25のエピソードで綴る前田裕二の人生のコンパス【生い立ちからホリエモンや秋元康との関係まで】

前田裕二の経歴失敗偉人伝

なぜSHOWROOMの前田裕二さんはホリエモン・秋元康・ 西野亮廣とそうそうたる顔ぶれから天才と認められているのでしょうか?

確かに社長でありながら精力的に活動していて、その勢いは留まるところを知りません。

前田裕二の活躍
  • 講演会
  • スッキリの火曜日コメンテーター
  • ラジオSHOWROOM主義パーソナリティ
  • 2018年に発売した著書『メモの魔力』は40万部以上 のベストセラー
  • 石原さとみと熱愛報道

しかし、活躍しているだけでホリエモンなどの曲者から手放しで認められるわけはありません。

その謎を解くために、幼少期から現在までの印象的な25のエピソードをその著者やインタビュー記事、動画、ラジオでの発言からまとめました。

著書「人生の勝算」「メモの魔力」にもないような話も載せていますので、前田裕二初心者だけでなく、著書でファンになった方もぜひご覧ください。

黒板の前の少女

前田裕二さんはその風貌からとらえられる印象と違い、真面目で勤勉なことで知られています。そんな前田さんの情熱の原動力となっている風景があります。

少年時代。

教室の黒板の前に一人の少女が佇んでいます。

顔は無表情。

その少女が言います。

「お前のような親もお金もない奴が私に成績で勝てると思っているの?」

・・・・・

「努力がフェアに報われる社会を作る!」

言わずと知れた前田裕二の人生のコンパスですが、その成り立ちから言葉を変えるとこうなります。

恵まれた環境でヘラヘラしているような奴には負けない、 自分の人生で運命がひっくり返せることを証明してやる!

前田裕二の生い立ち

両親の死

前田裕二さんは、1987年東京に生を受けます。

3歳のときに父を亡くし、8歳の時には地球上で一番愛していたお母さんまで亡くしています。

10歳上の兄と2人っきりになってしまいました。

住むところが見つからずに、半年以上ホームレス生活をすることになります。

警察に泊めてもらったりと荒れた生活の中で学校にも行きませんでした。
そのせいで九九の勉強が飛んでしまい、いまだに掛け算が苦手だそうです。

そこからようやく親戚のお世話になることが決まりますが、上手く馴染めません。

いろいろな事情があり、前田少年だけ2畳くらいの物置で生活していました。

そのせいで友達も呼べなくて、友達を家に呼ぶことが夢でした。

小学校4年になると肩身の狭い親戚の家での暮らしの中、少しでも稼ぎたいと思いアルバイトを探すことにします。

近所の駄菓子屋、コンビニ、家電量販店に行き、200円でもゴミ捨てでもいいから働かせてくれと交渉しました。

しかし結果はすべてNG。

そんなことから自暴自棄になり、グレてしまいました。

「大好きなお母さんのいなくなった世の中で生きていてもしょうがない」

そう考えていたそうです。
その負の感情を周りにぶつけまくっていました。

そんな荒れた前田少年に転機が訪れます。

小学5年生の時に、人に迷惑をかけるようなことでお金を稼いでいたことがバレて大問題に、それは当然兄にも知れます。

10歳年上の兄は怒りながら号泣してしまったそうです。

唯一残った、たった一人の肉親が泣いているのをみて、前田少年はある事に気付きます。

「お母さんが亡くなっても、この人を幸せにすることに人生の意味を見出そう」

「大好きなお母さんがいなくなってしまっても、生きる意味はあったんだ」

始めてそう思えました。

両親が死んだとき18歳だった兄は、医者になる夢を捨てて、すぐに働きだして前田少年を養ってくれました。

10個も上なので、兄というか、父のような存在です。

僕の名前を付けたのも兄、赤ん坊の頃オムツを替えていたのも兄。

この世に無償の愛がある事を教えてくれた兄。

愛してくれている家族がまだいる事に前田少年は気付きました。

兄を喜ばせたい

この事件以来、「兄を喜ばせたい」という思いが、生きる原動力となりました。

その為に取った手段が次のことでした。

  • 成績を良くすること
  • 勉強をしている証として「メモをノートにとにかくたくさんとって、綺麗にまとめて見せる」こと

綺麗に取ったノートを見せると兄は本当に本当にうれしそうな顔をして、手放しで喜んでくれました。

これがメモ魔、前田裕二の原点です。

そしてメモを活用し必死で勉強しました。
周りの子は塾に行き、学校より少し先の勉強をしていて、塾に行っている子になかなか勝てませんでした。

お金がなくて塾に行けなかったのが、ものすごいコンプレックス。
そこで塾に行っている子に負けないために日常のどんな事も「メモ」をして、そこから学んでいく姿勢を身につけました。

