堀江貴文 = ホリエモンはよく失敗しています。
その失敗を並べるとかなり長いリストが出来上がることになります。
挑戦 | 結果 | 勝敗 | 星 | ラスボス |
結婚 | 離婚 | 負け | ● | 奥さん |
株式上場 | 公募割れ | 負け | ● | ITバブル |
近鉄買収 | 失敗 | 負け | ● | ナベツネ |
新球団設立 | 参入失敗 | 負け | ● | 楽天 |
ニッポン放送買収 | 提携失敗 | 負け | ● | フジTV |
衆議院選挙 | 落選 | 負け | ● | 亀井静香 |
裁判 | 実刑判決 | 負け | ● | 特捜検察 |
MOMO2号機打上げ | 爆発 | 負け | ● | ー |
でも、たくさん失敗していると言うことはそれだけ闘い続けていることの証しでもあります。
思えば偉人達の偉業の多くは、沢山の失敗の上に成し遂げられており、ホリエモンは現在進行形でそれを実行しているのです。
多方面で活躍し成果を出しているホリエモンが何の成果で後世に語り継がれるのか。
- 書籍を出せば大ヒット
- Twitterのフォローワー330万人
- 有料メルマガの会員は2万人以上(これだけで年間2億円)
- 民間の教育機関、ゼロ高等学院(ゼロ高)設立
- Jリーグアドバイザー
- 初の民間でのロケット打ち上げ成功
- 著名人グループトークアプリ「755」の立ち上げ
- グルメサービス「TERIYAKI」プロデュース
- オンラインサロン「堀江貴文イノベーション大学校」運営
- スタンディング焼肉バー「YAKINIKUMAFIA」プロデュース
その答えは今はまだわかりませんが、現時点までの失敗と戦いと世の中を変えてきた歴史をまとめました。
かなり長くなりましたが、その軌跡には現代を生きる上でのヒントがちりばめられています。
気になるところからでも是非ご覧になってください。
ホリエモンの幼少期からライブドア誕生まで
ホリエモン=堀江貴文さんは、1972年10月29日に福岡県八女市の普通のサラリーマン家庭に産まれます。
「百科事典」 を片っ端から読みあさり、知識をどんどん吸収する天才児でした。
また、問題児でもありましたが、それは周りとレベルが違いすぎて、衝突を生んでいた事が原因でした。
大学受験の時期になると猛勉強し、半年で合否判定F(無理)から東大合格を成し遂げてしまいます。
上京し、在学中のアルバイトでインターネットと出会い、仲間とインターネット関連会社「オン・ザ・エッヂ」 起業。
会社は大成功をおさめますが、拡大路線を進むことで意見が分かれ、起業仲間は辞めていってしまいます。
東証マザーズへの場所を果たし、M&Aで買収した「ライブドア」に社名変更し、後に世間を騒がしていくライブドアが誕生します。
ホリエモンのプロ野球界参入

2004年、球界のドン・ナベツネ主導で、オリックスと近鉄の合併が進めらていました。
それは、球団数を6から5に減らし1リーグ制とする流れでした。
2004年6月30日、ライブドアは記者会見を開き、近鉄の買収を宣言をします。
1リーグ制の流れに待ったをかけたのです。
この記者会見により、IT業界では少し名前が売れていたものの、世間では全く認知されていない、1IT企業の社長が、一躍世間に注目され時代のヒーローになりました。
しかし、オリックスと近鉄の合併案は、切り崩す事が難しく断念せざるえませんでした。
その後、新球団設立に活路を見出し、その目論見は結果として成功します。
パリーグの6球団は維持され、1リーグ制は阻止されたのです。
しかし、新規参入が認められたのは、ライブドアの後から名乗りを上げた三木谷社長の「楽天」でした…
また、その間に孫正義社長のソフトバンクはダイエーを買収し、プロ野球参入を果たしてしまうのです。
フジテレビとの仁義なき戦い!ニッポン放送買収

2004年当時、視聴率3冠を取るなど絶好調のフジテレビを買収しようとしたのが、ホリエモン=ライブドアです。
きっかけは、物言う株主・村上世彰氏の勧誘。
フジテレビとニッポン放送のねじれ関係を利用し、規模の小さいニッポン放送株の買い占めにより、フジテレビも支配下におさめ業務提携しようとしたのです。
「ITベンチャー企業が報道メディアを乗っ取ろうとしている」
プロ野球参入の時はヒーローだったホリエモンは一転、悪役となってしまいます
息詰まる熱い攻防戦が行われましたが、SBIグループの北尾CEOの参入などにより、和解が成立。
金銭的には勝利するのですが、情報メディアとの業務提携という当初の目的は果たされませんでした。
残ったのは、世間の悪評とフジサンケイグループの恨みでした。
ホリエモンの衆議院選挙

