを勉強するために、ぜひ官僚になれ」と父にアドバイスアドバイスを受けます。
1983年、 東京大学法学部を卒業するとアドバイスに従い、通商産業省(現経済産業省)に入省しました。
昔から正論での強い口調でものを言うスタイルで、 通商産業省では口が災いして左遷さたりもしました、その行先は …………

通産省時代の16年の間に、多くの上場企業の役員に会い、会食の前には必ずその会社の有価証券報告書や決算短信などを詳細に読み込んで臨みました。
しかし、実際に会うと財務数値についてよくわかっていない経営者が多く、むしろ村上氏の方が詳しいくらいのあり様です。
「日本企業はこのままではグローバルな競争に負けてしまうのではないか」
危機感を持ち、日本でもコーポレート・ガバナンスの意識を高めることが日本経済全体の健全な発展のために必要だと強く感じました。
そして制度を作る側ではなく、プレーヤーとして日本を変えたいと考えました。
日本には制度を作っても実践するプレーヤーがいなかったのです。
こうして「もの言う株主」村上世彰が誕生しました。
村上ファンド設立
独立した村上氏は、M&Aコンサルティングを設立。
コンサルティング案件をこなしながらファンド設立のための資金集めに奔走しました。
官僚時代のコネクションを最大限にいかし、出資者を募ります。
軌道に乗って来ると出資者との会食が続き、一晩に17:00,19:00,21:00と3度入っている日も珍しくありませんでした。

そんな時は、「会食で食事をしないのは失礼にあたる」との思いから、一食終わるごとにトイレにいって吐いていました。
そうして38億円を集め、村上ファンドがスタートしました。
東急ホテル
最初のターゲットは、東急ホテル、時価総額が100億円ほどでしたが、保有する不動産だけで500億の価値がありました。
つまり、資産価値が活かされず驚くほどの安値で放置されていたのです。
村上ファンドが親会社の東急電鉄の保有率に近づくまで買い進めた結果、 東急ホテルは株式交換によって親会社の東急電鉄の株式となり、非上場となりました。
このように村上氏が関わった企業は結果として非上場になるケースが多く、村上氏は「これは市場の健全化において役立つ行為」だと誇っています。
昭栄
続いて、目をつけたのが「昭栄」です。
もともと生糸メーカーだったが、現在は不動産会社になっていました。
時価総額50億円程度だったが、資産が500億程度あります。
大株主のキヤノンの会長や富士銀行の役員に「公開買い付けをさせてください」と依頼。
返事がなかったのでOKと解釈し、当時の株価に2割のプレミアムを乗せたTOB(公開買い付け)をしかけました。
当然「昭栄」から反対の意見表明がでて、日本初の敵対的TOB案件となりました。
結局、大株主は売りに出さず、このTOBは失敗におわってしまいます。
しかし、「通産省の元役人が面白い事をしている」と村上氏の名は一気に有名になりました。
東京スタイルとのプロキシーファイト
東京スタイルは村上氏から見て、放漫経営を続けていました。
「株主と向き合わず」
「経営者が保身に走り」
「株主価値を鑑みない」
株主名簿提示を依頼したが拒否されたため、裁判所に訴えてようやく株主名簿を取得します。
名簿を確認し、外国人株主が40%であること、法人の株主としてイトーヨーカ堂名前があることがわかりました。
イトーヨーカ堂会長の伊藤氏と親しくしていたことから、東京スタイル社長の高野氏との面談をセッティングしてもらいます。
面談は実現し、村上氏は高野社長に対して東京スタイルはこうあるべきだと主張します。
「なぜお前ごときにそんなことを言われなきゃならないんだ?」
しかし、高野社長は全く聞く耳を持ちません。
村上氏は、プロキシーファイト(議決権争奪戦)を仕掛けることを決意します。
要求は次の2点でした。
- 1株当たり500円の配当
- 上限500億円分の自己株式取得
東京スタイル側は猛反対です。
だが40%の外国人投資家からは握手を求められるほどの歓迎を受けました。
村上ファンドは10%強を保有していたため、過半数を取れるめどがたった事になります。
村上氏は、会社側に2人の社外取締役の選任を提案、東京スタイルは拒否する代わりに妥協案を発表します。
- 配当UP(12.5円⇒20円)
- 123億円を上限とする自己株式取得
しかし村上氏はこの程度で手を緩めるつもりは全くありませんでした。
そんな時、イトーヨーカ堂の伊藤会長から連絡があります。

お前はやり過ぎだ。そんな無茶するな。高野社長も呼ぶから、一度会議をしよう
再び高野社長と面談することになったのでした。
周りからは「絶対に妥協するな」と言われ、お世話になっている伊藤会長の顔も立てなければいけない。
村上氏は暗い気持ちで面談に挑みます。

村上君、今回はこの伊藤に免じて降りてくれないか

しかしですね、東京スタイルは財務状況はおかしい。
全くコア事業に投資していません。
それに…….