「恵まれてた環境の奴らには負けない」

「いい通知表を持っていったら兄が喜んでくれる」

そんな思いから勉強に熱心に取り組んだ前田少年の成績はぐんぐん上がっていきました。

前田裕二と兄

現在お兄さんは、結婚して奥さんと子供が2人います。

昔から一貫して「家族を大事にする」ことを最優先事項としていて、外資系の化粧品大手から高額給与のオファーが来た時も、家族との時間が減るとの理由で断ってしまったそうです。

子供の頃は10歳年の離れた、前田さんの面倒をみる事を最優先とし、今は自分の子供・奥さんを最優先事項としてます。

そんな兄を前田さんは「何を大切にするか決めている」自分の軸がある人であり、心から尊敬しています。

「1日のほとんどを仕事に当てている自分」と「仕事は最小限で効率的にこなして家族との時間を一番大切にする兄」、自分の軸・価値観は人それぞれだからそこに優劣はなく、自分の船の指針をもっていることが重要で幸福になるコツと語っています。

弾き語り

前田家は常にお金が不足した状態でした。そこで小学6年の頃、親戚にもらったアコースティックギターを片手に、駅前で弾き語りを始めました。

最初は1か月毎日やっても月に500円も稼げない。
ただ、ここであきらめるわけにはいきません、お腹も減っていたし、精神的・肉体的苦しさから解放されるたい!

そこで、通りかかる人の気持ちになってどうすればいいか考えました。

どうすれば、足をとめてくれるのか?

オリジナル曲の方が付加価値が高いと思ってそればかりやっているが、それが良くないのではないのか?

確かに決して小ぎれいではない格好をした少年が、知らない曲を歌っていても「CD売りつけられそう、とか投げ銭よこせとか言われそう」と警戒するかもしれない。

そこで、警戒心を解くために、カバー曲に切り替えました。知っている曲の方が、人の警戒心を外しながらも、注意や関心を引けると思ったからです。

すると目に見えて立ち止まってくれる人が増えてきました。

次の改善は、看板にその日歌う予定のセットリストを書くことです。「吉幾三」とか「村下孝蔵」といった、明らかに少年が歌っていたらおかしい曲を書いてみた。

道行く人が「おや?」と思うような「つっこみどころ」を何らか作れば、自分のコミュニケーション範囲まで人が入ってくる確率が上がると思ったからだ

そうすると「なんで吉幾三なんて知ってるの?」と、お客さんから話しかけてくれる回数を飛躍的に増やすことに成功。

小学生が一生懸命ゆずの失恋ソングを歌ってたら、大人から見て絶対可愛いだろうと計算するなど、話題となる選曲を続けました。

しかし、通行人が立ち止まり、話しかけではくれますが、なかなか「ギターケースにお金を入れてもらう」という売り上げにつながりません。

そこでターゲットを絞り、特定の顧客により深くかかわれるようにする作戦に切り替えました。

例えば、マダムにターゲットを絞って、若かりし頃にはまったであろう、松田聖子さんの曲を歌う。

そうすると、たくさん話しかけてもらったり、特にはリクエストをもらえたり、それなりに成果を上げることができました。

ただ、リクエストに応えてすぐに歌ってしまっても、投げ銭してもらえるところまで到達しないことに気が付きました。

そこで思いついたのが、「リクエストを受けても絶対に歌わない」作戦。

例えば「松田聖子 白いパラソル」をリクエストされても知らないふりをして、

前田少年
前田少年

絶対覚えてくるんで、1週間後の同じ時間にもう一回ここに来てくれますか

と伝えて、来る事を約束してもらいます。手帳に予定を書き込むまで帰さない!

そうすると、1週間後に実際に歌ったときには、もはや歌のうまさとかは聞いてなくて「1週間、どうやって練習したんだろう」「私のためにどれくらい練習してきてくれたんだろう」と、前田少年の演奏を、自分事として考えてくれるようになります。

そうやって感情移入のレベルを上げていくとで、1万円札を入れてくれたこともありました。

プロや本人のクオリティレベルからほど遠い僕が歌う松田聖子自体に価値はない。

歌や演奏のうまさで感動させるのではなくて、その人のためだけに一定の時間をかけて本気で努力をしたという、歌の裏側にあるコンテクストやストーリーで感動をもたらせないか。

