本記事は、孫社長が
「ソフトバンクにとって最も無謀な挑戦『桶狭間の戦い』であった。」
と振り返る。世間を騒がした「ブロードバンド参入」についてまとめています。
- 伝説の総務省への怒鳴りこみ「ガソリンをかぶって火を付けるぞ!」
- 社会問題化したパラソル戦略
- 半国有企業NTT VS 素人集団ソフトバンク
7分ほどの内容です。ぜひ最後までおつきあいください。
ここまでの道のりは次の記事を参照ください。
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総務省に怒鳴りこむ
「ここでガソリンをかぶって火をつける!」
孫正義の怒号が総務省の応接スペースに響き渡ります。
このままでは予約を受け付けた100万のお客さんを待たせることになる。
ブロードバンドの開設に必要な手続きがNTTの妨害とも取れるような対応の遅さのせいで、全く進まない。
業を煮やした孫は監督する総務省に直接抗議に来たのでした。
対応している女性キャリア課長は涙目だ。
「これから記者会見してNTTの酷さと総務省の無能さを洗いざらいぶちまけて、ここでガソリンをかぶって死にます!」
「そんなことは、どこか別の場所でやってください」
「貴様、ここじゃないならいいのか!!!!」
この時、ソフトバンクは崖っぷちでした。
サービス開始まで一ヶ月を切っているにも関わらず、NTTの手続きは進まない、技術的解決事項が山積と全く目途が立っていないのです。
資金的にも追い詰められていました。
このように、ソフトバンクのブロードバンド参入は、孫社長が「ソフトバンクにとって桶狭間の戦いだった」と振り返るほど厳しい挑戦でした。
ことの始まりは約6か月前の孫社長の一言からでした。
ソフトバンクの桶狭間の戦い、ブロードバンド参入

始まり
「ブロードバンドで日本に情報革命を起こす」
2001年1月、孫正義社長は周囲に通信インフラ事業への参入を宣言します。
側近たちは驚きます。
それまでソフトの流通業とポータルサイトが主な業務にとって、設備産業である通信インフラはまったくの畑違い。
通信インフラをやるということは、政府とがっちりタッグを組んでいる「巨大企業NTT」と闘うことになります
素人集団が、半分国のNTTに挑もうというのです。
どう見ても勝ち目がありません。
時期も良くありません、少し前までは潤沢な資金がありましたが、今はITバブル崩壊のさなかです。
アメリカではADSL事業者が相次ぎ倒産、日本では東京めたりっく通信が経営危機、ADSL参入を決めていた三井物産も撤回しています。
ソフトバンクの株価も100分の1まで落ち込み、あれ程もてはやしていた世間が掌を返して、バッシングの嵐です。
確かにこの当時、日本のインターネット回線はNTTの独占状態で、他国に比べて「高くて遅く」日本のインターネット普及の妨げとなっていました。

つぶれてもいい、その結果日本のインターネットが立ち上がるなら
志は立派でしたが、孫自身も「最後の戦い」と意気込む挑戦は無謀。
世間では「ソフトバンクは危ない」と経営危機の噂がでます。
発表

2001年6月19日、周囲の制止を振り切り、孫正義はヤフーBBによるブロードバンド参入を発表します。
- 月額2280円でNTTなど他社の半額
- 受信速度は5倍以上(8Mビット/秒)
- 先着100万人には取り付け工事、無料
- サービス開始は8月1日
孫社長は大風呂敷を広げます。
「100万人が第一ステップ、200万~300万人が集まれば事業として十分に回る」
日本のADSL加入者数が18万人の時の話です。
画期的な発表(特に価格)のインパクトは大きく反響は上々、特に宣伝もしていませんでしたが、ニュース報道だけで予約数は100万人を越えます。
しかし一皮むけば、内情はボロボロでした。
- 一日に数万人単位で予約が来るがさばききれない。
- NTTとの回線手続きが一向に進まない、申請から返答まで時間がかかる
- そもそもADSL通信網の技術が確立できていない
- 資金が底を付きかけ、2~3週間後の資金繰りの目途が立たない
このままではサービス開始など夢のまた夢「大ぼら吹き」で終わってしまいます。
「俺は社長室を出る、一切のアポイントをキャンセルしてくれ!」
孫社長は自ら指揮を取り、対策を打ちます。
ブロードバンドサービス開始への道
買収
ITバブル崩壊の影響で、通信業者の「めたりっく通信」は経営危機に陥っていました。
そこでソフトバンクはライバルの「めたりっく通信」を買収。
そこから顧客管理のノウハウを取り入れました。
また優秀と目をつけていた「めたりっく通信」の宮川潤一氏を社長室長に抜擢、顧客管理の立て直しの全権を与えます。
ノウハウを生かし、烏合の衆だった人員を的確に管理し、作業効率は大幅に向上しました。
しかし、宮川氏に分析しわかったことは、どんなに改善してもこのままでは8月1日のサービス開始には間に合わないということでした。
結局、サービス開始を一ヶ月遅らせることになりました。
100人招集
7月のある朝、孫社長より全部署に業務命令が出ます。
「誰でもいいから明日の夕方5時までに100人集めろ」
急な話で現場は混乱しますが、「とりあえず仮」ということで、手の空いた人が業務の合間を縫ってしぶしぶ参加。
ところが孫社長は声高らかに宣言します。

