【加藤一二三】その伝説から名勝負・猫裁判での失敗まで全部紹介

ひふみん伝説

本記事は加藤一二三(ひふみ)九段のお話です。

最近はバラエティで「ひふみん」の愛称でご活躍されているのでご存知の方も多いかと思います。愛すべきキャラクターでテレビでいじられたりしておりますが、

この方、将棋界のレジェンドなのです。

ヒフミンの偉業
  • 現役生活63年は歴代1位
  • A級対局数313局、A級勝ち星数149勝はともに歴代1位
  • 対局数2505と敗戦数1180はいずれも歴代最多
  • 62年間破られなかったプロデビュー史上最年少記録14歳7カ月(現在は藤井聡太四段の14歳2か月)

これまでのタイトル獲得数は計8期(名人1期、十段3期、王位1期、棋王2期、王将1期)。

これほどの実績がある方なのですが、奇行でも知られております。

ひふみん
ひふみん

食事は、簡単に食べられるうな重あたりがよろしいのではないですか

本記事はそんな加藤一二三さんの伝説から名勝負・猫裁判まですべてご紹介します。

こんな人に読んでほしい
  • 噂のヒフミン伝説を全て知りたい人
  • バラエティでの「ひふみん」しか知らず、棋士加藤一二三を知りたい人

加藤一二三の若い頃は菅田将暉さん似のイケメン

史上最年少の14歳7カ月でプロデビューした加藤さんは、その後も順調に勝利を重ねます。

18歳3か月でA級八段となる偉業を成し遂げ、「神武以来(じんむこのかた)の天才」と呼ばれます。

ちなみに神武以来とは「我が国始まって以来の」または「他に例がないほど非常に優れた」という意味です。

若い頃は奇行などはなく、菅田将暉さん似のイケメンでした。

ドラマなどで加藤一二三物語をやる時は、菅田将暉さん主演で決定!などとネットでは噂されています。

ひふみんの対局スタイル

ここでは、加藤一二三さんの対局にまつわる伝説をご紹介します。

うるさい

咳払いをやたらに発する。

ベルトをつかんで上体を伸ばす。

席を立って賛美歌を口ずさむ。

対局前に将棋盤の位置を勝手に動かす。

ある時、詰みまでの手を思いつき「ウヒョー」と奇声をあげる。


口癖は「あと何分?」秒読みに入っても「あと何分?」

「あと何分?」「1分です」

「あと何分?」「1分です」

「あと何分?」「1分です」

ひふみん
ひふみん

あと何分?

ついにキレた記録係。

記録係
記録係

1分だよ!

