GUCCI家没落の理由【誰がグッチ・マウリチオを殺したのか?】

GUCCI家殺人事件

「GUCCI」 はイタリアでグッチオ・グッチが創業したファッションブランドです。

ところが現在、経営陣の中にグッチ家の名前はありません。

グッチオが立ち上げたブランドは、グッチ家を繁栄させるのですが最終的には不幸を招くこととなります。

  • 誰がグッチ・マウリチオを殺したのか?(犯人は一族の中に)
  • GUCCI家によるグッチ繁栄の歴史
  • 株がGUCCI家を滅ぼしたと言われる理由

この GUCCI家をめぐる物語は何度も映画化の話がでるほど波乱万丈に満ちおり、「奇妙な」物語が展開されます。

8分ほどの内容です、ぜひ最後までおつきあいください。

殺人で幕が開く

1995年3月27日、朝のミラノで4発の銃声が轟き、元GUCCI会長マウリチオが射殺されます。

現場から男が逃走しました。

目撃者は多数いるのですが、意外にも犯人が捕まりません。

元GUCCI会長と言う事で敵も多く、警察はライバル企業や過去にクレームをつけた顧客など動機のありそうな人物を探りますが、犯人が分からないまま時が過ぎていきます。

1年が経ち、2年が経っても、犯人の手掛かりすら掴めません。

それもそのはずです。

何故なら、犯人は一族の中にいたのです。

GUCCIの誕生 、グッチオ・グッチ

グッチオ・グッチ

若き日のグッチオはイタリアから単身イギリスへ渡り、一流ホテルのホテルマンとして下積み生活の中で大金持ちがどのような 素材・かたち・縫製・色 の鞄を好むのか勉強します。

1921年、 グッチオはホテルを退職し、フィレンツェにグッチオ・グッチ鞄店を開業します。

ホテルで見てきたノウハウを生かし、富裕層のニーズにあった製品を作成します。

フィレンツェの風景
グッチオ
グッチオ

価格は忘れても、品質は記憶に残る

このような理念の元、徹底した品質管理と顧客サービスを提供していきました。高額でしたが、 洗練されたデザインと品質は瞬く間に人の心をつかみ人気店となります。

1939年に第二次世界大戦での皮革製品の製造統制など幾度となく危機が訪れますが、グッチオの優れたアイディアで解決していき、ブランドの人気を不動のものとします。

ただ、グッチオは1からブランドを作り上げ、品質/価格などすべてに明確な理念をもってブランドを構築した実力者だけに、激情を持ち合わせていました。

イギリスの女王・エリザベス2世陛下がグッチの店を訪れた時、女王の従者に勧められてバッグを贈りました。

その場は大人しくしていましたが、次のように発言したと伝えられています。

グッチオ
グッチオ

金も払わん乞食はもう来るな

グッチ(GUCCI)といえば、ダブルGのモノグラムが有名ですが、「GG」はグッチオ・グッチのイニシャルであり、世界で初めてデザイナーの名前入りの品質保証として刻印したものです。

