この記事はホリエモンが世間に初めて認知された時のお話です。
IT業界では少し名前が売れていたものの、世間では全く認知されていない、いちIT企業の社長が、一躍世間に注目され時代のヒーローになりました。
2004年6月30日、僕にとって、球界にとって、そして野球ファンの皆様にとって、記念すべき日になりました。
プロ野球の未来をかけた大物「ナベツネ」と新時代のヒーロー「ホリエモン」の闘い、それに続く楽天との争い、そして野球界の変革についてまとめました。
- ホリエモンが有名になった球団買収ってどんな事件だったの?
- ライブドアが楽天に負けた、たった一つの理由
- ホリエモンがプロ野球改革のきっかけになったって本当?
そんな疑問が解決します。
7分程の内容ですので是非最後までお付き合いください。
きっかけは宮内氏
ホリエモンが野球界参入に興味を持つきっかけは宮内亮治氏でした。
ライブドアのCFO(最高財務責任者)の宮内亮治氏は中学高校と野球をやってた大の野球ファンであり、常々堀江氏に「うちの会社がでかくなったら野球チームを持ちたい」と話していました。
✓ 宮内氏の主張
- 野球が日本の国民性に合致していること。
- 野球への関与が会社の知名度を上げるのにいかに最適か。
そんな時、福岡のIT系の講演会の後に行われた懇親会でダイエーホークスの人がいて、「堀江さん、うちの会社を買収してくれませんか?」 と冗談めかしていわれました。
さすがに当時のライブドアでは買えない金額。
しかし、ダイエーは無理でも買える球団はあるんじゃないかと思って調べていたら、東京三菱証券から提案がありました。
近鉄バファローズを買収しませんか?
近鉄バッファローズ買収
当時、近鉄も経営不振で球団を手放したがっていました。
早速、近鉄についてのリサーチを重ね、接触を試みたが交渉はなかなか進みませんでした。
そして、2004年6月13日。
なんと近鉄とオリックスの合併合意が発表されます。
このままだと近鉄バッファローズがなくなってしまいます。
ライブドアは完全に無視された形です。
さらに合併によりチームが減り、来年からの1リーグ制が既成の事実であるかのような報道がなされます。
どうやら、巨人軍オーナーのナベツネとオリックスの宮内会長がタッグを組んで改革を推し進めているようです。
オリックスとの合併話は順調に進んで知るようだし、あきらめるしかないか。
そんなある日の朝、楽天の小沢君(隆生)から電話がありました。
堀江 「どうしたの?」
小沢 「堀江さん、まだ近鉄、買えるかもしれないよ。」
堀江 「なんで? オリックスと合併するんじゃないの?」
小沢 「選手会側は12球団で残したいみたいなんだよ。だから目はある。」
なるほど、選手数が減ってしまうので古田選手会長率いる選手会は反対なのだ。
それに球団では阪神が反対の立場だ。
世論を味方につければ勝てるかもしれない。
ただ一つ気になっていた事があった、楽天の動向である。
規模でまだまだ及ばない楽天が参入して来たら勝ち目がない。
堀江 「おたくのボスはどうなの?」
小沢 「ウチのボス(三木谷浩史氏)は、全然やる気はないよ。」
堀江 「だったらやる」
この会話の後、ホリエモンはプロ野球参入を決め、記者会見に向けた準備を始めたのでした。
買収宣言!始まりの記者会見
ようやく準備が整い、これからという時でした。
買収発表の会見前日の2004年6月29日、大阪日刊スポーツに1面にスクープされてしまいます。
翌日2004年6月30日には、全国版で1面にのります。
会見で説明しようとしていたところを新聞で中途半端な内容で伝えられ、近鉄関係者の態度は急激に硬化します。
出鼻はくじかれたが、予定通り東京証券取引所において記者会見を開きました。
黒のTシャツにホワイトジーンズというホリエモンスタイル。宮内氏も同席しました。
会見でも開かないと、球団買収の正式オファーすらさせてもらえない。
合併してチームが減るとプロ野球界が衰退し、日本社会の損失になります。
「球団運営が十分可能な会社の買収提案を無視するのは、新規参入の阻害だ ! 」
買収宣言に留まらず、プロ野球界の閉鎖性の批判発言まで飛び出します。
本気なのかとの質問には、
真剣に近鉄を買いたいと思っている。500億円ほどの現金を保有している。5年、10年で手放さないといけないような、弱い会社ではない。
そして、「何回も言ってるんですけど、1万回くらい言ってます」と前置きして、買収に至ったこれまでの経緯を説明した。
ある記者から「売名行為なのでは」との質問が出た。
買収は以前から検討していたこと。一部報道機関にスクープされたため突然の発表となり、売名行為ではとの憶測も出ているが、売名なら広告宣伝費を使って堂々とやる。球団買収提案で売名しようなどとは全く思っていない 。