そう考えての作戦でした。

このようにPDCAをまわして、徹底的に顧客の気持ちになって考え抜いて、課題を解決して成果(ごはん!)を得ていきました。

最初は月に500円でしたが、半年後には10万円ほどのお金がギターケースに入るようになりました。

恐ろしい小学生ですね。

ちなみにギターをもらった親戚とは後にビジュアル系バンドを組む事になります。

前田裕二の学生時代

進路

中3になり、卒業が近づきます。前田少年は就職してお金をいち早く稼ぎたいと鳶職(とびしょく)になることを考えていました。

自立できる歳にお金を払って学校に行くなんてありえない、お金を稼いで誰にも迷惑をかけずに自由に生きたい。

そんな事を考えていました。

ところが、お兄さんに「お前が後悔しない決断をしろ」と言われます。

人生の重要な決断の場面ではお兄さんはこの言葉を使います。

前田さんはこの兄の言葉を次のようにとらえていました。

  1. ちゃんと深く内省して決めろ
  2. 意思決定した時点では、そもそもどっちが正解もない。だから後で後悔することが無いように決めた後のアクション頑張れ。

つまり自分の選択を正解に導くのは、選択した後の自分次第であると、だから逆説的に頑張れる後悔しない選択をちゃんとしろと。

そして熟考した結果、高校に行くことになりました。

高校の時も前田青年は努力し続けます。

ある時、ディベートがありました。

日本語でのディベートは最強で負け知らず、そこで英語でのディベートに挑戦することに。

相手は留学経験がある猛者ばかり、その中で金銭的な理由で留学してない自分が、圧倒的な努力で勝つのが気持ち良かった。

「環境が恵まれている人を努力で打ち負かす」ことに無上の喜びを感じていました。

そこから転じて、「環境が恵まれている人が努力次第で輝ける環境を作る」ことが人生の目標になったのです。

早稲田進学

成績優秀だった前田青年は早稲田大学の政治経済学部に進学することになります。

何故早稲田か?

「前田って早稲田って感じだよね」という、友達の何げない一言が心に引っ掛かり、引っ張られたと話しています。

当然、大学の学費も自分で払っていて、勉強しながら学費を稼ぐのに苦労し、大学の事務に学費を1ヵ月待ってもらう交渉をするなどして通っていました。

英語を覚えるため留学したかったが、金銭面から断念、しかし駅前に留学先があることを発見します。

英会話スクールです。
生徒だとお金がかかるため、そこに講師として入り込もうとします。

スクールはネイティブの教師しか雇わないと断られますが、そこで日本語ができる教師が必要となるTOEICに目をつけて、TOEIC対策を教える講師で雇えないか提案します。

それが受け入れられ潜り込むことにに成功、しかしその時点でTOEICが得意でなかった前田青年はそこから猛勉強し、なんとか講師をこなします。

そしてネイティブな教師の居る環境に入ることで自身の英語力をぐんぐん伸ばすのでした。


ゴールから始める。ゴールを決めてから現状のギャップを測ってそれを埋める努力をする。

時に厳しい制約を自らに課すことで猛勉強(努力)するしかない環境を作り、現実をそこに合わせていく手法が有効。

ある講演で前田さんはこのように解説しています。

しかし実績を残す経営者となる人は、学生時代から行動力が半端じゃないですね。

ソフトバンク・孫正義さんのアメリカの学生時代のエピソードを思い出しました。

孫青年がアメリカに留学していた時に試験を受けることになりました。
ところが問題が英語のために試験時間が足りません、大ピンチです。

そこで、孫青年は奇策にでます。

なんとアメリカ人の試験管に「問題の英語が分からない、問題さえ分かれば俺は解ける。辞書の持ち込みと調べる時間を認めてくれ」と訴えたのです。

判断できない試験官がどんどん上に上げていき、最終的に州知事と交渉して認めてもらったそうです。

完璧な就職活動

学生時代からいずれ起業したいとの思いがあり、起業ノートにアイディアは100個以上書いてありましたが、人生を捧げるような熱意が湧くレベルのアイディアがなかったことから、まずは就職して様々なビジネスモデルに触れて経験を積むことにしました。

就活にあたって、絶対に負けたくないとの思いから自己分析をやりまくりました。

負けないための方法を考えた時にでてきた仮説が「自分を徹底的に深掘りすること」だったのです。

町の本屋さんに行き、売っている就活の自己分析本を買いまくってその問いに全て答えていきました。

まとめた自己分析ノートは30冊くらいになります。

自己分析しすぎて、試験管の想像を超える答えが出来るようになっていました。

試験管
試験管

好きな色はなんですか?