「皆さんは今からブロードバンド事業の作業に参加することになりました」
「ここにいるものは全員名刺を置いて帰るように」
「そんな話聞いてない!」
会議室は大混乱。
数人が非常階段から逃げだしたそうです。
ただ、これで戦力は大幅にアップしました。
資金難
財務を預かり後にホークスの社長を務めることになる、後藤芳光さんは頭を抱えていました。
資金が底を付きかけ、2~3週間後の資金繰りの目途さえ立たない状況なのです。
ある時孫に「このままでは自転車操業です」と相談します。
その時の孫さんの回答はこうです。

自転車操業?だったらそれを解決するいい方法を教えてやるよ。もっと勢いよくペダルをこげばいいんだ
達観してますね。
ちなみに小泉元首相にも同じような名言があります。

新しいストレスが来ると古いストレスを忘れてしまう。これが私のストレス解消法
危機を何度も乗り越えてきた人の発言は、何かぶっとんでて迫力がありますね。
結局、後藤さんは、腹を決め銀行に正攻法で挑み、なんとか債務の延長を求められて資金難を乗り越えました。
「資金調達はストリートファイト」
投資家とガチンコで向き合い、自分たちは強いんだ、まだまだ伸びていけるんだということをどう理解させるか。
後藤さんは後にそう語り「攻めの財務」と呼ばれるようになります。
NTTへの10か条の要求
遅遅として進まないNTTの手続きに対して、回線手続きの簡略化や対応の改善など「10か条の要求」を出しました。
その回答さえもなかなか来ないことに業を煮やした孫正義は、自らNTTを監督する立場の総務省に乗り込みます。
「NTTに言えるのはあなただけなんですよ。あなたがやらないで誰ができるんだ!」
応接スペースで、机をたたき、わめき散らします。
目は完全にいっちゃってます。
対応したキャリア女性課長は泣く泣くNTTの東西の総務部長に電話すると約束します。
実際、この課長泣いていたそうです。
これだけじゃ安心できないと感じた孫さんは、NTTの東西のトップに直接電話。
「聞き入れていただけないなら明日、NTTを提訴します」
巨大企業NTTのトップにまで脅しをかけます。
実際ソフトバンクは追い詰められていました、これでダメなら回線提供などとても間に合いません。
次の朝、NTTからFAXが届きます。
検討の結果がそっけなく書いてありました。
・
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10か条の要求のすべてに〇印が付いています。
「やったぞ!これで何とかサービスが提供できる....」
こうしてソフトバンクは日本のブロードバンド革命への道を切り開いたのでした。
ブロードバンドサービス開始
実際は、9月1日の時点で予約数100万人越えに対して、実際に利用開始が間に合ったのは4万人余りでした。
ただ、道筋が見えた孫=ソフトバンクは止まりません。
パラソル部隊
営業部隊を本格投入し、猛烈な営業活動が始まります。
もともとソフト流通をしているので販売は得意、素人だったインフラ事業とは違います。
いよいよ本領発揮です。
ここで孫さん得意の無料戦略がさく裂します。
先着100万人には取り付け工事無料、さらに住宅に置くモデムも無料でばらまいたのです。
また、ゲリラ的に出没し営業を行う「パラソル部隊」を組成し、ロゴを染め抜いた白いパラソルの下にADSLモデムの入った紙袋を積み上げ、街角を通行する人に「無料でお持ち帰りできます」と片っ端から声をかけます。

この戦法、通行の邪魔だ、アンケートに答えたら勝手にモデムが送られてきたなどトラブルも含めて社会現象化。
効果は絶大で、驚異的な勢いで加入者を伸ばしました。
さらに、電通を参画させ、テレビCM投入(広末涼子や藤木直人)
順調に加入者を増やし、ソフトバンクのブロードバンク事業は軌道に乗り始めます。
2004年には日本テレコムを買収し、ヤフーBBの400万と合わせて1000万もの回線を提供する通信インフラ企業となりました。
設備投資の出血は大きく、4年間で合計3554億の赤字を出し続けますが、売り上げは一兆円に手の届くところまでに倍増。
その間、情報流出事件などトラブルもありましたが、何とか乗り越えました。
そして5年目の2005年、ようやく黒字化。
素人集団 vs 巨漢NTT
ソフトバンクにとっての「桶狭間の戦い」を制して手に入れたブロードバンド事業は、その後ソフトバンクの大きな収益源に成長していきます。

有言実行
ソフトバンクの台頭により、NTTも重い腰をあげADSLに取り組み、他社も含め価格競争が起きていきます。
「ブロードバンドで日本に情報革命を起こす」
孫正義の無謀な挑戦は、日本を先進国のなかで、世界一安くて、世界一速いブロードバンド大国に生まれ変わらせることに成功しました。
正に有言実行。
ただ、孫正義の挑戦は終わりません。
次は、周囲に「周回遅れで今更無理だ」とまで言われる携帯事業に参入することになるのです。