GUCCIのダブルG

こうしてグッチオはブランドの元祖といわれるGUCCIの基礎を作り上げ、イタリア国内のみならず、海外からも注目を浴びるようになります。

GUCCIの繁栄 、アルド・グッチ

グッチオには、息子が5人いましたが、最終的に家業を継いだのは 三男アルドと五男ルドルフォの2人です。

グッチオは2人を後継者として競争させました。

第2の皇帝、アルド

第2の皇帝、アルド・グッチ

三男アルドは、GUCCIの発展に もっとも貢献した人物です。父グッチオと経営方針でぶつかりながら世界拡大路線に舵を切ります。

1953年、ニューヨーク支店をオープン。ニューヨークはグッチの町と言われるほどグッチが流行、大成功をおさめます。

その年、海外展開に反対していたグッチオが亡くなり、GUCCIはアルドを中心に動いていきます。

アルドの代でヨーロッパだけではなくアジアの主要都市にも進出、店舗数も全世界で500店舗を超える規模にまで膨れ上がりました。

ブランド「グッチ(GUCCI)」の黄金期

徹底したブランドイメージの構築で、ブランド「グッチ(GUCCI)」の黄金期を迎えます。

ルドルフォ・グッチ

一方の五男ルドルフォは、若い頃は家業には携わらず、映画俳優を目指していましたが芽が出ず、父親のグッチオからの声かけによりグッチの経営に携わるようになります。

映画界に顔の利くルドルフォは、そのつてでオードリー・ヘップバーンや グレース・ケリー(アメリカの大女優1956年にモナコのレーニエ皇太子との結婚しモナコ王妃に)などの大人気女優にGUCCIの製品を持ってもらい、グッチの名声を高めることに成功します。

ローマの休日

仕事上の実績なら、ルドルフォよりもアルドが上です。
しかし末っ子のルドルフォは父グッチオに溺愛されていました。

グッチオの死後、本来なら実力的にアルドが後継者としてグッチの資産を引き継ぐべきでした。

ところが、グッチの株はアルドとルドルフォ半分ずつ平等に分けられました。

関係名前持株比率
子 アルド50%  
ルドルフォ  50%
それはグッチ家の不幸の始まりでした

父と子の確執

3男アルドには、3人の息子がいました。ジョルジョ、パオロ、ロベルトです。

ある時アルドは、自分がそうであったように兄弟で平等に株を保持させ、経営に対する意欲を引き出そうと考えます。

アルドは、40%の株を残し、10%の株を3人の息子に3.3%ずつ分け与えます。

関係名前持株比率
アルド40%
ジョルジョ3.3%
パオロ3.3%
ロベルト3.3%
ルドルフォ50%

息子の中で、もっともデザイナーとしての才能があったのがパウロです。

しかもアルドと性格が一番似ていました。

絶対権力者アルドの意思に逆らい、独断専行が目に余るようになります。

パオロはアルドに内緒で、価格帯を落とし中流階級まで顧客層を広げた 「パオロ・グッチ」という新ブランドを制作し売り出そうと計画します。

パオロ
パオロ

オヤジの考え方は古臭い。
もっと安くして、グッチをいろいろな人に着てもらうべきだ。

まるで、アルドがグッチオに反対して海外進出を推し進めたように。

売り出しの一歩手前まで進みますが、アルドに発覚し阻止されます。中流階級まで範囲を広げるブランドイメージを損ないかねないこの計画に、アルドは怒ります。

親子の縁を断ち、パオロをGUCCIから永久追放

親子の縁を断ち、パオロをGUCCIから永久追放します。

絶世の美女、パトリチア

やがて5男のルドルフォが亡くなり、一人息子のマウリチオがGUCCI株の50%を引き継ぎます。マウリチオは、おとなしい御曹司でした。

適齢期になるとマウリチオは絶世の美女、パトリチアに心を奪われ、結婚します。

 絶世の美女、パトリチア

このパトリチアは野心家で、ひそかにグッチ社長夫人を狙いマウリチオに近づいたのでした。

パトリチア
パトリチア

いくら50%の株を持っていても、このままではアルドの言いなりじゃない

パトリチアは、気が弱く頼りにならない夫を絶大な権力を握る伯父アルドに勝たせるためにある作戦を実行します。

アルドとその息子パオロの親子喧嘩をチャンスと捉え、パオロに近づきます。

パトリチア
パトリチア

父親に逆襲できるチャンスよ。
手を組まない?

マウリチオの50%とパオロの3.3%の株を合計すると念願の過半数を制し、経営権を握ることができるとパオロを誘ったのです!