前田青年
前田青年

好きな色ですが3つありまして。。。。それぞれの理由は。。。。。

と3つの理由まで準備していた、さすがの試験管も

試験管
試験管

えっ!3つもあるの

と驚いていたそうです。

積み上がった自己分析ノートを見て、「これ絶対に面接落ちるわけないな」と思いながら面接に向かっていました。

一種の自己暗示みたいなものですが、「自分を騙せるくらい努力する」というのは重要です。

グループディスカッションも1000回くらい練習、渋谷のジョナサンで毎日朝までやっていました。

めざしていた外資系投資銀行は1万人受けて、1人受かるぐらいのところだから、少なくとも就活生50万人中の上位1パーセントには入れるぐらい、面接とかグループディスカッションが得意じゃなきゃまずダメだと考えました。

その練習の中で「面接官はどんな気持ちなのかな」というのを分析しました。そうすると、

試験管
試験管

みんな話がなげーな

と思っていることがわかる(前田氏も思う)。

そこから面接の時も、「相手が関心があることは何か」というのをちゃんと引き出すために、まずはお品書きを出す。

その結果「その答えは、3つあります」から始める話し方のスタイルが出来てきました。

この「3つあります」は、前田さんが話すときによく使うので、ネタにもなっているくらいです。

前田裕二の証券マン時代

超えられるか分からない始めての人

精力的に就職活動をした結果他、ネットベンチャー、投資銀行、DeNAなど複数社から内定をもらいます。

その中で選んだのがUBSという外資系投資銀行でした。

インターンをしていて、「株は社会を、心を、森羅万象を、反映していて株取引を通じて、この世界の本質に触れてみたい」そう思ったからです。

そして決め手は宇田川さんという一人の天才の存在。

彼は心から盗みたいと思えるスキルをたくさん持っていて、自分が全力で働いて同世代になった時に「ぎりぎり超えられるかどうかわからない」という感覚を始めて抱いた人だったのです。

20代の時、最年少でUBS株式営業部のマネージャに抜擢された超エリート宇田川さんからは次のような事を学びました

宇田川氏の教え
  1. 個人でできる成果は限られている、チームを大事にすること
    TOPの成績を取り続けた宇田川さんはTOPを取って見える景色はこんなものか?と思ったそうです。もっと大きなことを成し遂げるのはチームの力が必要だと気付かされた宇田川さんはそれからチームで大きな成果を出すためにチーム作りに力を入れます。

  2. 人への投資は裏切らない
    人に何か教えようと思うと、自分がそれについて詳しくなければならない。そして、人に教えることで、自分が学ぶ。自分がそれを通して、成長できる。最低限それは担保されており、もちろんメンバーが育てばチーム力はアップする。

    そんな考えから毎週日曜に勉強会を開いており、UBS時代の前田さんも参加していたそうです。
     
  3. とにかく人に好かれる人間になること

ある時、本社のオフィスビルの受付の近くで、セミナーのお客さんをゲートに入れる仕事をしていると受付けの女性に尋ねられました。

受付
受付

あなたどこに勤めているの?

前田
前田

UBSです。

そう答えると受付の人の顔がパーッと輝きました。

本社の入っているビルの受付は1日1000人以上の人が通ります。その中で名札から名前を覚えて挨拶をしてくれるのは宇田川さんだけだと言うのです。他の人は受付けなんて機械としか見ていないと。

受付
受付

もし宇田川さんから休日出勤してくれと頼まれたら私、喜んでいつでもでてくるわ。

宇田川さんがいる会社だと思うと、UBSを訪ねてくるお客さんには、つい愛想良くしてしまうのよ。

このエピソードが現すように宇田川さんは「人を好きになる」を実践し、そしてビジネス相手だけでなく、運転手、秘書、アシスタントなど色々な人から好かれているそうです。

そして彼のチームは最大のパフォーマンスを発揮するのです。

このことから前田さんは次のような学びを得ています。
ビジネス書に人に好かれる技術を磨きなさいと説かれているが違う。

「人を好きになる能力の方がよっぽど大事」

自分が好きになると好きになってもらえるというのはありますが、それだけではありません。

人を好きなるのは自分次第、自分でコントロールできる事象だからです。

つまり自分の訓練や努力で確実に改善できる。自分でコントロールできる事に労力をかけるのがパフォーマンスを出す上で鉄則だからです。

この自分のコントロールできる部分に注力すべきとの考え方は事は起業家や心理学、スポーツ理念などのノウハウで度々語られることで物事の真理です。

その後、宇田川さんはUBSから、みずほ証券に転職し、今はSBI証券の常務となっているそうです。 日曜日の勉強会は今も続けていて、始めてから15年だそうです!

