1990年代にアメリカ、ウォール街にはとんでもない怪物ファンドが存在しました。
そのファンドの名は、ロングタームキャピタルマネジメント、通称LTCMです。
このファンドはウォール街の帝王と言われたソロモン・ブラザーズの元副会長ジョン・メリウエザーが立ち上げました。
さらに、ノーベル経済学賞の受賞者が2人、FBRの元副議長まで在籍する金融界のオールスターチームだったのです。
日本で例えるなら、原辰則が監督で投手に松坂・マー君・ダルビッシュ、野手にイチローがいる第2回WBCの日本代表チームのようなものです。
ノーベル経済学者2人の「投資モデル」を天才トレーダー達が運用し、元FBR副議長がバックアップする。
完璧なファンドは、当初大成功をおさめ、ファンドには富裕層の顧客が殺到します。
しかし、1998年のロシア危機により、LTCMはあっけなくその幕を閉じてしまいます。
なぜ完璧に思えたチームはわずか4年のうちに破綻してしまったのでしょうか。
ノーベル賞も認めたその「投資モデル」には、たった一つだけ計算漏れがありました。
それは「人の心」でした
そのロジックには恐怖に流される人の心がインプットされていなかったのです。
今回は、その完璧と思えるチームの没落の物語をお伝えします。
無敵のドリームチーム
ソロモンのジョン・メリウェザー
LTCMを立ち上げたジョン・メリウェザーとはどんな人物なのでしょうか。
一言で言うと「好感を抱かざるを得ない人物」
メリウェザーは自分はあれこれと質問してしゃべるのを客に任せる。
話の聞き上手タイプです。
人を押しのけるのが当たり前の金融業界にあって、その人柄の奥ゆかしさ際立っていました。
.......
メリウェザーは数学教師を務め、シカゴ大でMBA(経営学修士)を取得。
1974年、27歳で名門投資銀行ソロモン・ブラザーズに入社しました。
1977年に抜擢されにアービトラージ部門を立ち上げます。
アービトラージは「裁定取引」や「サヤ取り」と呼ばれる投資手法で、大きな資本で少額の利益を積み重ねる取引です。
この部門は、莫大な利益をソロモンにもたらします。
1980年代始めには、アービトラージ部門だけでソロモンの全収益の半分を稼ぐほどの活躍をします。
メリウェザーのチームはソロモンの他のトレーダーと比べて異質でした。
勘と度胸が頼りの男の商売トレーディングにはインテリ連中は不要と言われていました。
しかしメリウェザーは数学講師だったキャリアを活かし、逆に自分の強みとして学者達を自分のチームに加えていきました。
グレゴリー・ホーキンス | MITで金融経済学博士号取得 |
ローレンス・ヒリブランド | MITで二つの博士号 |
エリック・ローゼンフェルド | ハーバードビジネススクール助教授、コンピューターマニア |
ビクター・J・ハガニ | 金融学 修士号を持つイラン系米国人 |
1987年、ソロモンに乗っ取り屋の買収の危機が訪れます。
危機回避のため、ウォーレンバッフェットにソロモンの経営権を譲ることになりました。
そんな中でも、他部門が苦戦する中、アービトラージ部門は利益を上げ続けます。
メリウエザーのチームは発言力を強めていきました。
しかし、上手くいっている時ほど不幸が起こるものです。
1991年、部下のモーザーが米国債の入札で不正を働き、その責任取らされメリウェザーはソロモンを追放されてしまいます。
ソロモンに忠誠を誓っていたメリウェザーは裏切られた形になり意気消沈。
そして、ソロモンと袂を分かち新ファンドを設立することを決意します。
元メリウエザーのチームのトレーダー達はひとり、またひとりとソロモンを抜け、メリウエザーの元に集っていきました。
「裁定取引」や「サヤ取り」。同一の価値を持つ商品の一時的な価格差(歪み)が生じた際に、割高なほうを売り、割安なほうを買い、その後、両者の価格差が縮小した時点でそれぞれの反対売買を行うことで利益を獲得しようとする取引のこと。機関投資家などが、リスクを低くしながら利ざやを稼ぐ際に利用する手法です。
機関投資家などが大きな資金でサヤ抜きを狙う手法として使われるのが一般的。