2004年の6月の近鉄買収宣言から立て続けに世間を騒がしてきたホリエモンですが、次はなんと総理大臣を目指します。
2005年8月16日、衆議院の解散(いわゆる郵政解散)に伴う総選挙が決まりました。
この小泉首相の解散の様子を見たホリエモン。
「 選挙に出たい!出て、小泉首相の改革を手伝いたい!そして後継者になる 」
と出馬を決めてしまいます。
そして、自民党の公認こそ得られませんでしたが、自民党による亀井静香への対立候補(刺客)として、広島6区から出馬します。
造反組の元自民党の重鎮(ヒール) VS ITベンチャー企業社長(ヒール)
この選挙区は、全国で最も注目をあつめる選挙区となります。
声がかれるほど指示を呼び掛け、シャツを汗でドロドロにしながら、腕がちぎれそうになるほど手を振りました。
しかし、結果は惜しくも落選。
総理大臣への道は閉ざされてしまいます。
ライブドア事件とホリエモンの意地

2006年1月16日、ライブドアに激震が走ります。
証券取引法違反の容疑で東京地検特捜部による家宅捜査が行われたのです。
1月17日火曜日の株式市場は大混乱、取引量が想定を超えてしまったため、東京証券取引所は前代未聞の全取引停止。
1月18日、ライブドアのファイナンス部門と取引のあった野口HS証券副社長(元ライブドア社員)が沖縄のカプセルホテルで自殺してしまいます。
ニュースやワイドショーは連日この事件を報道、世間は大騒ぎです。
1月23日、ついに証券取引法違反容疑で堀江貴文社長とその他の主要幹部が逮捕されてしまいます。
ホリエモンは、一貫して無罪を主張しますが、なんとライブドアNo2の宮内氏が罪を認め、ホリエモンが主犯だと自供。
ホリエモンは劣勢に立たさることに。
90日以上の勾留生活で心身共に弱り、ホリエモンもだんだん精神安定剤や睡眠薬の世話になるようになり、妥協して罪を認めて楽になろとします。
しかし、寸前で思いとどまり「徹底抗戦」することを決心するのです。
その後、裁判となり司法取引などに一切応じず無罪を主張し続けますが、2011年4月26日に最高裁で懲役2年6ヶ月の実刑判決がくだされてしまいます。
ホリエモンと塀の中の懲りない面々
収監することが決まったホリエモンですが、ぜんぜん懲りていませんでした。
2011年6月20日、東京高等検察庁に出頭しますが、普通には行きません。
堀江氏の自宅から東京高等検察庁までの様子を密着カメラが入り、ニコニコ動画の「ホリエモンチャンネル」ならびに、ニコニコ生放送「緊急生放送!密着 堀江貴文収監のすべて」で生中継したのです。
最後まで世間を騒がせて収監されるのでした。
しかも、ヘアスタイルはモヒカン。

長野刑務所に収監、刑務所では高齢者と障害者がいる工場に配属。その人たちの世話係となります。
刑務所は体育会系の世界のようで、ホリエモンは苦労しますが、徐々に適応。
老人の下の世話などもせっせとこなし、運動の時間では腕立て伏せ、差し入れを活用して本を1000冊以上読むなど刑務所で出来る範囲でアクティブに活動します。
有料メルマガの投稿も続け、釈放までの間に配信数は166回にもなりました。
(面会者に原稿を渡して、代理で配信してもらっていた)
薬や婦女暴行などの犯罪者とも触れ合うことになりますが、至って普通の人だったそうです。
ただ話を聞くとサイテーな発言も多かったそうですが...
期出所の予定は2013年10月27日でしたが、刑期の74%に当たる約1年9ヵ月(647日目)で仮釈放の条件を満たすこととなりました。
出所時には体重が95kgから65kgに激減し、かなり痩せました。
その表情には過酷な懲役生活をしてきた事がにじみ出ています。
マクドナルドの「てりたまバーガー」を早速食べ

うまし!味濃いな~っ!
とツイート。不自由だった刑務所生活をうかがわせました。
出所後の記者会見の最後にこんなコメントを残しています。
お忙しい中、多数お集まり頂きましてありがとうございます。
今後とも色んな事を私もやっていくと思いますけど、この痛い経験を糧に、2度と皆さんにご迷惑をお掛けすることが無いよう気を引き締めて、新しい価値を想像出来るように頑張っていきたいと思います。
どうか宜しくお願いします。ありがとうございました
ホリエモンのロケット開発