そして2019年12月、前田さんは、宇田川さんとトークイベントを行っています。

大手町サドル事件

前田さんは入社以来、朝の4時30分~5時頃に出社していました。
電車が動いてないので自転車で通勤です。

マーケットが開くのが9時なのでその間に資料や新聞から実務の下準備をしていました。
新卒1年目の睡眠時間は2~3時間だったそうです。

ある日、自転車置き場にいくと自転車のサドルだけが盗まれていました。「めんどくさい事するな~」と怒りながら新しいサドルをつけると、数日後、また盗まれてしまいました。

前田さんは「もういいや!」とサドルなしの状態で自転車を走らせました。

そうすると案外乗れて、しかもずっと立ちこぎなのでいつもより5分くらい早く会社に着けました。朝の5分は重要、3つくらい新聞記事を多く読めます。

これに味をしめた前田さんはそのままの自転車で通勤し、1年間続けたそうです。
5分×30日=150分、年間で1800分。30時間もの時間をサドルの窃盗犯からプレゼントされたと前向きにとらえていました。

人にサドルなしの自転車で通勤している理由を話すとあきれられたそうです。

これは、「大手町サドル事件」と呼ばれています。

お客さんに相手にされない

必死で早朝に出勤して知識を詰め込み準備万端、業務時間が始まったら顧客に電話をかけて投資情報を提供しながら注文を取ります。その手数料収入が証券マンの成績になります。

しかし、新人の前田さんの電話は誰も取ってくれません。

誰よりも情報を持っている自負はあったのに闘いの舞台に立たせてもらえないのです。
そこで朝一から電話をつなぎまくっている先輩にコツを聞くと次のような教えを受けました。

先輩の教え
  • お客さんを想像しろ、どんな人なら仕事を頼みたくなるのか?
  • 仕事はゲームだ、ゲームに勝つにはルールを理解しなければならない。
  • 客のニーズを見極めろ、その時間にお客さんがどんな情報を欲しているのか考え抜け。

そして、「前田はプライドが高い」ともいわれました。

「プライドの高い営業の電話を取りたいと思うか?」

その話は、お客さんを接待した帰りのタクシーで聞きました。
先輩の顔は落書きされ、額にはマジックで肉と書かれていました。

その先輩は宇田川さんの一番弟子で成績もトップクラスなのです。

結局、超エリートばかりが集う証券業界でも「人間を見て判断する」というルールは共通しているのです。

その先輩の教えで夜の接待につきあい、裸踊りなど馬鹿をやり、名前を覚えてもらえるようにすると、朝の電話を取ってくれるようになりました。

お客
お客

昨日の前田クン凄かったねー、変なもの食べてたけど身体大丈夫?

この真理が分かってから前田さんの成績はどんどん上がっていきました。

ニューヨーク時代、YUJIはクレイジー

入社2年目で希望していたニューヨーク、アメリカ本社への転勤となります。
新人では異例の抜擢です。

日本で成績が上がり、ある投資家からの評価でトップとなった事がきっかけでした。

そこではスピード感とお金のスケールが日本とは全然違う取引が行われていましたが、そんなニューヨークでもトップの成績を取りました。

理由は、日本と同じでめちゃくちゃ働いた事、アメリカ人は家族との時間やプライベートを大事にするがそんな同僚を横目に働きに働きぬいたのです。

同僚
同僚

YUJIはクレイジー!

そんな風に言われるまで働きました。仕事も成績もうなぎ上りでトップランクのお客さんを担当していました。

収入も上がり満足する一方で、早くも山を登り切ってしまった、そんなむなしさに近い感情まで感じていました。

そんな時にギターを譲ってくれた恩人、親戚のお兄ちゃんの訃報が届きます。

身近な人の死にショックを受け、死について、人生について考えるように。

明日死ぬかもしれない、そんな状況で人が代わりに出来る仕事をしていていいのか。

価値の移動でなく、価値の創造がしたい。

自分が死んでも世に残る価値を作りたい。

そんな思いから会社を辞めて起業することを決意します。

SHOWROOM立ち上げ、ホリエモンや秋元靖との出会い

起業を決意した前田さんは仕事の合間に起業プランを練ります。

証券アナリストとして分析力をつけたおかげで、業態と業種からどれくらいの売上が経つのか予想する目が出来ました。

ところが、その肥えた超えた目で見ると自分のアイディアでは、出来て年間数億までの見通ししか立ちませんでした。

ただ、起業を考えていることは周りにもオープンに伝えていて友人や同僚から、起業するなら資金を出してくれると申し出てくれて、最低でも2億円くらいは集まりそうです。

進みつつも迷いがある中、最後に信頼の置ける人に意見を聞きたいと思い、DeNA創業者の南場智子会長に会いに行くことにしました。

DeNA創業者・南場智子との縁

DeNAの創業者・南場智子さんとは2009年の就活時、DeNAの最終面接で初めて会いそこからの縁があります。

面接時、15分しか時間がもらえないと聞いていたので、何か尖ったこと言ってやろうと意気込んでいきました。

履歴書をなめるように見ながら、次のような事を聞かれました。

南場
南場

君さぁ、結構苦労してきたでしょ?