裁定取引は、その取引を積極的に行う市場参加者が増えるほど、市場の歪みが短時間で解消される方向にはたらく。つまり取引する人が減る(流動性がなくなる)と歪みは解消されにくい。
LTCMの誕生
ソロモン時代の部下たちを引きぬき、チームを形成していったメリウェザーは、新しいファンドの看板となる人材をさがします。
そして、ノーベル賞の最有力候補の二人をチームに加える事に成功します。
看板を得たファンドは、大手投資銀行メリルリンチにロングタームの資金調達を引きうけてもらえることが決まります。
そして、アメリカの中央銀行にあたる米国連峰準備制度理事会(FRB)副議長のデビッド・W・マリンズも参画が決まります。
ドリームチームの誕生です。
中央銀行の後ろ盾を得たLTCMの資金調達は順調に進み、12億5千万ドル(1,000億)をかき集めました。
ドリームチームの看板で、多額の資金を集めたLTCMですが、投資を募る時にも自分たちの投資戦略を語ろうとしません。
また、ファンドの条件は強気そのものでした。
- 手数料1 収益の25%(通常は20%くらい)
- 手数料2 運用資産の2%(通常は1%)
- 1人当たりの投資額を最低1千万ドルに設定
- 投資期間は最低3年間
また、メリウェザーをはじめとする自社のトレーダーたちが個人資産を合計1億4千ドル投資していました。
その顧客も異例なもので、民間のファンドには普通投資しない世界中の政府系機関、大学、一流企業のCEOなどが投資していました。
とにかく異例尽くしでファンドはその運用をスタートしました。
LTCMの投資手法
LTCMの投資の基本理念は、マートン達の「投資モデル」を活用して市場の「非効率」が収束し「効率化」に向かう事に賭けることでした。
つまり、一時的に相場が荒れてもあれてもいずれ鎮静化に向かう方向に-つまり株価の変動性が低下する方向に賭けるのでした。
ただ利幅は微々たるものなのでそれを補うために莫大な資金にさらにレバレッジをかけて、利益を得ていました。
そしてそれを世界中の市場で大規模に行っていました。
「てこの原理」という意味ただ、金融業界でレバレッジといった場合には、借入れを利用し、収益を高める効果が期待できることを指す。例えば、株信用取引。委託保証金率30%の信用取引では、売買代金の30%の委託保証金を差し入れることで取引が可能となります。リターンも大きくなるが損失も拡大する
LTCMのトレーダー
LTCMのトレーダー達は基本学者気質で人付き合いが下手で変人扱いされていました。
そして秘密主義で取引内容を明かさない、年上にも全く敬意を払わない。
銀行にも自分の取引・どこにどれだけ投資しているかを全く説明しませんでした。
バカにした態度、で取引相手の不満は募っていました。
その分、チームの結束は強く、休日も一緒に過ごすなど、信じがたいほど結束が固い。
メリウェザーは部下が取引の提案をするとあっさり認め、部下にもっと詳しく説明しなくていいのかと問われると次のように答えました。
私の取引は君を雇った時にすんでいる
運用開始、快進撃
1994年運用開始、グローバル市場の投資家がメキシコ危機で大火傷を負っているのを尻目に、ロングタームはかすり傷ひとつ負わず快進撃を続けた。
平均的な債券投資家がマイナスであった年に28%の利益
翌年はさらに加速し、1995年度の終わり、自己資本46億ドル、総資産は1,400億ドル(11兆)まで増加しています。
ウォール街の老舗のいくつかリーマンやモルガンを追い越し、古巣のライバルソロモンも射程に収めた
低い利ざやで30倍と言われるレバレッジの力で稼いでいた、しかしその内容は全く公表されず
結果だけから、そのメンバーの豪華さと相まって神格化されていきました。
「誰もが彼らの知性に心を奪われていた」
自分の給与をほとんどファンドの投資に充てていたトレーダー達は使いきれないほどの資産を築きました。
彼らは決して謙虚ではなく、ハーバードやMITを卒業した秀才特有の傲慢さがにじみ出ていました
トレーダーの1人は友人に言った
どうして僕たちがこんなに稼げるか分かるかい?
