みなさん前田裕二さんがどのようにSHOWROOMを立ち上げたがご存知でしょうか。
- SHOWROOM立上までの苦難の道のり
- DeNA創業者・南場智子さんとの縁
- 秋元康、ホリエモンから天才と認められている理由
- 前田裕二の1番の武器とは?
7分ほどの内容です。ぜひ最後までお付き合いください。
起業を決意するまでの経緯は次の記事を参照ください。
起業を決意!
起業を決意した前田さんは、証券会社の仕事の合間に起業プランを練ります。
証券アナリストとして分析力をつけたおかげで、業態と業種からどれくらいの売上が経つのか予想する目が出来ました。
ところが、その肥えた超えた目で見ると自分のアイディアでは、出来て年間数億までの見通ししか立ちませんでした。
一方、資金集め方は順調でした。
起業を考えていることは周りにもオープンに伝えていて友人や同僚から、起業するなら資金を出してくれると申し出てくれて、最低でも2億円くらいは集まりそうです。
迷いがある中、最後に信頼の置ける人に意見を聞きたいと思い、DeNA創業者の南場智子会長に会いに行くことにしました。
DeNA創業者・南場智子との縁

DeNAの創業者・南場智子さんとは2009年の就活時、DeNAの最終面接で初めて会いそこからの縁があります。
面接時、15分しか時間がもらえないと聞いていたので、何か尖ったこと言ってやろうと意気込んでいきました。
履歴書をなめるように見ながら、次のような事を聞かれました。

君さぁ、結構苦労してきたでしょ?

前田さんは、きょとんとしてしまったそうです。
そんな苦労感は一切履歴書には書いていないと思うんだけど、今日顔色悪いのかな...と思いました。
その後、話題は何が自分の活力でありモチベーションの源泉なのかという、飲みに行ったみたいな個人的な深い話に。
短い時間でしたが、なぜかすごく意気投合して「一緒に世界で天下獲ろうよ」という話になって終わりました。
結局、就職先は投資銀行に決めてしまったにもかかわらず、その後も半年に一回くらい南場から「よ!」とか「元気にしてる?」というショートメッセージのようなメールが届いていました。
そのたびに「元気です」と返信するくらいでしたが、繋がりは続いていました。
そして、2012年の年末、起業するにあたり南場さんの顔が浮かび、相談することにしたのです。
かわいそうな赤川さん
ちなみにDeNAには赤川さんという人がいて、就活時の最終面接が前田さん同様に南場さんだったのですが、赤川さんは南場さんから次のように言われました。

キミ、ご両親元気だよね?だと思ったよ、あんま苦労してなさそうだよね

!!!!!!!!!!!!!!
赤川さんはそれ以来「不幸や逆境を経験しなかったこと」をコンプレックスに感じていて、「生まれもってハングリーなやつらに負けるか」をモチベーションの源にしてバリバリ仕事こなし、最年少執行役員になったそうです。
面接の南場さんのコメントとモチベーションの持ち方が前田さんと真逆で面白いですね。
南場さんへの起業プレゼン
南場さんおすすめのカレーを食べながら、事業プランをプレゼンしました。
意見をもらおう、あわよくば出資してもらえないかと目論んでいましたが、強烈なアドバイスをもらいます。


!!!!
今、起業して、お前が死ぬほど泥臭くやれば上手くいくかもしれないけど、その可能性は著しく低い。
それは事業の内容じゃなくて、人の問題。
お前は「事業」を営む人間としては、まだ全くの青二才。
そして、

うちで、事業を立ち上げることのなんたるかを勉強して、その後、自分で起業する方が成功確率上がるし、いいのでは?まだ、25歳でしょ。
なんと入社を口説かれます。
思いがけない展開に驚きながらも妙に納得していると、

お前が納得してないのに来てもらいたくない。納得するために必要な素材は全部用意するから何でも言ってよ
と言ってくれました
翌日(12/30)から、社長の守安さんや同世代でゼロベースで自身の手で事業をどんどん立ち上げている優秀な人物などに会っていくなかで気持ちがどんどん傾いていきました。
そして最後に、