前田さんはきょとんとしてしまったそうです。

そんな苦労感は一切履歴書には書いていないと思うんだけど、今日顔色悪いのかな…と思いました。

その後、話題は何が自分の活力でありモチベーションの源泉なのかという、飲みに行ったみたいな個人的な深い話に。

短い時間でしたが、なぜかすごく意気投合して、一緒に世界で天下獲ろうよという話になって終わりました。

結局、就職先は投資銀行に決めてしまったにもかかわらず、その後も半年に一回くらい南場から「よ!」とか「元気にしてる?」というショートメッセージのようなメールが届いていました。

そのたびに「元気です」と返信するくらいでしたが、繋がりは続いていました。

そして、2012年の年末、起業するにあたり南場さんの顔が浮かび、相談することにしたのです。

かわいそうな赤川さん

ちなみにDeNAには赤川さんという人がいて、就活時の最終面接が前田さん同様に南場さんだったのですが、赤川さんは南場さんから次のように言われました。

南場
南場

キミ、ご両親元気だよね?だと思ったよ、あんま苦労してなさそうだよね

赤川
赤川

!!!!!!!!!!!!!!

赤川さんはそれ以来「不幸や逆境を経験しなかったこと」をコンプレックスに感じていて、「生まれもってハングリーなやつらに負けるか」をモチベーションの源にしてバリバリ仕事こなし、最年少執行役員になったそうです。

面接の南場さんのコメントとモチベーションの持ち方が前田さんと真逆で面白いですね。

南場さんへの起業プレゼン

南場さんおすすめのカレーを食べながら、事業プランをプレゼンしました。

意見をもらおう、あわよくば出資してもらえないかと目論んでいましたが、強烈なアドバイスをもらいます。

前田
前田

!!!!

今、起業して、お前が死ぬほど泥臭くやれば上手くいくかもしれないけど、その可能性は著しく低い。それは事業の内容じゃなくて、人の問題。お前は「事業」を営む人間としては、まだ全くの青二才。

そして、

南場
南場

うちで、事業を立ち上げることのなんたるかを勉強して、その後、自分で起業する方が成功確率上がるし、いいのでは?まだ、25歳でしょ。

となんと入社を口説かれます。

思いがけない展開に驚きながらも妙に納得していると、

「お前が納得してないのに来てもらいたくない。納得するために必要な素材は全部用意するから何でも言ってよ」

と言ってくれました

翌日(12/30)から、社長の守安さんや同世代でゼロベースで自身の手で事業をどんどん立ち上げている優秀な人物などに会っていくなかで気持ちがどんどん傾いていきました。

そして最後に、

南場
南場

純粋に君の力が必要です。一緒に世界の頂を目指そうぜ

とシンプルに言われ、ノックアウト、Denaに中途入社して企業を目指すことになりました。

前田裕二の失敗

2013年の5月にDeNAに入社してすぐに南場さんから「一個事業を立ち上げてごらんよ」と言われます。

幾つかある事業アイディアの中でどれを出そうか迷いましたが、とっておきのアイディアは自分の人生の背景までかかわっていて重すぎると感じていました。

そこで出てきたアイディアが友達間だけで共有できる短尺の動画サービスでした。

基本的に友達だけが見られるようなコミュニティーで、10秒以内くらいの動画がさらっとタイムラインで見られて、なおかつそこにコメントを付けられるような機能でした。

しかしそれが大コケ、ピクリとも受け入れられませんでした。

前田裕二、しかしそれが大コケ、ピクリとも受け入れられませんでした。

普通の新人の失敗ではありません。南場さんの肝いりで中途入社し、社内でも注目されている立場での大コケ。

いきなり窮地に立たされた前田さんは、そのサービスを1ヶ月で潰し、自分の起業アイディアの中で取っておきを持ちだし挑戦したのがSHOWROOMでした。

SHOWROOM立上げ

事業をつくることは、嫌なこともたくさんあるし、意地悪もたくさんされるし、立ちはだかってくる壁をどうやって乗り越えていくかのゲームです。

そんなときに、拠り所になる自分自身の強い思いとか熱量がないと絶対にうまくいかないと気付き、自分にとって人生を賭けられる価値のあると思えるアイディアの実現に着手しました。

エンジニアを始めとするスタッフをそろえ、急ピッチで企画を進め、わずか3ヶ月後の2013年11月25日に正式リリースにこぎつけました。

しかし、いきなり問題が勃発します。
課金に当たる「ギフティング」がいっさい起こらないのです。

大きな期待を持って始まっただけに厳しい声が出てきます。

人によっては「SHOWROOMいつやめるの?」と言いだす人までいました。

前田さんからしたら、「ちょっとつまずいただけで、こんなに未来があるサービスになんてこと言うんだ?」という思いでしたが、結果が出ていないだけに何も言い返せません。

前田
前田

これが南場さんの言っていた起業のむずかしさか...

