みなさん、ライブドア事件をご存知でしょうか。
この事件でホリエモンは、実刑判決を受け、1年9ヵ月の刑期を終えています。
しかし、現在までホリエモンは一度も罪を認めていません。
8分ほどのボリュームです、ぜひ最後までおつきあいください。
ライブドア事件の経緯
はじめにライブドア事件とはどんな事件だったのか、事件の背景から辿っていきます。
事件が起こるまでのライブドアの状況
ITバブル崩壊寸前の2000年4月、堀江貴文社長ひきいるオン・ザ・エッヂは東証マザーズに上場します。
上場により潤沢な資金を得ますが、徐々に本業のインターネット関連ビジネスが行き詰まり始めてしまう事態に。
そこで活路をファイナンス(M&Aなど)に求めます。
最初は苦戦しますが宮内CFOなどの活躍で、収益にしめるファイナンス部門の比率が上がり始めます。
2001年は収益の1割ほどだったのが、2002年で4割、2004年ではなんと9割5分まで占めるようになっていました。
一方でその他の部門の営業利益はほとんど増えていません。
そんな中、2004年6月に近鉄バッファローズ買収に名乗りをあげてからホリエモンが世間を騒がしだします。
2004年6月 近鉄バッファローズ買収宣言
2005年2月 ニッポン放送買収
2005年8月 衆議院選挙立候補
ホリエモンの知名度上昇とともにライブドアの知名度も上昇。
ポータルサイトの会員数も1000万人、Yahoo!との差はまだあったが、ようやく背中が見えてきました。
世間を騒がせたホリエモンも選挙で負けて社長業に復帰。
次は何をする気だ、世間はホリエモンの次の動向に注目していました。
順風満帆に見えたライブドアとホリエモンですが、この時すでに捜査の手はすぐそこまで迫っていました。
不穏な動き
2005年12月、元役員から電話がかかってきます。
検察庁に呼ばれて、赤字会社の買収について聞かれました
何の事だろうと、ファイナンス担当の役員(CFO)の宮内亮治氏に確認したが、やはり分からないと言います。
その元役員は精神的に疲れてしまって退社した人物だったので、なにか勘違いしているのかとそれ以上深追いしませんでした。
しかし、これが2011年の最高裁判所の判決まで続くライブドア事件の始まりだったのです。
ライブドアへの強制捜査
2006年1月16日、ライブドアに激震が走ります。
容疑は、証券取引法違反。
堀江氏などの幹部は会議室の一室で待機、突然来た検察の捜査を黙って見守るしかありません。
先ほどまで普通に働いていたオフィスが検察たちに踏みつけらています。
突然業務がストップされたライブドア、夜のニュースにもなり、世間はこの話題でもちきり。
翌日からの株式市場は大混乱、ライブドア関連は株はのきなみストップ安となります。
さらに、マネックス証券がライブドアの信用担保率を0%にする措置を取ると市場は大混乱。
取引量が想定を超えてしまったため、東京証券取引所は前代未聞の全取引停止の措置をとります。
強制捜査時に中国に出張に行っていたCFOの宮内氏がようやく会社に到着すると、さらにとんでもないニュースが告げられます。
遅くなりました。社長、大丈夫ですか?
落ち着いて聞いてくださいよ。野口さんが亡くなりました。
1月18日、ライブドアのファイナンス部門と取引のあった野口HS証券副社長(元ライブドア社員)が沖縄のカプセルホテルで自殺してしまいます。
疑惑が疑惑を呼びワイドショーは連日この事件を報道。
様々な憶測がされましたが、結局真相は闇の中となりました。
1月23日、ついに証券取引法違反容疑で堀江貴文社長が逮捕されます。
その他、宮内・岡本・中村の取締役3人も逮捕。
加えて2月22日、熊谷さんが新たに逮捕されました。
主要幹部が逮捕され、ライブドアは機能しなくなります。
押し出されるように社長に就任した平松庚三氏は、ITにもファイナンスにも詳しくない人物でした。
こうしてライブドアは骨抜きにされ、 ホリエモンは時代の寵児から一転、拘置所に勾留され、容疑者として取調べの日々が始まりました。
取り調べと独房の日々
勾留されると取り調べの日々が始まりました。
最初は取調べする検察官に怒鳴ってクレームをつけるなど勢いがありましたが、日がたつにつれて、さすがのホリエモンも消耗してきます。
弁護人との短時間の面会や取り調べはありますが、基本的には鏡も時計さえもない独房で話す相手もなく1人過ごす日々が続くのです。
特にドアノブがなく自分からは出る方法がない事が圧迫感がありキツイ。
ただ、取り調べでは一貫して無罪を主張し続けます。
そんなある日、取り調べをする検察官より信じられない事が伝えられます。
宮内氏は全ての容疑を認め、主犯は堀江だったとの証言をしていると言うのです。
なぜだ?、何も悪い事はしていないはずだ、無罪で闘えるだろう
これまで苦楽を共にしてきた一番の部下の裏切りが信じられません。
ホリエモンは腸が煮えくりかえる思いで、何もない独房の壁をいつまでもにらんでいました。
独房で最もきつい事は取調べや面会以外誰とも話せないことで、辛いはずの取り調べが人と話せる機会として楽しみにすらなってきます。
休日は取調べがないため、憂鬱になり、ホリエモンもだんだん精神安定剤や睡眠薬の世話になるようになってきました。
ここで消耗し、検察に屈して罪をみとめ、調書の内容をろくに見ないでサインする人もいるとか。
ある時、弁護士からライブドア社員からの色紙が手渡されます。
そこには応援メッセージがびっしり書き込まれていました。
ホリエモンは人目もはばからず号泣し、嗚咽します。
精神的に弱ってきているのです。
勾留も40日を超えてくると、さらに消耗し薬の量も増えくる。
そんなホリエモンの弱っている様子をみて、検察官が追い打ちをかけます。
ざっと見積もって、あと6ヵ月くらいかな。
こんな生活があと180日.....