純粋に君の力が必要です。一緒に世界の頂を目指そうぜ!
シンプルに言われ、ノックアウト、DeNAに中途入社して企業を目指すことになりました。
前田裕二の失敗
2013年の5月にDeNAに入社してすぐに南場さんから「一個事業を立ち上げてごらんよ」と言われます。
幾つかある事業アイディアの中でどれを出そうか迷いましたが、とっておきのアイディアは自分の人生の背景までかかわっていて重すぎると感じていました。
そこで出てきたアイディアが友達間だけで共有できる短尺の動画サービスでした。
基本的に友達だけが見られるようなコミュニティーで、10秒以内くらいの動画がさらっとタイムラインで見られて、なおかつそこにコメントを付けられるような機能でした。
しかしそれが大コケ、ピクリとも受け入れられませんでした。

普通の新人の失敗ではありません。南場さんの肝いりで中途入社し、社内でも注目されている立場での大コケ。
いきなり窮地に立たされた前田さんは、そのサービスを1ヶ月で潰し、自分の起業アイディアの中で取っておきを持ちだし挑戦したのがSHOWROOMでした。
SHOWROOM立上げ

事業をつくることは、嫌なこともたくさんあるし、意地悪もたくさんされるし、立ちはだかってくる壁をどうやって乗り越えていくかのゲームです。
そんなときに、拠り所になる自分自身の強い思いとか熱量がないと絶対にうまくいかないと気付き、自分にとって人生を賭けられる価値のあると思えるアイディアの実現に着手しました。
エンジニアを始めとするスタッフをそろえ、急ピッチで企画を進め、わずか3ヶ月後の2013年11月25日に正式リリースにこぎつけました。
しかし、いきなり問題が勃発します。

課金に当たる「ギフティング」がいっさい起こらないのです。
大きな期待を持って始まっただけに厳しい声が出てきます。
人によっては「SHOWROOMいつやめるの?」と言いだす人までいました。
前田さんからしたら、「ちょっとつまずいただけで、こんなに未来があるサービスになんてこと言うんだ?」という思いでしたが、結果が出ていないだけに何も言い返せません。

これが南場さんの言っていた起業のむずかしさか...
努力の方向も分からない暗闇の中であがく日々が続きましたが、チーム一丸となって地道な度量を続けます。
3ヶ月目、ようやく売上が伴ってきました。
アイドル市場しかも、すでに有名な人ではなくSHOWROOMの中で有名になるような人にフューチャーした方向性が当たった結果でした。

これは一人の力では達成できなかったな
USBでの上司・宇田川さんの「個人でできる成果は限られている、チームを大事にすること」の本当の意味がこの時やっとわかりました。
そして、SHOWROOMがさらにステップを上がるためにコラボレーションしなけらばならない人がいました。
AKB48グループを育て上げた大物音楽プロデューサー・秋元康さんです。
秋元康とのコラボレーション
一番最初に会ったのは2013年10月末、秋元康の事務所を訪問、南場さんから紹介してもらいました。
狙いはAKB48グループにSHOWROOMに出てもらう事。
熱心にSHOWROOMについてプレゼンしましたが、全く興味を持ってもらえませんでした。
2回目は2014年、SHOWROOMがソニーと提携したタイミングで再度ソニーから紹介してもらいました。またプレゼンしますが撃沈、なかなか扉は開きません。
そして2015年の夏、3回目のチャンスが訪れます。
秋元さんが仕事でロサンゼルスに行くという情報をキャッチした前田さんは「自分もちょうど行くので向こうで合流したいです」と頼み込み、会える確約はありませんでしたが単身アメリカに渡りました。
飛行機で秋元さんの本を読みあさるなど、入念に準備をしていると、情報を提供してくれた人の計らいで一緒に食事をする機会が与えられました。
そこで再度プレゼンをしたところ「面白いね」と反応が。

前田君は見た目は乃木坂のスカウトマンみたいだけど、真面目なんだね
始めてSHOWROOMや前田さんの存在を認識してもらいました。

秋元康さんは一緒に仕事するかどうかを人間性を見て決めるそうです。
AKB48を立ち上げた時、「会いに行けるアイドル」として無名の新人を劇場に出して、7~8人しかお客さんが集まらない姿を見て、人に「秋元さんは何をやっているだ、すぐ辞めたほうがいい」と言われました。
しかし、秋元さんの中では「こんなすごい事をやっているのになんでみんな分からないんだろう?」と不思議だったそうです。
そんな中、活動を続けて、社会現象とまでなる大躍進を遂げたのでした。
前田さんにも自分と同じように信念を持って継続できる資質を見出したのです。