ヒフミンアイ

1978年度の第28期王将戦で中原誠王将に挑戦時、加藤さんは苦戦していました。

中原さんが席を外した時、ふと思いついた加藤は、中原が座っていた場所から盤面を見て、絶妙手を発見して勝利しました。

「反対側から盤面を見なければ、その手は発見できなかった」

そうです。

それから対局中に相手の後ろから将棋盤を見る場面が多くなり、世間から「ヒフミンアイ」と命名されます。

三浦弘行七段とのエアコン攻防戦

暑がりの加藤さん、暑いのでエアコンの室温を下げます。

しかし寒がりの三浦五段(当時)、なんと八段の下げた室温を上げてしまいます。

びっくりした、ひふみん、再度温度を下げる

三浦五段、また室温を上げる

加藤八段、職員に苦情を言いに走る。


数年後の冬、八段になった三浦さんとの因縁の対局。

加藤さんはエアコンはうるさいとマイストーブを対局室へ持ち込む。

すると三浦八段が「ボクにもください」。

控え室のヤジ馬連は、盤外乱闘かと色めき立つ。

もう1台のストーブが三浦の側に置かれた。

なんと加藤はそれをズズーッと遠くに押しやってしまう。

三浦は怒るどころか、その瞬間思わず噴き出した

控室でそれを聞いた青野九段が「それは新手だね」


繊細な加藤さん、エアコンの音が気になるので消そうとしたら、間違えて部屋の照明を消した事があるそうです。

ネクタイ

対局に臨む際は、ネクタイを長く結ぶ(立ち上がると、ネクタイの先端がベルトより20㎝ほど下になる程度)。

偶然ネクタイを長く結んで対局に向かった際、普段以上に澄んだ心持ちで集中して臨むことができ、快勝したため、以降、ネクタイを長く結ぶのが対局時の流儀になった

人から見て長く見えるのはわかっています。でも自分ではまだ短いように思うのです

対局中の食事

一分間にみかんを三つたべる、対戦相手の羽生も局面を見ずにそちらに注目

おやつに板チョコ10枚食べた。(明治製菓限定) 数枚まとめてバリボリ。

カルピスを魔法瓶に2本作ってきて、あっという間に飲み干した。

鍋焼きウドンとおにぎりを9個購入、対局前にはおにぎりの山が築かれるが、対局中にはおにぎりが消え失せた。「おにぎりはもともと戦の食べ物。夜戦に備えて注文しました」

他の棋士も加藤先生の食事が気になるのか、奨励会員のひとがメニューを聞きにいくときはシーンとしずまりかえる

対局の途中に蜂蜜をチュウチュウ舐める

対局中、十数本のバナナを房からもがずに平らげた。

NHKのゴールデンタイムの番組で、チョコレート派と羊羹党の争いではチョコレート派として出演

「加藤先生はいつも同じ食事ばかり注文なさる、寿司なら寿司、うな重ならうな重。奨励会員が前もってお釣りを用意しているくらい。だから加藤先生が食事を変えると将棋会館に衝撃が走る」

夕休のある順位戦だけは成績がいい

立会人を務めたとき、関係者が夕食の心配をしているのを見て

ひふみん
ひふみん

食事は、簡単に食べられるうな重あたりがよろしいのではないですか

激闘!中原誠名人との十番勝負

「将棋の神に選ばれたものだけが名人になれる」

400年余りの名人位の歴史の中で、就位した人物がわずか26名という、名人位の特別性を表現した言葉である。

元々将棋のタイトルは「名人」しかなく、その他のタイトルは、全て戦後にできたものです。

やはり、その格式は他のタイトル戦とは別格で、棋士ならだれもが一番の目標としているタイトルです。

加藤さんは1959年、20歳でのタイトル初挑戦が名人戦でした。結果は1勝4敗で大山康晴に敗れています。

大山康晴はその後化け物じみた強さで13期名人位を防衛します。

2回目の挑戦は、13年後の33歳の時、対戦相手は大山康晴を破って13年ぶりに新名人となった中原誠です。

結果は、0勝4敗の惨敗、またも名人獲得を逃してしまいます。

そして1982年、9年ぶりに名人戦の舞台に戻ってきた加藤一二三

相手は当時の将棋界の帝王、加藤を破ってから9期名人を防衛している永世名人中原誠です。

中原名人は34歳の指し盛り、対して加藤はすでに42歳。

戦前の予想は、圧倒的中原名人優勢。

ところが、7番勝負(4勝で勝ち)の第1局、加藤が優勢になります、結果は惜しくも持将棋で引き分け。

持将棋

両方の玉が入玉し、お互いに詰む見込みが無くなってしまった時、特別ルールとして、駒を点数として数え、勝敗を決めること。 または、左記方法によって点数を計算した結果、引き分けとなること

第2局は順当に中原が勝ちますが、第3局は加藤が勝ちを拾いここまで五分の勝負!