努力の方向も分からない暗闇の中であがく日々が続きましたが、自分の人生のコンパスに従いチーム一丸となって地道な度量を続けます。

そして3か月目、ようやく売上が伴ってきました。

アイドル市場しかも、すでに有名な人ではなくSHOWROOMの中で有名になるような人にフューチャーした方向性が当たった結果でした。

前田
前田

これは一人の力では達成できなかったな

USBでの上司・宇田川さんの「1.個人でできる成果は限られている、チームを大事にすること」の本当の意味がこの時やっとわかりました。

そして、SHOWROOMがさらにステップを上がるためにコラボレーションしなけらばならない人がいました。

AKB48グループを育て上げた大音楽プロデューサー・秋元康さんです。

秋元康とのコラボレーション

一番最初に会ったのは2013年10月末、秋元康の事務所を訪問、南場さんから紹介してもらいました。

狙いはAKB48グループにSHOWROOMに出てもらう事。
熱心にSHOWROOMについてプレゼンしましたが、全く興味を持ってもらえませんでした。

2回目は2014年、SHOWROOMがソニーと提携したタイミングで再度ソニーから紹介してもらいました。またプレゼンしますが撃沈、なかなか扉は開きません。

そして2015年の夏、3回目のチャンスが訪れます。
秋元さんが仕事でロサンゼルスに行くという情報をキャッチした前田さんは「自分もちょうど行くので向こうで合流したいです」と頼み込み、会える確約はありませんでしたが単身アメリカに渡りました。

飛行機で秋元さんの本を読みあさるなど、入念に準備をしていると、情報を提供してくれた人の計らいで一緒に食事をする機会が与えられました。

そこで再度プレゼンをしたところ「面白いね」「見た目は乃木坂のスカウトマンみたいだけど、真面目なんだね」と始めてSHOWROOMや前田さんの存在を認識してもらいました。

秋元康さんは一緒に仕事するかどうかを人間性を見て決めるそうです。

AKB48を立ち上げた時、「会いに行けるアイドル」として無名の新人を劇場に出して、7~8人しかお客さんが集まらない姿を見て、人に「秋元さんは何をやっているだ、すぐ辞めたほうがいい」と言われました。

しかし、秋元さんの中では「こんなすごい事をやっているのになんでみんな分からないんだろう?」と不思議だったそうです。

そしてもちろん活動を続けて、社会現象とまでなる大躍進を遂げたのでした。

すぐに成果が出なくても確信を持って続ける姿勢はSHOWROOM立ち上げのときの話とリンクしますね。

秋元康
秋元康

夢は全力で手を伸ばした1mm先にある

これは秋元康さんの名言です。

そして日本に帰ってから「前田君といっしょに仕事をしよう」と声をかけてもらい、AKB48とのコラボレーションが実現しました。

不断の努力を続ける前田さんが秋元康さんからも認められた瞬間でもありました。

こうしてSHOWROOMは次のステージに上がる事ができたのです。

ホリエモンと前田裕二

ホリエモンが秋元康さんに勝てないと思った瞬間がありました。

それは、秋元康さんが堀江さんに前田裕二さんを紹介した時です。

ホリエモン曰く、「前田裕二のような若者を見つけてきて紹介するのは本来自分の役割だ」

そこをトップの秋元さんが見つけてきて、プライドも何もなく目を輝かせながら紹介するその姿勢がすごいと思ったのだそうです。

秋元さんの話ですが、前田裕二がいかに2人から評価されているかが、わかるエピソードですよね。

ホリエモンは前田氏の著書「人生の勝算」の帯で

ホリエモン
ホリエモン

秋元さんが“堀江以来の天才がいる”というから会ってみたら、本当だった

とコメントを寄せています。

理論や分析力が評価される印象の前田さんですが、ある番組でホリエモンは「行動力が天才」と前田氏を評しています、以前日本にいる前田氏をイタリアに呼び出したところ、本当に来てしまったそうです。

ホリエモンチャンネルなどで共演しているのが見れますが、お互い認め合っていることが伺えます。ホリエモン認めていない人には容赦ないですからね。

プライベートでも付き合いがあるようで、石原さとみさんとの熱愛が発覚した時

「結構何十回も飲んでるのに1回も女の子を口説いているのを見たこと無いし、彼女の話とかも一切しないから『大丈夫かな』って逆にちょっと心配になっていたんですよ」

と話しています。

前田さんの前の天才ホリエモンの経歴は「ホリエモンの経歴 | 幼少期、両親、裏切り、結婚からライブドア誕生まで」でまとめています。

Aさん事件 - 人生のコンパス

小学生の頃、自分を育ててくれた兄を喜ばせたいという思いから、「学校で良い成績をとれば喜んでくれるのでは?」
という仮説を持った前田少年は、学年トップの成績を残せるまで勉強しました。