限界がきていました、これ以上こんな生活をしていたらおかしくなってしまします。
「 よく頑張った、もういいだろう 」
憔悴していたホリエモンは、「事実はわからないが、保釈を勝ち取るため、経営トップとして罪を認めてもかまわない」と妥協できる範囲で調書をまとめてもらいます。
捜査に協力し罪を認めれば、実刑となっても執行猶予が付きやすくなる。
弁護士と表現の調整をして、サインをしようとします。
しかし.......
だめだ、こんなことしちゃだめだ
寸前で思いとどまります。
偽メール問題
少し脇にそれますが、ライブドア事件の中で1人の議員が辞職し、民主党代表が辞任しています。それが「偽メール問題」です
逮捕から一月余りがたっていたが、まだまだワイドショーなどで連日報道されていた2006年2月16日。
衆議院予算委員会の一般質問で民主党の永田寿康議員が堀江氏が発進したというメールを提示し、選挙中の裏金の証拠だと言うのです。
その内容は、次のようなものでした。
subject:至急
シークレット・至急扱いで処理して欲しいんだけど、おそくても31日できれば、29日朝までに●さん宛てに3000万円振り込むように手配してください。(前回、振り込んだ口座と同じでOK)。
項目は選挙コンサルティング費で処理してね。
●●●●●●●●●●●●、宮内の指示を仰いで。●●には、こちらからも伝えておくので心配しないで。
●堀江
永田氏は●のところに武部幹事長の次男の名前が入っていると説明。
これが、堀江氏と自民党の黒い関係の動かぬ証拠だと、大見得を切りました。
世間はこのニュースで「やはり、堀江は悪い事をして選挙に出ていたのだな」と納得します。
連日悪事が報道されるヒール堀江と武部幹事長の癒着は世間の想像通りだったからです。
しかしこのメールは全くの偽造、しかもめちゃくちゃレベルの低い代物だったのです。
このレベルの情報が国会で提出されたのが不思議です。
- 送受信が同一のメールアドレスだったと判明(つまり自作自演)。
- 上記「武部」があったとされる塗りつぶし箇所が1字分の幅しかない。
- 文中に「宮内の指示を仰いで」とあるが、堀江は宮内を「さん付け」で呼んでいた
- ヘッダのアルファベットに全角と半角が混じってる。
メールの不審な点が次々に指摘され、自民党を追い詰めるはずが、逆に民主党がどんどん窮地に。
民主党はさらに情報提供者を明かすというあり得ない失態。
また、その情報提供者が業界では有名なホラ吹きでチェックメイト。
永田議員は辞職し、民主党の前原代表は辞任する事態となってしまいました。
当時、ライブドア事件、耐震強度偽装事件、米国産牛肉輸入問題、防衛施設庁の官製談合などで追い詰められかけてい自民党でしたが民主党が勝手に自滅。
小泉政権は自民党総裁任期による9月26日の内閣総辞職まで安定した政権運営を続けることができました。
ホリエモンの容疑
ホリエモンはそもそもどんな容疑で逮捕されたのでしょうか。
①偽計及び風説の流布容疑
- 金融子会社ライブドアファイナンスを介し、ライブドアが実質的支配下している投資ファンドの名義で、すでに買収していた「マネーライフ社」の企業価値をライブドアファイナンス従業員が過大に評価。
買収していた企業価値を過大評価することで、ライブドアマーケティングとの株式交換比率が決定した。 - この一連のやりとりにおいて、事前に「マネーライフ社」を買収していたことは公表されていない。
- ライブドアマーケティングの第3四半期決算発表時に、当期純損失であったにもかかわらず、架空売上を計上するなどして、前年同期比で増収増益を達成し前年中間期以来の完全黒字化を達成した旨の虚偽事実を公表していた。
②有価証券報告書虚偽記載容疑
- ライブドアは、2004年9月期の連結決算において、実態3億1300万円の経常赤字であったにもかかわらず、業務の発注を装い架空の売上を計上。
- さらに、ライブドアが出資する投資事業組合がライブドア株式を売却する事で得た利益を投資利益として売上に計上している。
- 結果的に、53億4700万円の利益を計上することによって、50億3400万円の経常黒字であったとする「虚偽の有価証券報告書」を関東財務局長に提出した
①②いずれも証券取引法違反である。
簡単に言うと、「関連会社間で会計をごまかした」「有価証券報告書にウソを書いた」。