そんな事はどうでもいい!俺の顔に泥を塗るつもりか!

そんなつもりは毛頭ありませんが、内部留保の説明は必要です

交渉は決裂し、結局プロキシーファイト(議決権争奪戦)となりました。
村上氏は順調に議決権を集めます。
・村上ファンド 10%強
・届いた委任状 20%強
午前に始まった総会は、遅れに遅れ、社外取締役の選任/増配などすべての採決が終わった時には夕方になっていました。
そして採決の結果は………….
なんとすべて村上ファンドの負け
信じられない思いで記者からの質問に答え、くやしくてたまらない気持でその場を立ち去るのでした。
数日後、負けた理由がようやく分かります。

40%ほどあった外国人株主比率が20%ほどに落ち込んでいました。
外国人投資家は、プロキシーファイトにより株価が高騰したので売却してしまっていたのです。
その後も村上ファンドは、買い増しするなどして食い下がります。
その中で裁判で高野社長の不正で有罪を勝ち取り、1億円を東京スタイルに支払わせるなど一定の成果は上げます。
しかし、、、、ついに勝利する事はありませんでした。
逮捕されたニッポン放送買収劇の真相
村上氏が次に目をつけたのがニッポン放送。
2003年5月ごろである。
ニッポン放送はフジサンケイグループによって運営され、そのフジサンケイグループはフジテレビが舵取りし、そのフジテレビの親会社がニッポン放送という、ちぐはぐな経営状態だったのです。
2003年7月15日、7.37%取得の大量保有報告書を提出。
この頃から、経営不在のニッポン放送や「ねじれ」を許したままのフジテレビの経営陣を挑発するような発言を繰り返します。
同時に株を買い増して、2004年4月20日の段階で11.47%となっていました。
ホリエモンと村上世彰

ホリエモンと村上氏は、あるパーティーで知り合い意気投合、それから「週に1度は食事したり電話したりしていろんな相談をする関係」となりました。
このホリエモンにニッポン放送株の購入を勧めます。
議論が具体化し、村上ファンドと堀江氏のライブドアはミーティングを重ねます。
そして、いつの間にか主役は「ライブドア」となり、世間を騒がせた買収騒動へと発展してきます。
この事件については、以下の記事で詳しく触れています。ホリエモン側の視点と合わせてみると事件の全貌が見えてきますので是非チェックしてみてください。
物言う株主・村上世彰の逮捕

2004年11月8日の村上ファンドとライブドアの第2回ミーティングでライブドアが買い出動するとの情報を得た村上氏。
2004年11月9日から2005年1月26日にかけて、ニッポン放送株約193万株を約99億円分買い増し、後の売却で30億の利益を得ています。
地検特捜部は、これをインサイダー取引に当たると認定しました。
さっちしたマスコミは、村上逮捕の可能性を報道。
危機を感じた村上氏はここで、大胆な先手を打ちます。
なんと逮捕前の身でありながら、2006年6月5日午前11時、記者会見を開くのです。
この時間設定は、新聞社が夕刊にぎりぎり間に合う時間だが、詳しく話を聞いて記事を深く練りこむ暇はない絶妙な時間設定です。
そして、「村上氏、インサイダー取引を認める」「プロとしてお詫びしたい」との見出しを書かせることに成功します。