ただ、どうしても超えられなかった同級生が一人だけいました。それがAさんでした。

Aさんは算数の授業中、まだ授業では一切習っていなかった素数の話を滔々と始める。

なぜその子が素数について知っていたかというと、通っている塾ですでに習っていたから。

塾に行っているという環境の違いで差が出るのは納得いかない、そんなことで勝敗が決まるのはおかしい。

この事件を「Aさん事件」と呼び、自分を奮い立たせるための重要な事件としています

自分が妥協使用したりズルをしようとしたりすると昼間でもボーとAさんが現れてなにも感情のない顔で「お前はお金がないから勝てないんだ」と語りかけます。

その後ろには悪魔さえ見えます。

だから、午前2時まで喫茶店で限界まで仕事をして、閉店の時間になり、ふと眠りたいと思うことがあってもAさんが現れる。
それで午前5時まで空いている渋谷のスタバに移動して続きをすることができる。

通常、平日は3時間、休日は6時間しか眠りません。

「自らコントロールできない外部の問題によって、挑戦が阻害されたり、個人の能力に差が出る事が悔しい」と強く思う。

根底にあるのは、「人」に負けたくないのではなくて、あくまで、自分に課された「運命」に屈したくないという気持ちです。

逆境に屈することなく、どこまで高みに昇れるのか、自身の人生を通じて証明したい。

これが、前田裕二の根源的なモチベーションです。

彼はそれを「運命正当化の旅」と呼んでいます。

自分のような人がチャンスを逃さない様に「努力がフェアに報われる社会を作る!」それが前田裕二の人生のコンパスです。

そして、それを実現する媒体がSHOWROOMです。

2015年にはDeNAの会社分割により、サービスの運営を承継、SHOWROOM株式会社を設立。

売上は順調に伸び、なんと2017年と2018年の日本のアプリ売上ランキング1位です!

ただ、年間3億の赤字が出ており「投資期間」であり、まだまだ道半ばです。

前田さんの情熱がSHOWROOMを世界中にどんどん広げて、どこまで大きくなっていくのか、そのコンパスの指し示す方角から目が離せません。

最後に、人たらし前田裕二

前田さんと言えば石原さとみさんと熱愛が発覚した事でさらに有名になりました。
もう別れたとか別れてないとか。

ただ、これだけ精力的にまじめに活動しているので会う時間あるのかな?
仕事優先でケンカしないのかな?などと余計な心配をしてしまいます。

前田氏の親友の編集者・箕輪康介氏によると「目を見て名前を呼んで話すので女子は皆好きになる」と“前田女子”が沢山いると証言しています。

それも納得で、2冊の著書には前田さんの人の良さがにじみ出ています、特に「メモの魔力」からは読者に幸せになって欲しいとの思いが凄く伝わってきます。

40代のおじさんにさえ好感を持たせるその手腕とキャラクターは素晴らしいの一言です。

天才と言われていますが、前田さんの一番の才能はこの「人たらし」能力なのかもしれません。
秋元さんもホリエモンもみんなねたみなどなく、前田さんの事をニコニコ褒めています。

delyの社長の堀江裕介さんなどは「こんな性格いい人、他にいない」と言っています。

少し出来過ぎですが、彼の成功の物語はまだ始まったばかりです。

これからの活躍に期待しつつ、自分もガンバろ。

本記事は前田さんの経歴を追う構成であったため、2018年に発売したベストセラー『メモの魔力』 には、あまり触れていません。こちらの記事では、その『メモの魔力』の要約と共にさらに実践的に人生に活用する方法について書いていますので、こちらもチェックしてみてください。

おまけ – エピローグ

数十年後、とある豪邸の庭、真ん中に大きな池まであります。

「おーい、くにこ」

前田さんは妻の名前を呼びます。

「いないのか、そういやSHOWROOMのナミビア限定ライブに出るって言ってたかな、離れのスタジオか」

SHOWROOMはハリウッドと提携/バーチャルと現実世界の融合などで大ヒット、世界のエンタメ会のスタンダードとなって久しい。
今や、一夜にして世界のスターが誕生する可能性を秘めたプラットフォームとなっています。

「3年ぶりの孫が来るってのにしょうがないな。」

来るのは10人いる孫の内の唯一の女の子で、前田老人は溺愛していました。
今小学校2年生です。

「お爺ちゃん、久しぶり」

振り返るといつの間にか孫が庭の花壇のそばに立っていました、その姿を見て前田老人は、はっとします。

それはあの黒板に立つ少女そっくりでした、、、でも満面の笑みで微笑みかけていくれています。

笑う黒板の少女

そうか、いったん「運命正当化の旅」は終わったのかな......

じゃあ、早く次のコンパスを見つけないといけないな!

(おしまい)

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