戦前の予想が覆されます。

1勝1敗

第4局は中原勝ち、第5局、加藤勝ちで両者一歩も譲りません。

2勝2敗

第6局、千日手。

千日手

駒の配置、両対局者の持ち駒の種類や数、手番が全く同じ状態が1局中に4回現れると千日手となる。千日手となった場合はその勝負をなかったことにする

指し直し局(第7戦)、加藤が勝ち初めて加藤の勝ちが先行します。

あと一つ勝てば念願の名人です。

ところが第7局(8戦)は中原勝ち。五分となります。

3勝3敗

勝敗が決するはずの第8局(9戦)はまた千日手でした。

ここまで成績は3勝3敗だが、持将棋と千日手を加えると、ここまで9局指したことになります。

迎えた第10戦、まれにみる名勝負ということで世間は大いに盛り上がります。

名人戦は通常高級旅館などの特別室で行われるのですが、予定より大幅に日程がずれ込み手配が間に合わなかったため、対局は将棋会館で行われました。

歴史的名勝負を一目見ようと会館は将棋ファンで溢れます。

形勢は中盤を過ぎたあたりから中原名人優勢となり、いよいよ中原必勝の形になってきます。

しかし加藤は、いつものおやつやお茶さえも断り、しぶとく粘ります。

そんな中、永世名人中原がまさかの大悪手!

加藤が勝ちをもぎ取ります。

初挑戦から苦節22年、念願の名人位を初めて手中し、将棋界の頂点に立ちました。

加藤一二三と米長邦雄

十段戦で、米長とのみかん食い決戦勃発

「おやつは何にされますか」という係の者の問いに

ひふみん
ひふみん

あっ!ええ!みかんをお願いします!皿に一杯で!ハイ!

米長
米長

加藤さんと同じものを。量は加藤さんのより多くしてね

ここから伝説のみかん合戦スタート。時間にして2時間以上、指し手も適当にみかんを食べる。記録係が

記録係
記録係

みかん臭くて死にそうです

と助けを求める。

結局、みかん合戦に負けた米長が勝負にも負ける。

加藤と米長の対局ではいろいろなエピソードがあり、一時は両者の不仲説も取りざたされた。実際、米長は「加藤さんとは対局で顔をよく合わせますが、気は合いません」と皮肉っている。

しかし、後年には「 加藤さんは戦友です。奇行についてはよき理解者です 」と語っています。

その二人とさらに羽生さんが一緒に解説をしている動画があり、必見です

【神回】加藤一二三、米長邦雄、羽生善治による将棋漫才!この豪華すぎるキャスティングは反則だろ!?

米長邦雄さんも加藤一二三に負けず劣らずエピソードをお持ちです。

こちらでまとめておりますので、興味のある方はどうぞ。

神谷広志 八段との因縁

神谷広志には、対局の際に苦言を呈されたことが3回あった。

神谷との対局の際、神谷も寒くないようにとストーブを相手に向けて配置したところ、嫌がらせと誤解されてしまい

「顔が熱くなるからやめてください」と言われた

別の神谷との対局の際、加藤は盤の位置が気に入らずに盤を動かそうとした。

すると神谷がそれに異を唱えた。

加藤と神谷は「くじ引きで勝った方の意見に従う」とし、神谷がくじ引きで勝ち、将棋盤を動かさずにそのまま対局することになった。

別の神谷との対局の際、加藤が盤上の駒の位置を指先で直すと、神谷が「私の駒に触らないで下さい」と抗議した。

加藤は、将棋の駒は取ったり取られたりするものなので「自分の駒、相手の駒」という概念はないだろうと考えたという

野良猫裁判

加藤一二三さんは、 一戸建て風の家が軒を並べるタウンハウスに住んでいました。

そこで加藤さんが定期的に猫に餌をあげていたため、タウンハウスの住人が糞尿をまき散らされるなどの被害を受けたとして訴えられてしまったのです。

そんなことで訴えられるんだと思い、裁判の様子を伝える記事などを調べてみました。

どうやら住民の管理組合総会をほとんど欠席したことなどから、他の住民と確執がありそれが根本的な原因のようです。

よくよく調べるとペット禁止のはずが他の住民が過去に飼っていた事があるなど原告側の矛盾も指摘されています。

加藤さんの長所であり短所である自分を貫き通す性格が悪い方に出てしまったのです。

裁判の結果は加藤さんの敗訴

(1)マンション敷地内での餌付けを中止すること、
(2)慰謝料204万円を支払うこと、

が命じられました。

なお、前述のように加藤との対局中に何度もトラブルがあった神谷広志がわざわざ加藤の所に来て、

「猫への餌やりの件、いろいろ報道されていますが、私は加藤先生を支持します」

という旨を言って励ましたとの逸話が残っています。

勝負へのこだわり

一般で奇行といわれている行動にも、天才勝負師としての理由がありました。

甘いものをたくさん食べるのは脳への栄養補給であり 、昼食と夕食で、同じメニューの出前を頼むのは対局中に食事のことで迷うより、あらかじめ注文するものを決めておきたいからです。

