ホリエモン・秋元康・ 西野亮廣から天才と認められる前田裕二さんは学生時代から凄かった。
- ディベートで留学生に勝つ!
- 0円で英語上達するための秘策
- 自己分析ノート30冊分、ディスカッション1000回で就活では無敵
- なぜDeNA南場社長の誘いを蹴って、証券会社にいったのか?
超人エピソード満載です。
ここに至るまでの幼少期の壮絶なエピソードは次の記事でまとめています。
前田裕二の高校時代
兄のアドバイスのおかげで、高校進学を決めた前田青年は、2003年4月に都立深川高等学校に入学します。
都立を選んだのは費用面からでした。
アルバイトで学費を稼ぎながら、勉強に音楽活動と精力的に活動します。
- 朝は新聞配達
- 部活はバスケットボール(朝練あり)
- 勉強
- 深夜はファミレスでバイト
- バンド活動
睡眠時間は3時間ほどだったとか。
高校生から超人の片鱗が見えますね。
もちろん、本業の勉強も疎かにしません、得意だったのがディベート。

日本語でのディベートは最強で負け知らず、そこで英語でのディベートに挑戦することに。
相手は留学経験がある猛者ばかり、どうやって勝つか。
頭を捻って前田青年がたどりついた結論が...
圧倒的努力
金銭的な理由で留学してない自分が、「圧倒的な努力で留学生に勝つ」事をモチベーションにし、実際に買ってしまいます。
そこから転じて、「環境が恵まれている人が努力次第で輝ける環境を作る」ことが人生の目標になったのです。
これが、「SHOWROOM」のアイディアの原点となります。
早稲田進学
成績優秀だった前田青年は早稲田大学の政治経済学部に進学することになります。
何故早稲田か?

前田って早稲田って感じだよね ?
この友達の何げない一言が心に引っ掛かり、引っ張られたと話しています。
当然、学費は自分で払っていて、塾講師や居酒屋などありとあらゆるアルバイトをやっていました。
ただ、大学の学費は重く、大学の事務に学費を1ヵ月待ってもらう交渉をするなどギリギリです。
英語を覚えるため留学したかったが、金銭面から断念。
しかし駅前に留学先があることを発見します。

英会話スクールです。
生徒だとお金がかかるため、そこに講師として入り込もうとします。
ところが、スクールはネイティブの教師しか雇わないと断られてしまいました。
ここで諦めるわけにはいきません、前田青年は知恵を絞ります。
そこで思いついたのが、「TOEIC」
TOEICの勉強では、日本語ができる教師が必要なことに目をつけたのです。

TOEIC対策を教える講師で雇えませんか?
そう提案したところ見事採用、潜り込むことに成功します。
ところが、一つ問題が。
なんと、前田青年はTOEICが得意でなかったのです。
ここでも解決策は「圧倒的努力」
猛勉強し、なんとか講師をこなしたのでした。
こうして、ネイティブな教師の居る環境に入ることで自身の英語力をぐんぐん伸ばすのでした。
ゴールから始める、孫さんの伝説
しかし実績を残す経営者となる人は、学生時代から行動力が半端じゃないですね。

ゴールから始める。ゴールを決めてから現状のギャップを測ってそれを埋める努力をする。
時に厳しい制約を自らに課すことで猛勉強(努力)するしかない環境を作り、現実をそこに合わせていく手法が有効。
ある講演で前田さんはこのように解説しています。
ソフトバンク・孫正義さんのアメリカの学生時代のエピソードを思い出しました。

孫青年がアメリカに留学していた時に試験を受けることになりました。ところが問題が英語のために試験時間が足りません、大ピンチです。
そこで、孫青年は奇策にでます。
なんとアメリカ人の試験管に次のように訴えたのです。

問題の英語が分からない、問題さえ分かれば俺は解ける。辞書の持ち込みと調べる時間を認めてくれ
意外な問いかけに判断できない試験官がどんどん上司に相談していき、最終的に州知事と交渉して認めてもらったそうです。
前田裕二さん同様、孫正義さんの生い立ちも逆境からスタートしています。興味のある方は次の記事をチェックして見てください。
完璧な就職活動

学生時代からいずれ起業したいとの思いがあり、起業ノートに書きためたアイディアは100個以上となっていました。
しかし、人生を捧げるような熱意が湧くレベルのアイディアと言える物がなかったことから、まずは就職して経験を積むことに。
就活にあたって、「絶対に負けたくない」との思いから自己分析をやりまくりました。
負けないための方法を考えた時にでてきた仮説が「自分を徹底的に深掘りすること」だったのです。
町の本屋さんに行き、売っている就活の自己分析本を買いまくって、その問いに全て答えていきました。
まとめた自己分析ノートはなんと30冊くらいになります。
自己分析しすぎて、試験管の想像を超える答えが出来るようになっていました。

好きな色はなんですか?

好きな色ですが3つありまして...それぞれの理由は・・・

えっ!3つもあるの
グループディスカッションも1000回くらい練習、渋谷のジョナサンで毎日朝までやっていました。
めざしていた外資系投資銀行は1万人受けて、1人受かるぐらいの激戦区。
少なくとも就活生50万人中の上位1パーセントには入れるぐらい、面接とかグループディスカッションが得意じゃなきゃまずダメだと考えました。
その練習の中で「面接官はどんな気持ちなのかな」というのを分析しました。
そうすると、

みんな話がなげーな
と思っていることがわかる(前田さんも他の人の面接を見て思う)。
そこから面接の時も、「相手が関心があることは何か」というのをちゃんと引き出すために、まずはお品書きを出す。
その結果「その答えは、3つあります」から始める話し方のスタイルが出来てきました。

この「3つあります」は、現在テレビなどで前田さんが話すときによく使うので、ネタにもなっているくらいです。
なぜDena南場社長の誘いを蹴って、証券会社にいったのか?
精力的に就職活動をした結果他、ネットベンチャー、投資銀行など複数社から内定をもらいます。
その中には、面接で南場社長に気に入られて強く誘ってもらったDeNAも含まれていました。
しかし、前田青年が選んだのはUBSという外資系投資銀行でした。
インターンをしていて、「株は社会を、心を、森羅万象を、反映していて株取引を通じて、この世界の本質に触れてみたい」そう思ったからです。
そして決め手は宇田川さんという一人の天才の存在。
彼は心から盗みたいと思えるスキルをたくさん持っていて、自分が全力で働いて同世代になった時に「ぎりぎり超えられるかどうかわからない」という感覚を始めて抱いた人だったのです。
こうして、前田裕二さんの社会人生活は証券マンとしてスタートします。
そこでとんでもない活躍を見せます。