2004年11月、アニメ製作会社の仲介で、SF作家の笹本祐一と漫画家の「あさりよしとお」らが堀江のもとを訪れ、ロケット開発に勧誘。
ここから「ホリエモンロケット」の計画がスタートします。
途中に裁判・収監などがありましたが、 仲間達によりロケット開発は継続されていました。
実験と失敗を繰り返しながら少しずつ前に進んで行きます。
目指すのは、民間による低コストで宇宙空間や衛星軌道まで物資を運べるロケットです。
そして、2016年夏に観測ロケットMOMO1号の打ち上げにこぎつけます。
目標は、地上100Km到達。
MOMO1号の打ち上げは成功しましたが、打ち上げから約66秒後に通信不能となっため、打ち上げから80秒後に緊急停止コマンドを送り飛行を中止。
高度20Kmまでしか到達できませんでず、打ち上げは部分的成功に留まりました。
2018年6月30日、MOMO2号機を打ち上げますが失敗。
しかしリベンジどころか 離床からわずか数秒わずか高度10メートルほどで大爆発。
- 民間で低コスストのロケット開発なんて無理だ。
- 壮大なギャクだな。
ネット上には心ない中傷が書き込まれていましたが、開発者達は前を向きます。
そして 2019年5月4日、MOMO3号機が打ち上げられます。
結果は高度100Km到達。 大成功です!
世間の評価を気にせずに、前に進み続けることで、「日本の民間ロケットとしては初めて宇宙空間に到達する」という偉業を達成したのです。
こうしてホリエモンは著書などの言動を自らの行動で証明したのでした。
- 今この瞬間から周りの人の目を気にするのをやめよう
- ファーストペンギンになれ
- 成功を手にできるのはやった人だけ
ホリエモン本のおすすめ
私はホリエモンの本を30冊以上読んでおります。
その総合ランキングがこちらです。
1位:多動力 (仕事術)
2位:すべての教育は「洗脳」である (新しい知識)
3位:10年後の仕事図鑑 (新しい知識)
4位:ゼロ (仕事術)
5位:これからを稼ごう (新しい知識)
6位:我が闘争 (堀江歴史)
7位:健康の結論 (新しい知識)
8位:徹底抗戦 (堀江歴史)
ただ、ホリエモン本は多種多様であるため、その目的によりおすすめが変わります。
こちらでまとめておりますので興味のある方はどうぞ。
ホリエモンの名言
ホリエモンの近畿大学の卒業式でのスピーチをご存知でしょうか。
伝説のスピーチと言われるほど、心に響くメイスピーチです。
見た事がない人は是非見てみてください。
名言は、「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きろ。」 です。
スピーチを聞くとこの言葉が心に沁みます。
ホリエモンの交友関係
ホリエモンは顔が広いです。現代のトップランナーだけあって、(知性があって)精力的に活動している人とは必ずと言っていいほど交流があります。
そんな人たちの記事を集めましたので、ぜひチェックしてみてください。
「今」がわかります。
メンタリストDaiGoさんとは、ババ抜き抜き対決の心理戦が有名です。結果は、、、、
前田雄二さんとは秋元康さんを通じて出会っていて「秋元さんが“堀江以来の天才がいる”というから会ってみたら、本当だった」と最大の賛辞を贈っています。
落合陽一さんのキャッチフレーズである「現代の魔法使い」は、ホリエモンとの対談から生まれています。
最後に
いかがでしたでしょうか。ホリエモンは口だけでなく行動に移すことで自分の発言に責任を取ってきたことがお分かりいただけたのではないでしょうか?
ただ、歴史を紐解くとその考え方は目新しいものではありません。
エジソンの名言には次のようなものがあり、ホリエモンの発言に似ていますよね。
- 私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。
- もちろん、生まれつきの能力の問題もまったく無視はできない。それでもやはり、これはおまけみたいなものだ。絶え間なく、粘り強く努力する。これこそ何よりも重要な資質であり、成功の要といえる。
- 完全に満足しきった人がいたら、それは落伍者だ
- それは失敗じゃなくて、その方法ではうまくいかないことがわかったんだから成功なんだよ。
最後の言葉は、進撃の巨人でもハンジが同じようなこと言ってます。
ただ、これらの昔からの理念をインターネットが普及した現代版に更新し、実践しながら伝えてくれているのが、ホリエモンなのです。
これからもホリエモンの活動から目が離せませんね。
ホリエモン記事一覧
(おしまい)