経営のスリム化・効率化のほか、球団の株式を発行し、選手にはストックオプションを与えるなどといったIT企業ならではのテコ入れ策を考えている。
しかし、CFOの宮内氏は後に出版した著書の中で「現実論としての球団買収が難しいだけに、『名を売って逃げる』事を想定した。」と述べています。
ライブドアの知名度向上の計算がなかったと言うとウソになるでしょう。
ただ、最初はどうだったにせよ予想以上の熱狂報道や盛り上がりの中でのめり込みやすい堀江氏が徐々に本気になっていったのは間違いないようです。
オーナーサイドの「合併 → 1リーグ制」という縮小の流れに待ったをかけるのに効果は十分、狙い通りに選手会を含めた世論から支持を受けることになります。
記者会見の夜、堀江氏のブログ「社長日記」にはそう記されていました。
オーナー達の反応、ナベツネ
堀江は記者会見で「巨人の渡邊オーナーに会いたい」と述べたが、
これに対し渡邊は「終わった話、会う必要も無い」と切り捨てた。
さらには、こんなコメントも飛び出している。
僕も知らないような人が入るわけにはいかないだろう。
伝統がそれぞれあるんであって、そう簡単に、金さえあればいいってもんじゃないよ
また、近畿日本鉄道の山口昌紀社長は「明確にお断りしている。今後ともオリックスと合併する方向で手続きを進める」とのコメントを発表した。
記者会見を開いてみたもののオーナーサイドからは相手にされない状態が続いていました。
大阪ドームにて
7月4日、ホリエモンと宮内氏他数名のライブドアチームは、バファローズの赤いハッピをまとい、大阪ドームの右翼スタンドに乗り込んだ。
このとき、勢いをつけるためにアルコールを入れてから球場入りしたそうです。
試合は合併する「近鉄 VS オリックス。」
スタジオに現れると近鉄ファンからの大声援&握手攻め、ファンは合併を望んでいないことは明らかです。
試合は近鉄がオリックスに逆転勝ち、球場は大盛り上がりだ。
もみくちゃにされながら球場を出てタクシーに乗り込んだホリエモンだが、何を思ったか球場に引き返してきて、ハンドマイクを手にした。
すごい感動しました! ナベツネさんも宮内さん(オリックスオーナー)も、1回ここに来て応援すれば、合併なんて気持ちにならない。
僕にできることがあったら、できるだけ頑張ります 。
球場は「ホリエ! ホリエ!」割れんばかりの大歓声。
球場で民間人のコールが起こったのは、後にも先にも1回だけだ。
ライブドアへの追い風
プロ野球の問題は、連日ニュースで報道され、世間の注目度も増していきました。
- 7月5日、選手会が合併案を1年延長するように経営者側に求める
- 7月7日、しかし、それどころかさらにもう1球団の合併話が進んでいる事がスクープされる
- 8月3日、国会議員が、1リーグ制移行反対を唱える議員連盟を発足
- 8月5日には、全球団の選手会が、合併反対の署名をあつめる
ホリエモンは反対派のヒーローとしてもてはやされました。
当初のライブドアの目論見通り、世論は合併反対です。
ナベツネを始めとするオーナーグループを「老害」とこき下ろし、ライブドア = 改革者としてアプローチしていきます。
ちなみに連日報道される中でこの頃からホリエモンと呼ばれるようになります。
この呼び名は、元々2003年頃のYahooの株掲示板でエッジの板で使われだしたのが最初です。
球界のドン、渡邊恒雄
プロ野球界の最高決定機関は、12球団のオーナー会議です。
その12人しかいないオーナーの断トツの権力・発言力を持っているのが巨人の渡邊恒雄オーナーです。
球界の独裁者とも言われ、その影響力は政界にまで及びます。
- 組閣や自民党役員人事に力を持ち、何人もの政治家が『入閣させてほしい』と頼みに来る。
- 中曽根康弘氏(後の総理大臣)はそうした口利きで科学技術庁長官に入閣したことから盟友
- 安倍晋三・首相や菅義偉・官房長官も“ひよっこ”扱いで、定期的に呼びつける
ナベツネに関しては、別記事でその経歴や伝説や語録をまとめています、興味のある方はこちらもどうぞ。強烈ですよ。
ホリエモンの会見をきっかけとした世論の高まりの中、 さすがのナベツネも本気でたたかれ始めます。
そんな時にドラフト、自由枠での獲得を目指していたプロ野球の複数球団が日本学生野球憲章に反して現金を渡していたことが発覚します。
2004年8月13日 渡邊恒雄 オーナーが引責辞任が発表されます。
ライブドアの奇策
ナベツネの辞任がありましたが、オリックスと近鉄の合併案は、切り崩す事が難しく断念せざるえませんでした。
このままでは、球団数が6から5に減ってしまい、1リーグ制の流れを止められません。
そこでホリエモンは奇策を討ちます。
8月19日大阪を拠点にし「バッファローズ」の名前を残す形で新球団の設立を表明したのです。
合併で球団が減っても、新球団を設立すれば6球団に復帰し、2リーグ制を維持できる !