?
ほかの連中より頭がいいからさ
ノーベル経済学賞受賞
1996年はなんと57%のリターンを達成、21億ドルの収益
これはマクドナルドが世界中でハンバーガーを売って稼いだそれを上回った。
また、これは ディズニー、アメリカンエキスプレス、ナイキなど日本でもお馴染みの世界企業をも上回っている事を意味します。
一方、古巣のソロモンはJM退場後、失地を回復しきれません。
LTCMは、完全にソロモンを追い抜き、メリウェザーは溜飲をさげます。
やっと見返せた
1997年10月 マートンとショールズがノーベル経済学賞を受賞。賛辞の言葉が2人に贈られる
「われわれが目にした最も優美にして最も正確なモデルの一つ」
「マートン・ショールズの両氏が1973年に成し遂げたのはリスクに値段をつけることだった」
「スウェーデン王立アカデミーは、次の見解を明らかにした-市場は機能する」
LTCMの誤算
暗雲
順調なLTCMでしたが、少しずつ暗雲が立ち込めてきました。
快進撃をみて、他の銀行が債券アービトラージのゲームに参入してきたのです。
投資機会減が少します。
このまま輝かしいリターンを維持したければ、資金を運用するしかない、LTCMは徐々に危険な取引に手を出していきます。
- M&Aアービトラージ:企業の発表済みのM&Aが成立する事に賭ける
- 現物の株式
- ブラジル債やロシア債
国債なら間違ってもスプレッド(売付価格と買付価格の差)のずれは0.5%程度だが、リスク・アービトラージで間違えば50%を失いかねない。
武器だったはずの慎重さを脱ぎ捨てていきました
1997年7月 アジア危機勃発、通年で17%の利益にとどまりましたが、市場環境を考えれば検討した方でした。
1997年の年末、LTCMは自己資本が70億ドル近くとなります。
自己資本が膨らみすぎたことから、一方的に投資資金の半分を変換するプランを発表。ただその内容は、
・LTCMのトレーダーと社員は例外、
・主要戦略パートナーも例外
で、あくまで自分たちの投資資金は維持しました。
ただ、自己資本を減らしただけで、投資金額は変更していませんでした。
つまり、この期に及んでレバレッジを引き挙げた事になるのです。
そのレバレッジは30倍にもなろうとしていました。
アジア通貨危機
経済が急成長した事から当時、東洋の奇跡と言われたアジアであったが、ヘッジファンドに目をつけられ通貨の空売りを仕掛けられたことから状況は一変。
タイが金融不安に見舞われ、たまらず為替レートを変動相場制に移行。
バーツは20%下落。
通貨安は、フィリピン ⇒ マレーシア ⇒ 韓国へと広がり、シンガポールドルも売りを浴びる。
マレーシアのマハティール・モハマド首相は、外国のゴロツキ相場師特に「ジョージソロス」がアジアの虎を叩き売ったと避難した。
ただ、傾いた船を見捨てたからといって、投資家を避難するのは筋違い。
原因はあまりにもやすやすと欧米の銀行・投資家がアジアに融資した事、これが船をがむしゃらに進ませる原動力になった。
1997年10月1日の1日だけでアジア大暴落、インターネットが普及した今日、金融メルトダウンはこれまでにない速さで伝搬。
10月下旬には、アジア全域で企業のデフォルトが相次ぎ、景気後退懸念をあおった
10月27日 、ついに米国にも上陸、朝から激しい売りを浴びて、パニックを回避しようと取引停止措置が2度発動
ダウは過去最大の下げ幅を記録した。
ロシア危機
1998年 最初の数カ月は平穏でした、IMFが韓国政府救済策をまとめ、これを境にアジア危機は鎮静化に向かった。
危機が起こるたびに米国やIMFがメキシコ、タイ、韓国を救済。
誰ひとりアジア危機が拡大するとは思っていませんでした。