聞いちゃったかと言われれば・・・聞いちゃってるんですねぇ
服装も好印象に見える水玉のネクタイ。

しかし実際は、容疑は何も認めていない。
この会見で潔いイメージを世間にもたせることに成功、さらに裁判で自分をインサイダー取引にすると経済社会、証券市場の多くとの取引がインサイダーになると全体に容疑を拡散する戦略にでます。
これにより、自分を有罪にすると多くの一般投資家やプロの投資家も同様になるとの印象づけることに成功。
そういった駆け引きにより、罪を認めることと引き換えに村上ファンドの他の社員の逮捕の連鎖を断ち切りました。
検察とぎりぎりの攻防・取引があったと噂されています。
村上氏の裁判戦略
裁判でも村上さんの戦略は当たります。
実は村上さんの容疑は2つありました。
1.インサイダー取引の適応
ライブドアのニッポン放送株購入を知った上での自己売買
2.証券取引法違反
「有価証券取引に関して不正の手段・計画、または技巧を行ってはならない」
1審では、このインサイダー取引で争い、認めたことにより実刑判決がでます。
もし、この一審でインサイダー取引を真っ向から否定すると検察は2の証券取引法違反に切り替える戦略に出る可能性がありました。
それは、村上氏が一番恐れていたシナリオでした。
そこで1審ではインサイダー取引に焦点を当てさせ、有罪判決がでて検察が容疑を切り替えを封じます。
そして、2審(控訴審)では、「インサーダー取引などなっかった」との戦で徹底抗戦、結果1審の判決にプラスして執行猶予をつける事に成功します。
ホリエモンの裁判と違い、実に巧妙に場を操り、審議を有利に進めたのでした。
結局、2009年2月3日、東京高裁は罰金300万円と追徴金約11億4900万円、懲役2年・執行猶予3年を言い渡します。
村上氏はインサイダー取引をしたのか
2004年11月8日のライブドアと村上ファンドの2回目のミーティングで得た情報がインサイダーに当たるのかが焦点です。
この事件について、ライブドアの宮内氏は著書で判決に否定的な見解を示しています。
- 「2004年11月8日の時点では、ライブドアの資金準備もできておらず、この時点でインサーダーが成立するかと言うと分からない。」
- 村上にとっては、「買収を聞いてしまった」というより、鴨が話に乗ってきたという感覚だったのではないだろうか。
宮内氏は、ニッポン放送買収で村上氏に裏切られています。
恨んでいる事はあっても好意的だと言う事はありえません。
その宮内氏が「違うだろう」というのです。
やはり、ホリエモン同様、この逮捕も国策捜査との意味合いが強かったのではないでしょうか。
「注目され大暴れしていた人物をこらしめてやろう」
と検察が作りだしたストーリーに従い、逮捕したのです。
この事件のあと、村上世彰氏は公の場から姿を消します。
次の記事は、ライブドア事件を通して、検察の国策捜査の闇について書いています。
ぜひチェックしてみてください。
再度、公の場に出てきた理由 ー 村上世彰の信念
村上世彰の光と影
上場したからには、企業はコーポレートガバナンス(企業経営を管理監督する仕組み)を順守し、企業の価値を最大限に高め、株主の資産価値を上げる努力をしなければならない。
この考えを日本に広め正していくことが、経済を回し、日本の経済の発展につながる。
これが、村上世彰の一貫してきた主張であり、この考え方には異論をはさむ余地はないように思います。
しかし、立派な理念だけではないのが村上さんです。
ファンドの性質上しょうがない面がありますが、自身の利益のために都合のいいように言っていると感じる場面もあります。
ルールさえ守っていれば、何をしてもいい。
そんな印象をうけます。
また、その言動は、過激で率直なものです。

「物には言い方がある」と指摘されるように口が悪く、世間の印象はいいものではありません。
今も交流があるホリエモンは、ガイアの夜明けのインタビューでこのよう語っています。

投資家・村上世彰には、A面とB面がある。
コーポレート・ガバナンス(企業統治)を熱く語る”A面”も、カネ・カネ・カネの”B面”も、どちらも村上氏なのです。
再び強制捜査
逮捕から9年目となる2015年、長女・村上絢と共に本格的に株式市場に復帰します。

しかし、活動を活発に行っていた2015年11月25日、証券取引等監視委員会により金融商品取引法違反(相場操縦)容疑で自宅や長女宅などが強制調査されます。
村上さんの長女は調査対象となる2014年夏ごろは長男の産休で仕事と全般から離れていたにもかかわらず、調査の対象となってしまいます。
調査当時は第二子を妊娠しており、7カ月でしたが、逮捕されるのではとの憶測が流れ、過度のストレスで死産してしまいます。
この事件により家族から「何をめざしてきたのか、世間に伝えてほしい」と懇願されます。
その時に出版された本が「生涯投資家」です。
村上氏はそれから再び公の場に出るようになります。
その年の12月、明らかに疑問の残る強制捜査に対して村上氏は反撃にでます。

村上側の依頼により編成された第三者委員会に問題の株取引を調査させたのです。
委員長の宗像紀夫は元東京地検特捜部長、内閣官房参与。
学教授ら専門家に意見を聞き、過去の相場操縦事件と比較するなどして検証を進めます。
結果は、「相場操縦罪は成立しない可能性が濃厚」
調査結果を監視委に提出します。
そして、2018年、検察の起訴が見込めなかったため刑事告発を断念したことが明らかとなります。
理不尽な捜査を繰り返す、特捜検事にようやく一矢報いた瞬間でした。

2018年10月には 「子どもの投資教育・実体験プロジェクト」の立ち上げを発表しました。
村上氏が、中学1年生~高校3年生までの100人に、1人あたり10万円を提供。
若い人たちに投資を実体験してもらうという内容です。
「自身の理念の正しさを世間に証明する」
村上氏は闘い続けています。
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参考資料
本記事作成にあたり次のサイト・本を参考にさせていただきました。
◆書籍:
生涯投資家 おすすめ
世間では村上ファンドが胡散臭い事をしているとのイメージの事件を村上さん側からの視点で解説しています。世間を騒がした事件に対して別の見方ができ「村上さんの理念も一理ある」と納得できる内容となっています。
検証「国策逮捕」 経済検察はなぜ、いかに堀江・村上を葬ったのか
◆Webサイト:
ライブドア・ショック – Wikipedia
◆動画:
ニコニコ動画:水道橋博士 堀江貴文ホリエモンが語るライブドア事件徹底抗戦
- 本カテゴリの記事は基本的に主人公寄りで書いています。
- 極力資料に基づき記載していますが、会話の内容など一部脚色しています。
(おしまい)