スッキリのコメンテータなどメディアにも頻繁に出演されている、SHOWROOM社長の前田裕二さん。
じつは、現在のスマートな風貌から想像できないような過酷な少年時代をすごしています。
住むところが見つからずに、半年以上ホームレス生活していました...
- 8歳で両親を亡くし、兄と二人で育つ
- 親戚の家の物置に住む
- 弾き語りで生活費を稼ぐ
- 21歳で始めて国籍を取得
逆境の中、どのように天才・前田裕二が立ち向かっていったのか。
7分ほどの内容です、ぜひ最後までお付き合いください。
黒板の前に佇む一人の少女
前田裕二さんは真面目で勤勉なことで知られています。
そんな前田さんの情熱の原動力となっている風景があります。
少年時代。
教室の黒板の前に一人の少女が立っています。
顔は無表情。
その少女が言います。
「お前のような親もお金もない奴が私に成績で勝てると思っているの?」
成功した現在でもこの幻が頭に浮かび、自分を奮い立たせてくれるそうです。
こんな強烈なトラウマを抱える前田裕二さん。
どのような生い立ちだったのでしょうか。
参考:前田裕二さん著書「メモの魔力」
前田裕二と母親
前田裕二さんは、1987年東京で生を受けます。
3歳のときに父を亡くし、物心ついた時には父親はいませんでした。
母親は歌手でその影響から家族でよくカラオケに行っていた事が、その後の音楽活動やSHOWROOM立ち上げに影響しています。
10歳上の兄がいて、母親が仕事で忙しい中、よく面倒を見てもらっていました。
父親はいませんでしたが、母親と兄と3人で楽しく暮らしていました。
ところが、突然不幸が前田家を襲います。
8歳の時に地球上で一番愛していたお母さんが亡くなってしまったのです。
母の死
両親が亡くなり、兄と2人っきりになってしまいました。
住むところが見つからずに、半年以上ホームレス生活をすることになります。
警察に泊めてもらったりと荒れた生活の中で学校にも行きませんでした。
そのせいで九九の勉強が飛んでしまい、いまだに掛け算が苦手だそうです。
そこからようやく親戚のお世話になることが決まりますが、上手く馴染めません。
いろいろな事情があり、前田少年だけ2畳くらいの物置で生活していました。
そのせいで友達も呼べなくて、友達を家に呼ぶことが当時の夢。
小学4年でアルバイト探し
小学校4年になると肩身の狭い親戚の家での暮らしの中、少しでも稼ぎたいと思いアルバイトを探すことにします。
近所の駄菓子屋、コンビニ、家電量販店に行き、200円でもゴミ捨てでもいいから働かせてくれと交渉しました。
しかし結果はすべてNG。
そんなことから自暴自棄になり、グレてしまいます。
「母のいないこの世の中で生きていてもしょうがない」
そのように考え、負の感情を周りにぶつけまくっていました。
前田裕二と父親
前田さんが3歳の時に亡くなった父親の経歴についてはあきらかにされていません。
ただ、前田さんは21歳で始めて国籍を取得するなど、複雑な家庭環境であった事が伺い知れます。
前田裕二と兄
両親を亡くし、荒んでいた前田少年に転機が訪れます。
小学5年生の時に、人に迷惑をかけるようなことでお金を稼いでいたことがバレて大問題に、それは当然兄にも知れます。
10歳年上の兄は怒りながら号泣してしまったそうです。
唯一残った、たった一人の肉親が泣いているのをみて、前田少年はある事に気付きます。
お母さんはいなくなったけど、自分にはまだ兄がいる。
この人を幸せにすることに人生の意味を見出そう。
「大好きなお母さんがいなくなってしまっても、生きる意味はあったんだ」
始めてそう思えました。
両親が死んだとき18歳だった兄は、医者になる夢を捨てて、すぐに働きだして前田少年を養ってくれました。
10個も上なので、兄というか、父のような存在です。
僕の名前を付けたのも兄、赤ん坊の頃オムツを替えていたのも兄。
愛してくれている家族がまだいる事に前田少年は気付きました。
兄を喜ばせたい
この事件以来、「兄を喜ばせたい」という思いが、生きる原動力となりました。
その為に取った手段が次のことでした。
- 成績を良くすること
- 勉強をしている証として「メモをノートにとにかくたくさんとって、綺麗にまとめて見せる」こと
綺麗に取ったノートを見せると兄は本当に本当にうれしそうな顔をして、手放しで喜んでくれました。
これがメモ魔、前田裕二の原点です。
そしてメモを活用し必死で勉強しました。周りの子は塾に行き、学校より少し先の勉強をしていて、塾に行っている子になかなか勝てませんでした。
お金がなくて塾に行けなかったのが、ものすごいコンプレックス。そこで塾に行っている子に負けないために日常のどんな事も「メモ」をして、そこから学んでいく姿勢を身につけました。
「恵まれてた環境の奴らには負けない」
「いい通知表を持っていったら兄が喜んでくれる」
そんな思いから勉強に熱心に取り組んだ前田少年の成績はぐんぐん上がっていきました。
現在の前田裕二と兄
現在お兄さんは、結婚して奥さんと子供が2人います。
昔から一貫して「家族を大事にする」ことを最優先事項としていて、外資系の化粧品大手から高額給与のオファーが来た時も、家族との時間が減るとの理由で断ってしまったそうです。
子供の頃は10歳年の離れた、前田さんの面倒をみる事を最優先とし、今は自分の子供・奥さんを最優先事項としてます。
そんな兄を前田さんは「何を大切にするか決めている」自分の軸がある人であり、心から尊敬しています。
「1日のほとんどを仕事に当てている自分」と「仕事は最小限で効率的にこなして家族との時間を一番大切にする兄」、自分の軸・価値観は人それぞれだからそこに優劣はなく、自分の船の指針をもっていることが重要で幸福になるコツと語っています。
弾き語りで生活費を稼ぐ
前田家は常にお金が不足した状態でした。
そこで小学6年の頃、親戚にもらったアコースティックギターを片手に、駅前で弾き語りを始めます。
お金がない!