世界は通常取引を再開、ダウは過去最高値を更新しました。
ロングタームも平穏に戻り、悩みは膨らんだ資産に対して利益の見込める投資先が見つからない事。
1998年5月、インドネシアでIMFの救済策が暗礁に乗り上げ、市民の暴動騒ぎでスハルト大統領が32年続いた政権が幕を閉じます。
次はロシアとまことしやかに噂されます。
1998年6月、ソロモンがついにアービトラージ部門畳む決心を固める
古巣の臨終を見届ける形になり、メリウェザーの完全勝利。
LTCMは祝杯をあげます。
ソロモンのアービトラージ部門は当然LTCMと同様のポジションを保持しており、解散による売却が不安定だったLTCMを苦しめます。
これが、LTCMの破綻の始まりでした。
潮目が変わり、LTCMは損失を出し始めます。
ロシアの短期債利回りが、120%となり、危険水域となります。
でも、市場関係者には楽観論が根強くの残っていました、その一つの根拠が
「核保有国はデフォルトしない」
ことでした。
1998年8月13日 ロシアの短期利回り200%
そして、8月17日月曜日、ロシアがあっさりデフォルトを発表します。
核保有国はデフォルトしないはずではなかったのか、グローバル市場の金融警察IMFが万事上手く解決してくれるはずではなかったのか。
この時市場で何かが壊れ、そこから世界中の市場が崩れた。
参考 この時の世界のリスク
- ロシア危機
- アジア危機
- イラク兵器査察団の受け入れ拒否
- 中国人民元切り下げ懸念
- クリントン大統領のホワイトハウス研修生モニカ・ウインスキーとの不倫疑惑
破綻
1998年8月21日金曜日
ロングタームは見渡す限りすべての市場で損失をだしていた。
信用スプレッド(売付価格と買付価格の差)の拡大は止まらない。
この1日で自己資本の15%、5億5千ドルを失った。
この時点で年初46億7千万あった自己資本は、29億ドルに目減りしていた。
日曜日、ロングタームでは緊急会議が開かれた、
しかし、そこでの結論は「スプレッドは必ず戻る、市場はいずれ収束する」
ただ、レバレッジは危険水域まで上がっており、著名な投資家に融資を頼むことになります。
まず、ウオーレンバフェットに頼りました。
NO!
次にジョージソロスを頼ります
1週間後に5億融資してもいい
ただし、1週間以内に5億を他の人から調達できたら
月曜日、メリウェザーはメリルから2億の融資を取り付けます。
あと3億
その間にも損失は広がっている。ポジションを切りたいが買い手がいない。
スプレッドは広がり続けていました。
長い目で見ればスプレッドは終息するでしょう。
ただ、長い目で見るのはある種の贅沢です、強烈なレバレッジを賭けた投資家にはその贅沢は許されません。
金曜日の時点で自己資本は22億ドルとなった。
あれほど、融資を望んでいた銀行だが、今となっては残りの3億を融資する銀行は見つからなかった。
タイムリミットがきて、ソロスの融資の件は消失した。。。
この時点で1250億ドル、レバレッジ55倍
9月に入っても潮目は変わらない、そして不思議な事が起こっていた
市場の中でもロングタームの取引だけ他より大幅に下がっている。
ロングタームが苦境のうわさが広がり、先回りして売っているのだ。
市場はいつでも弱者に厳しい。
ロシアのデフォルトから1カ月後、ロングタームの自己資本は15億ドルまで減少していた
うなだれるトレーダー達、もはやLTCMの破綻は確定的だった。
そんなある日、ついにFRBがその重い腰を上げました。
たった一つの誤算
マートンの「投資モデル」は、素晴らしいものだった。
ノーベル賞が保証しています。
ただ、その計算式にはたったひとつ重要な要素が抜けていました。
それは...