夢は全力で手を伸ばした1mm先にある
これは秋元康さんの名言です。

日本に帰ってから「前田君といっしょに仕事をしよう」と声をかけてもらい、AKB48とのコラボレーションが実現。
不断の努力を続ける前田さんが秋元康さんからも認められた瞬間でした。
こうしてSHOWROOMは次のステージに上がる事ができたのです。
ホリエモンと前田裕二
ホリエモンが秋元康さんに勝てないと思った瞬間がありました。
それは、秋元康さんが堀江さんに前田裕二さんを紹介した時です。
ホリエモン曰く、「前田裕二のような若者を見つけてきて紹介するのは本来自分の役割だ」
そこをトップの秋元さんが見つけてきて、プライドも何もなく目を輝かせながら紹介するその姿勢がすごいと思ったのだそうです。
秋元さんの話ですが、前田裕二がいかに2人から評価されているかが、わかるエピソードですよね。
ホリエモンは前田氏の著書「人生の勝算」の帯で

秋元さんが“堀江以来の天才がいる”というから会ってみたら、本当だった
最大限の賛辞のコメントを寄せています。
理論や分析力が評価される印象の前田さんですが、ある番組でホリエモンは「行動力が天才」と前田氏を評しています。
以前日本にいる前田氏をイタリアに呼び出したところ、本当に来てしまったそうです。
ホリエモンチャンネルなどで共演している姿が見れますが、お互い認め合っていることが伺えます。
ホリエモン認めていない人には容赦ないですからね。
プライベートでも付き合いがあるようで、石原さとみさんとの熱愛が発覚した時

結構何十回も飲んでるのに1回も女の子を口説いているのを見たこと無いし、彼女の話とかも一切しないから『大丈夫かな』って逆にちょっと心配になっていたんですよ
と話しています。

前田さんの前の天才ホリエモンの経歴は次の記事でまとめていますのでチェックしてみてください。
SHOWROOMの独立
2015年にはDeNAの会社分割により、サービスの運営を承継、SHOWROOM株式会社を設立。
売上は順調に伸び、なんと2017年と2018年の日本のアプリ売上ランキング1位です!
ただ、年間3億の赤字が出ており「投資期間」であり、まだまだ道半ばです。
社長でありながら自ら「広告塔」として精力的に活動していて、その勢いは留まるところを知りません。
- 講演会
- スッキリの火曜日コメンテーター
- ラジオSHOWROOM主義パーソナリティ
- 2018年に発売した著書『メモの魔力』は40万部以上 のベストセラー
- 石原さとみと熱愛報道
前田さんの情熱がSHOWROOMを世界中にどんどん広げて、どこまで大きくなっていくのか、そのコンパスの指し示す方角から目が離せません。
前田裕二の1番の武器とは

前田さんと言えば石原さとみさんと熱愛が発覚した事でさらに有名になりました。
ただ、これだけ精力的にまじめに活動しているので会う時間あるのかな?
仕事優先でケンカしないのかな?などと余計な心配をしてしまいます。
2020/10/25追記:別れてしまったようです。石原さとみさんご結婚おめでとうございます。前田裕二ファンとしてはちょっと残念。
前田氏の親友の編集者・箕輪康介氏によると「目を見て名前を呼んで話すので女子は皆好きになる」と“前田女子”が沢山いると証言しています。
それも納得で、2冊の著書には前田さんの人の良さがにじみ出ています、特に「メモの魔力」からは読者に幸せになって欲しいとの思いが凄く伝わってきます。
40代のおじさんにさえ好感を持たせるその手腕とキャラクターは素晴らしいの一言です。
天才と言われていますが、前田さんの一番の才能はこの「人たらし」能力だと思います。
だから秋元さんもホリエモンもみんなねたみなどなく、前田さんの事をニコニコ褒めてしまうのです。
delyの社長の堀江裕介さんなどは「こんな性格いい人、他にいない」と言っています。
少し出来過ぎですが、彼の成功の物語はまだ始まったばかりです。
これからの活躍に期待しつつ、自分達もがんばりましょう。
本記事は前田さんの経歴を追う構成であったため、2018年に発売したベストセラー『メモの魔力』 には、あまり触れていません。こちらの記事では、その『メモの魔力』の要約と共にさらに実践的に人生に活用する方法について書いていますので、こちらもチェックしてみてください。