そして、すべて堀江貴文社長が主導して計画的に行ったというのが検察の主張です。
裁判
その後、ヤメ検弁護士の機転でようやく保釈を勝ち取ったホリエモンは裁判に挑みます。
ヤメ検(ヤメけん)は、元検事の弁護士を指す俗称で、元検事だけあって検察のやり方に精通していて対策が的確です。
その弁護士が地道な調査でとんでもない事実を発見します。
後ろめたい部分があったから、検察の言いなりになって私を主犯にしたのか。
検察と取引したな。
この事実の発覚を契機に堀江弁護団は攻勢にでます。
裁判では次の様な主張で検察の容疑を切り崩していきます。
- 堀江に犯罪の意図はない(意図があることを証明する証拠がない)
- そのそも明確に「違法」だと断言できるような事案ではない
- 堀江と全く関係のないところで宮内氏らの横領が発覚、その事実から宮内氏らの証言を根拠としている堀江が主犯との検察の主張はおかしい
2007年3月16日判決の日、堀江氏の弁護士は余裕の表情、検察の言い分はだいぶ崩せた。
無罪の自信があったし、最悪でも執行猶予は付くはずだ。
大ショックである。
即日控訴したが、これからの控訴審が厳しい戦いとなることを痛感させられました。
様々な方面から「控訴審では全面的に罪を認めて執行猶予を取りに行くべきだ」と言われます。
自宅に戻り、頭の中を様々な思いがよぎります。
罪を認めるのだとしたら何のために90日以上も拘留の独房の中での孤独に耐えたのか、不条理な逮捕に徹底抗戦するためではなかったのか。
ただ、事実と違うことも、ある程度丸めて飲み込むのも大人の対応なのかもしれない。
暗闇であの検察官の顔が浮かびます。
今回の件は認めたら死刑になるというものでもない。
むしろ執行猶予がつき、刑務所に行かずにすむ可能性が大きいぞ。
罪を認めてしまえ。
そうすれば、夢にむけて早期の再出発が可能です。
やりたい事はたくさんあります。
一連の件で世間に顔が知れており、自由になればやり直せる自信とアイディアがあります。
ここは大人の対応をした方がいいだろう。
本当に執行猶予がつくのか?
ああ、約束するよ。ギブアンドテイクだ。
事実でないことを事実だと言ったのでは株主に対して本当に申し訳が立たなくなってしまう。
そんな生き方は嫌だ、自分が自分でなくなってしまう。
貧乏くじと言われるかもしれないが、こんなやり方が自分にあっているのだ。
ホリエモンは徹底的に闘う事を決意します。
結局、このあと最高裁まで争いますが、2011年4月26日懲役2年6ヶ月の実刑判決がくだされます。
初公判から4年半以上に及ぶ、長い長い裁判。
執行猶予はつきませんでした。
なぜホリエモンは罪を認めなかったのか
堀江氏以外のライブドア経営陣が取り調べに対して完落ちしたと言われる一方、特捜部が最大のターゲットとしていた堀江氏は、逮捕後も一貫して容疑を否認。
検察はホリエモンを甘く見ていました。
経営陣のなかでもは東京大学中退という高学歴の堀江氏は、しょせんインテリだから特捜検察が厳しく取り締まればすぐに落ちるだろう
ところが、起訴にいたっても否認を貫く、「想定外」でした。
一方、同時期にインサイダー取引の疑いで逮捕された村上世彰氏は、検察側の言い分をあっさり認め、最短コースで復帰する体制をとっており、堀江氏とは対照的です。
ホリエモンがうまく立ち回れば、もっと早くリスタートする事は可能でした。
- 捜査に協力し、罪を認めていれば執行猶予がついて、刑務所に行く必要はなかった。
- 最初に判決がでたのが2007年3月でその時に服役していればとっくに刑期は終わっている
ただ、損得を考えずに自分の考えを貫き通す姿勢は、復帰後の彼の言動や書籍に説得力を与えています。
自分の意思を貫き通したことで、2年ほどの刑務所暮らしとなりましたが、かわりに得た物も大きかった。
世間から「あいつはただの口だけの奴じゃない、信念がある」と認知されたのです。
✓ 関係者の刑期
名前 | 判決 | 執行猶予 |
堀江貴文 | 懲役2年6ヶ月 | (なし) |
宮内亮治 | 懲役1年2ヶ月 | (なし) |
熊谷史人 | 懲役1年 | (執行猶予3年) |
中村長也 | 懲役1年6ヶ月 | (執行猶予3年) |
岡本文人 | 懲役1年6ヶ月 | (執行猶予3年) |
公認会計士2人 | 懲役1年 | (執行猶予4年) |
村上世彰 | 懲役2年 | (執行猶予3年) |
逮捕に繋がったとされるホリエモンの失敗とは?