人間の心理が抜け落ちていたのです。
例えば、確率の計算の条件はひとつひとつの結果が前回の結果から独立していることです。
コインは3回続けて裏が出てもそれを覚えていない。
4回目のオッズも裏か表か50%ずつです。
ところが市場には記憶と感情がある、持続を望んだり、恐れたりする。
4回目は完全にランダムとは言えない。
損失が出て売らざるを得ないトレーダーもいれば、後ろを振り返り泡を食って我先に売りに走る投資家もいる。
マートンの描く市場には、この人間の精神がすっぽりと抜け落ちていたのです。
それは、但し書きに「嵐の日を除く」と書いてある保険のようなものでした。
モデルによるとロングタームが破産する確率は10の24乗年に一度とされる統計学上の異常値がないと起こらない。
しかしそれは、ファンド発足から4年目に起こった
解散
支援
FRBが恐れたのはロングタームの破たんでも、市場の下落でのなく、市場が大混乱の果てに機能を停止する事でした。
過去半世紀で最悪の危機と認識していました。
FRBは、アメリカの主要銀行を召集します。
通常ではありえない、史上始めての豪華メンバーが、一つの会議室に呼びつけられます。
- ゴールドマン・サック
- JPモルガン
- リーマン・ブラザーズ
- メリルリンチ
- モルガン・スタンレー
- ソロモン・スミス・バーニー
- バンカース・トラスト
- ベア・スターンズ
- チェース・マンハッタン
最初銀行側は、LTCMから絞れるだけ絞って破綻させるプランを思い描いていました。
ただ、そうすると、もろとも地獄に落ちる可能性が高い事が見えてきました。
そこで、しぶしぶ手を組んで解決に乗り出すことにし、メディアに発表します。
しかし、発表したものの各銀行が互いの利益を主張するため、解決しなければいけない問題が山積し、なかなか交渉がまとまりません。
9月21日月曜日、LTCMはさらに5億5千ドルを失い、自己資本が残り10億ドルを切る。
すでにレバレッジは100倍を超えています。
9月22日火曜日 1億5千ドルを失う、残り7億7千ドル
9月25日金曜日 残り4億ドル
不可能に思えた交渉ですが、ここにきてようやく上手くまとまりだしました。
条件を満たせば、融資が受けられる事が決定します。
1日で36億5千ドルの融資を取り付けたのです。
しかし、この融資を受けるためには、最後の障壁をクリアする必要がありました。
最後の障壁とは......
最後の障害
なんと最後の障害はLTCMの学者トレーダー達でした。
銀行から提示された買収の条件は厳しく、甘やかされてきたトレーダー達にとって屈辱的なものでした。
トレーダー達はこの条件なら働かないで破産すると脅すのです。
融資を受ける側が条件をつける場合もあるのです。
そして交渉の末、銀行側にボーナスを認めさせたのでした。
天才集団は最後まで自分の主張が正しいと信じ続けていました。
ケインズの言葉に「健全に考え抜かれた一つの賭けの方が、誤解に基づく沢山の賭けより好ましい。」というものがあります。
LTCMのエピソードは、別々の籠に分散した卵が同時に割れる事もあると証明しています。
投資に絶対はない
これが、LTCMをめぐる繁栄と破綻の物語です。
どんなに優れた理論にも穴があり、絶対はない。
また人は追い詰めらるとどんな天才でも間違いを犯すということを現した事件ではないでしょうか。
天才でない私は当然のように同じような失敗をしております。
投資は余裕資金でやりましょう
また、ジョン・メリウェザーについて別の視点で記事にしております。よろしかった、こちらもどうぞ。
(おしまい)