最初は1か月毎日やっても月に500円も稼げない。
ただ、ここであきらめるわけにはいきません、お腹も減っていたし、精神的・肉体的苦しさから解放されるたい!
どうすれば、足をとめてくれるだろうか...
そこで、通りかかる人の気持ちになってどうすればいいか考えました。
オリジナル曲の方が付加価値が高いと思ってそればかりやっているが、それが良くないのではないのか?
確かに決して小ぎれいではない格好をした少年が、知らない曲を歌っていても「CD売りつけられそう」、とか「投げ銭よこせとか言われそう」と警戒するかもしれない。
そこで、警戒心を解くために、カバー曲に切り替えました。
知っている曲の方が、人の警戒心を外しながらも、注意や関心を引けると思ったからです。
すると目に見えて立ち止まってくれる人が増えてきました。
「つっこみどころ」を作る
次の改善は、看板にその日歌う予定のセットリストを書くことです。
「吉幾三」とか「村下孝蔵」といった、明らかに少年が歌っていたらおかしい曲を書いてみた。
道行く人が「おや?」と思うような「つっこみどころ」を何らか作れば、自分のコミュニケーション範囲まで人が入ってくる確率が上がると思ったからです。
そうすると、お客さんから話しかけてくれる回数を飛躍的に増やすことに成功。
なんで吉幾三なんて知ってるの?
小学生が一生懸命ゆずの失恋ソングを歌ってたら、大人から見て絶対可愛いだろうと計算するなど、話題となる選曲を続けました。
しかし、通行人が立ち止まり、話しかけではくれますが、なかなか「ギターケースにお金を入れてもらう」という売り上げにつながりません。
そこでターゲットを絞り、特定の顧客により深くかかわれるようにする作戦に切り替えました。
例えば、マダムにターゲットを絞って、若かりし頃にハマったであろう、松田聖子さんの曲を歌う。
そうすると、たくさん話しかけてもらったり、特にはリクエストをもらえたり、それなりに成果を上げることができました。
ただ、リクエストに応えてすぐに歌ってしまっても、投げ銭してもらえるところまで到達しないことに気が付きました。
「リクエストを受けても絶対に歌わない」作戦
そこで思いついたのが、「リクエストを受けても絶対に歌わない」作戦。
例えば「松田聖子 白いパラソル」をリクエストされても知らないふりをして、
絶対覚えてくるんで、1週間後の同じ時間にもう一回ここに来てくれますか
と伝えて、来る事を約束してもらいます。手帳に予定を書き込むまで帰さない!
そうすると、1週間後に実際に歌ったときには、もはや歌のうまさとかは聞いてなくて「1週間、どうやって練習したんだろう」「私のためにどれくらい練習してきてくれたんだろう」と、前田少年の演奏を、自分事として考えてくれるようになります。
そうやって感情移入のレベルを上げていくとで、1万円札を入れてくれたこともありました。
プロや本人のクオリティレベルからほど遠い僕がが歌う松田聖子自体に価値はない。
歌や演奏のうまさで感動させるのではなくて、その人のためだけに一定の時間をかけて本気で努力をしたという、歌の裏側にあるコンテクストやストーリーで感動をもたらせないだろうか。
そう考えての作戦でした。
このようにPDCAをまわして、徹底的に顧客の気持ちになって考え抜いて、課題を解決して成果(ごはん!)を得ていきました。
最初は月に500円でしたが、半年後には10万円ほどのお金がギターケースに入るようになりました。
恐ろしい小学生ですね。
ちなみにギターをもらった親戚とは後にビジュアル系バンドを組む事になります。
進路
中3になり、卒業が近づきます。
前田少年は就職してお金をいち早く稼ぎたいと鳶職(とびしょく)になることを考えていました。
自立できる歳にお金を払って学校に行くなんてありえない、お金を稼いで誰にも迷惑をかけずに自由に生きたい。
そんな事を考えていました。
ところが、お兄さんに「お前が後悔しない決断をしろ」と言われます。
人生の重要な決断の場面ではお兄さんはこの言葉を使います。
なんども考えた結果、前田さんは 兄の言葉を次のようにとらえました。
- ちゃんと深く内省して決めろ
- 意思決定した時点では、そもそもどっちが正解もない。だから後で後悔することが無いように決めた後のアクション頑張れ。
つまり自分の選択を正解に導くのは、選択した後の自分次第であると、だから逆説的に頑張れる後悔しない選択をちゃんとしろと。
そして熟考した結果、高校に行くことに決めました。
こうして、圧倒的逆境からお兄さんお陰で立ち直った前田裕二少年は、進学しその才能を開花させていきます。
いつか「黒板の前に佇む一人の少女」が微笑みかけてくれるのまで、その歩みは止まりません。
参考資料
本記事作成にあたり文中で紹介した以外にも次のサイト・本を参考にさせていただきました。
◆書籍:
人生の勝算おすすめ
◆WEBサイト:
澤本・権八のすぐに終わりますから。アドタイ出張所 (ゲスト前田裕二)
◆YouTube:
ホリエモンチャンネル:前田裕二