ホリエモン=堀江貴文さんは、2013年3月27日朝、長野刑務所から仮釈放となりました。
判決は2年6ヵ月ですから、9ヵ月早く出られた事になりますが、1年9ヶ月の刑務所生活は辛く長かったことでしょう。
では、どうすれば刑務所に入らずに済んだのか、堀江さんの失敗とはなんだったのか。
それは、世の中を舐めすぎて、礼儀や常識を無視した事です。
つまり相手の気持ちを考えなかった。
ホリエモンは近鉄買収宣言から始まり、衆議院委員選挙で終わる一連の騒動で、IT企業とは関係ない業界に殴りこんでいきました。
何十年もその業界で働いてきた人はその業界・会社に愛着があります。
その枠組みに入っていくのに、相手をリスペクトする気持ちがなければ当然受け入られません。
いくらお金があっても「人の心」を大事にしないと上手くいかない。その点を疎かにした結果、虎の尾を踏み、逮捕される事態になってしまったのです。
ホリエモンさんは著書「我が闘争」で語っています。
昔は、「人の気持ちが分かるわけない」だった。
でも今は、「人の気持ちは分からない、でもできる限り分かろうとする」に変わった。
ライブドア事件を通して、心境にそんな変化があったそうです。
ライブドア事件の真犯人
ホリエモンさんのお話は以上となりますが、ご覧いただいたようにこの「ライブドア事件」には不可解な点が散見されます。
次の記事では真犯人に迫っています、ぜひチェックしてみてください。
また次の記事では、ゴーン事件を通してさらに日本の司法制度の闇に踏み込んでいますのでこちらもチェックしてみてください。
おまけ:事件関係者それぞれの主張
ライブドア事件は関係者がそれぞれ本などで主張していて面白いです。
それぞれの意見をまとめてみました。
堀江貴文:徹底抗戦
粉飾が疑われている取引の主導は宮内氏で自分は知らなかった。
有価証券報告書にしても監査人が問題ないと言えば信じるしかなかった。
そもそも国策捜査であり、無罪だ。
参考:徹底抗戦
宮内亮治:虚構
2005年から私がファイナンスを主導していたのは事実だが、容疑となっている2004年9月決算の時期は、堀江氏がすべての中心となっており、指示はすべて堀江氏の承認を得ていた。堀江氏が主犯である。
田中 慎一:ライブドア監査人の告白
事件は私が監査人になる前の時期の粉飾について起訴されており、私は悪くない
当時は、宮内が脅して無理やり監査人の承認を得ていた。
熊谷史人氏:本は出しておらず2015年Twitterにて
私も若く会計に詳しくなかった、監査法人がOKと言ったから100%粉飾でないと思ってた。
さらに会計に詳しくない堀江さんならなおさらそうだったろう。
また、2012年のDIAMOND onlineで担当の会計士は未だにあの会計処理は合法だと主張していると語っています。
平松庚三:経済新聞記事より
平松氏は当時ライブドアの上級副社長、主要幹部が全員逮捕された後に、押し出されるように社長に就任して辛い残務作業に追われます。
この人はジャーナリスト出身でなんとワシントン支局時代のナベツネの弟子だったそうです。妙な因果に驚くとともにもしや刺客?などと、うがった考えも浮かんできてしまいます。
2007年末にライブドアを辞めます。
ホリエモン記事一覧
参考資料
記事中のご紹介したもの以外に次のサイト・本を参考にさせていただきました。
◆書籍:
マネーゲーム崩壊 ライブドア・村上ファンド事件の真相
検証「国策逮捕」 経済検察はなぜ、いかに堀江・村上を葬ったのか
◆Webサイト:
ライブドア事件 – Wikipedia
◆動画:
ニコニコ動画:水道橋博士 堀江貴文ホリエモンが語るライブドア事件徹底抗戦
(おしまい)