8月22日にライブドアは広島の松田オーナーに対して挨拶状を送り、プロ野球参入時の協力などを要請した。これに対し松田オーナーは好意的な姿勢を示した。
また阪神の久万俊二郎オーナーも「私でよければ応じたい。10年は持ちこたえる覚悟があるか聞きたい」と、ホリエモンとの会談に前向きな姿勢を見せた。
9月6日、選手会が9月の毎週土日ストを決行。
ファンを楽しませることを第一としてきた選手会がストを選択したことに世間は衝撃を受けます。
しかし、9月8日のオーナー会議で近鉄・オリックス両球団の合併が承認され、合併が決定してしまいます。
望みは、ライブドアの新球団となります。
世論を味方につけ、広島と阪神のオーナーからの好感触も得ている。
順調に駒を進めていると思われた矢先飛んでもないニュースが飛び込んできます。
9月15日 楽天が新球団によるプロ野球参入を発表したのである。
ライブドアと楽天の戦い
やはり、来たか。。。
負けていられないライブドア、2004年9月16日、新会社「株式会社ライブドアベースボール」を設立、さらに仙台を拠点にした新球団の構想を打ち出します。
表敬訪問し、浅野史郎宮城県知事の指示も得られた。
ところが、9月22日、楽天も本拠地はライブドアと同じ仙台とすることを発表!
翌23日に、来季からの新規球団参入を認めさせる条件で日本野球機構とプロ野球選手会が合意。
ここに新球団1枠を争う、ライブドアと楽天による本拠地を仙台とする新規プロ野球球団参入の闘争が始まりました。
ライブドアは本気で球団作りを始めます。
- 暫定ゼネラルマネジャーにニューヨーク・メッツなどで通訳を勤めていた小島克典を起用を発表
- 新球団の監督が、元阪神コーチのトーマス・オマリーに決定
- チーム名は公募の結果「ライブドア・フェニックス」
- 堀江社長がアメリカの野茂英雄氏と会談しアドバイスを得る
- チーム名である不死鳥をモデルとし、チームカラーの赤をベースに仙台市の「仙」の字(色は黒)をあしらったロゴが公表
一方の楽天も本格的に準備を進めます。
- ゼネラルマネジャー(GM)として、西武のフロントや、アメリカのマイナーリーグのオーナーを経験したスポーツライター・評論家のマーティ・キーナートを招聘
- 元中日→西武→阪神の選手として活躍したスポーツキャスターの田尾安志が監督に決定
10月6日、ライブドアと楽天の球団新規参入に関するヒアリング(聴聞会)が行われます。
特に問題がなかったとされる楽天に対し、ライブドアの検索サイトから成人向けサイトが閲覧できることを問題として、委員と応酬となります。
さて運命の11月2日のプロ野球オーナー会議、下馬評では楽天有利。
そして結果は………
やはり「楽天」であった。しかも全会一致。
ホリエモンは連絡を受けて「まぁしょうがない」とつぶやき
仙台新球団おめでとうございます、仙台にチームができた事は良かったと思います。
と悔しさを押し殺しながら語りました。
県庁では、知事が「ライブドアがNPBを動かした。それは歴史に残る事」と発言。
ちなみに株式会社ライブドアの株価は、落選の結果を受けて上昇した。
世間は球団設立で盛り上がっていましたが、投資家は冷静だったのですね。
球団買収劇でライブドアが得たもの
勝負に負け、結局球団を持てなかったが、この騒動でライブドアは様々なものを手に入れています。
- ライブドアの知名度上昇(宣伝効果100億以上)
- ライブドアとホリエモンの好感度上昇
- 認知度上昇に伴う、ポータルサイト「Live Door」のアクセス数大幅UP
ちなみにライブドアと楽天が争っている間にソフトバンクがダイエーを買収が発表される。
ライバルが争っている間に、ソフトバンクはあっさり大物を仕留めたわけです。
若干、漁夫の利っぽくこのタイミングはさすが孫正義である。