決断の数を減らすために毎日同じ服を着続けたスティーブ・ジョブズと似たような考え方ですね。

天ぷら定食や鍋焼きうどんも好物だが、天ぷら定食は注文しても届かないことが重なり、鍋焼きうどんは冷めるまで待たないと食べられないので、「確実に届き、すぐに食べられる」鰻重に落ち着いたそうです。

加藤
加藤

ストーブにしろエアコンにしろ盤の位置にしろ、どっちでもいいじゃないかと思われるかもしれない。でも、勝負師としてそこで譲ってしまってはいけない。自分の主張を通そうとするのは『絶対に勝つんだ』という強い意識の表れで、引いてしまったら上下関係が決してしまう

その他の伝説

敬虔なカトリックのため「一分将棋の神様」と呼ばれるのが嫌、「一分将棋の達人」と呼ぶように懇願

さすが一分将棋の達人、一分将棋中にもトイレに立つ

感想戦で二歩

バチカンから「騎士勲章」受章 。私は棋士ですが、このたびは騎士にもなりました。ヴァチカンに事件でも起きれば白馬にまたがってはせ参じなければいけません。

NHK杯の紹介文「ちょっと行動がアレですが、いえかなりアレですが、なんとまぁ元名人です」

歯がないのは、対局中に歯をくいしばり過ぎたために抜けたから。歯を入れた状態で将棋の思考に師匠がでたことがあり、歯を入れない事にしている。

現役引退、家族への思い

中学3年生で棋士になり、学校を頻繁に休まざるを得なかった加藤さん。

そんな加藤さんに学校の授業のノートを届けてくれた中学校の同級生の女の子が後の奥様紀代さんでした。

結婚したのは、1960年1月15日、二人の成人式の当日でした。その後1男3女、4人の子宝に恵まれます。

加藤は引退に際しての記者会見(2017年6月30日)で下記のように語り、妻への謝意を表した

長年にわたって私とともに魂を燃やし、ともに歩んでくれた妻に深い感謝の気持ちを表したい

事実上現役引退が決定した後も、あくまでも現役を続けるためにファイティングポーズを取り続け、実際翌日に勝利して史上最年長勝利記録を更新した。

現役最後となった6月20日、高野智史四段との対局では、投了後、感想戦を行わずノーコメントで帰途についた。

悔しさゆえの行動と思われ、勝負師としての闘志が最後まで燃え盛っていたことの表れと言われていましたが、後のインタビューで

負けた後、まずは長年苦楽を共にしてきた妻に伝えたいと思いました。家族は何よりも大切です。記者会見を開くよりも先に、家族に引退を報告することは、私にとって当たり前のことでした。

と語っており、真相は本人にしかわかりません。

「負けました」。帰宅後、妻にそう報告すると、「お疲れさま」と、用意していたネクタイをプレゼントしてくれたそうです。

それまでその対局以外では、奥様に負けを報告したことは、なかったそうです。

ただ、最後の対局は引退の区切りとして、どうしても伝えたかったと語っています。

ひふみんの流儀

さて、ひふみん伝説いかがだったでしょうか。

そのユニークなキャラクターがクローズアップされておりますが、本人にとっては実直に勝負師に徹した結果、まわりからはユニークに見えてしまうようです。

そんな愛すべき加藤一二三さんの引退に関連したお言葉で締めたいと思います。

『もう私はギブアップ』『もうお手上げです、もう完全に参りました』と私は言う立場にないの。

だってまだ生きてるんだから。まだ息してるんですからね

(100歳になったら何してると思いますか?)将棋指してますよ

ひふみん
ひふみん

あと何分?

(おわり)

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