その後のライブドアの球界への動き
2004年11月2日。オーナー会議で楽天の新規参入が承認され、堀江の挑戦は終わります。
仙台市内のホテルで会見を行った後、テレビの生放送に出演した。
応援していただいた方には申し訳ない。球界が発展するよう、草葉の陰から祈っている。12球団を維持し、仙台に新球団ができた。ファンが思っていた流れになったのは良かった 。
と語り、最後まで野球界の発展のためにやっていたという姿勢は崩さなかった。
2004年の挑戦はこれで幕を閉じます。
その後、2005年になってライブドアは広島東洋カープの球団買収へ向けた調査を行っていることが判明します。
これはホリエモンが広島6区から出馬した事も影響しているとも言われている他、読売ジャイアンツ戦の試合減少など財政面の問題が背景にあるとされます。
しかし、2006年1月になりライブドア・ショックが発生し、堀江貴文らライブドア経営陣が辞任するとプロ野球の話は自然消滅。
これにより、本当にライブドアのプロ野球参入プロジェクトは終わりを迎えます。
ホリエモンの失敗、たった一つの理由
なぜ、ホリエモンの挑戦は失敗に終わったのでしょうか。
それは、、、
インタビューなどでホリエモン自ら語っています。
ソフトバンク = 孫さん と 楽天 = 三木谷さん はナベツネにネクタイ締めて挨拶に行ったけど自分は行かなかった。
ナベツネさんに会ってから、球団買収案を公表していたらライブドアも大丈夫だったはず。
やはり、長い年月その業界で実績がある先輩には礼を尽くすことが大事な事のようです。
特にナベツネは野球界だけでなく総理大臣にも顔が利く大物中の大物でした、相手がわるかったと言うところでしょうか。
最後に
ホリエモン誕生の物語いかがだったでしょうか。
この出来事により、それまで全く世間には知られていなかったホリエモンが、一躍世間に注目され時代のヒーローになったのです。
ライブドアの野球界参入チャレンジをきっかけとして、野球界では様々な改革・変革が行われました。
- 近鉄とオリックスの合併は阻止できなかったが、楽天が新規参入し、1リーグ構想は消滅
- 2004年からパリーグでクライマックスシリーズ開始(シーズン上位3球団によるトーナメント方式のプレーオフ制度)
- 2005年シーズンからセリーグ・パリーグの交流戦開始
- 2007年セリーグでもクライマックスシリーズ開始
一連の球界再編を振り返る上で、ライブドア = 堀江貴文氏は絶対に外せない人物です。
閉塞(へいそく)感が充満していた当時の球界に風穴をあけ、大きな流れ作り出したのです。
「最初の動機は売名でしょ」と言われると確かにその面はあったと思われ、功績というとちょっと言い過ぎです。
ただ、野球界に一石を投じ、変換のいいキッカケになった事は間違いありません。
現在はJリーグのアドバイザーまで努めているホリエモンが球団を持っていたらどんな改革がなされたのか、本当に成功したのか、見てみたかったですね。
- Jリーグのアドバイザー
- プロバスケットボールB1リーグの「ライジングゼファー福岡」取締役
- プロ野球は「16球団」にすべきとの立場
もちろん、ホリエモンの物語にはこの続きがあります。
新球団落選後に出演したテレビ番組で今後の予定を問われたホリエモンはこう答えています。
「具体的には言えませんが、来年も大きなことをやりますので楽しみにしていてください」
ホリエモン記事一覧
参考資料
本記事作成にあたり次のサイト・本を参考にさせていただきました。
検証「国策逮捕」 経済検察はなぜ、いかに堀江・村上を葬ったのか
- 本カテゴリの記事は基本的に主人公寄りで書いています。
- 極力資料に基づき記載していますが、会話の内容など一部脚色しています。
(おわり)