関係名前持株比率
アルド40%
ジョルジョ3.3%
パオロ3.3%
ロベルト3.3%
マウリチオ50%
パオロ
パオロ

恐ろしい女だ。
いいだろう、騙されてやる。

追放の件で父を恨んでいたパオロはこの話に乗ってしまいます。

1984年10月、アルドは、クーデータによりGUCCIの社長を解任されます。

GUCCI家の没落、女帝パトリチア

マウリチオは、株主総会で社長に就任します。

パトリチアも念願の社長夫人になりご満悦です。
新たなGUCCI帝国の独裁者として、素人ながら自分がデザインしたバックの発売を命じる、モデルの真似ごとをするなど傍若無人に振る舞います。

女帝パトリチア

アルドの逆襲

一方、社長を解任され失意のアルドは、息子のジョルジョとロベルトに20%ずつの株を譲ります。

関係名前持株比率
ジョルジョ 23.3%
ロベルト 23.3%
パオロ 3.3%
マウリチオ 50.0%

さらに、なりふり構わず反撃にでます。

アルド
アルド

新社長のマウリチオがGUCCIの株を相続した父親のサインは偽物だ!
秘書が偽造したものだ。

1985年、なんと身内を告発するのです。

管財人が選出され、裁判が終るまでマウリチオは、社長職から追放され事に。

1986年9月、こんどはアルドが窮地に立たされることになります。

 マウリチオ
マウリチオ

アルドは、社長時代から、立場を悪用して脱税している

脱税容疑で法廷に立たされ、多額の罰金と禁固刑の実刑判決がくだされます。
当時80代のアルドは投獄されていまいます。

アルド
アルド

なぜだ!
あの帳簿の情報がマウリチオ側に漏れるはずがない。

アルドは納得できません。

アルドを売ったのはいったい誰なのでしょうか .... ....

一族内の泥沼の戦いは、ついに逮捕者まで出してしまいます。

パオロ
パオロ

オヤジの時代はすでに終わっているのさ。

1990年、アルドが失意のうちに亡くなります。

「パオロをけっして一族の墓に入れてはいけない」

と遺言して。

GUCCI家の没落

スキャンダルによるイメージダウンにより、GUCCIの業績は不振を極めます。
グッチの模倣品が大量に出回るなどの事件も低迷に拍車をかけました。

1988年、マウリチオが、会長に復帰を果たしますが、マウリチオに経営を任せるくらいなら、他人に株を売ったほうがいい。

そう考えたジョルジョ、ロベルトそしてパオロまでが、株を売却します。

売却先は、アラブ資本の投資銀行「インベストコープ」でした。 この売却により株式の半分が一族の手から離れたことになります。

関係名前持株比率
マウリチオ50%
インベストコープ50%

イメージダウンしたブランドイメージを盛り返そうとマウリチオは様々な手を打ちますが、いったんついた負のイメージは回復せず、なかなか効果が出ません。

マウリチオ
マウリチオ

すべて無駄だったか . . . .

1993年9月、 経営に自信を失ったマウリチオは、全ての株をアラブ資本に売却します。

こうして、醜い血族間の争いの末、全ての GUCCI 株はGUCCI家の人間の手を離れてしまいます。

殺人で幕を閉じる

そして、1995年3月27日、 GUCCI 家の物語は殺人で幕を閉じます。

朝オフィスに入るところを、多くの目撃者のいる中、4発の銃声が轟き、元GUCCI会長マウリチオが射殺されます。

現場から男が逃走しました。

グッチ家最後の事件

目撃者は多数いるのですが、意外にも犯人が捕まりません。
プロの犯行か?何が目的なのか?分からないまま時が過ぎていきます。

1年が経ち、2年が経ち、事件は迷宮入りと思われていました。しかし、3年が経過する前に殺し屋を雇った人物が発覚します。犯人は......

...........

犯人はパトリチア

犯人は、妻のパトリチアでした。

事件の頃、パトリチアは、夫マウリチオと別居中でした。

マウリチオはパトリチアが財産目当てで自分に近づいたことにようやく気付き別の女性と暮らしていました。

離婚されないうちに、GUCCI株の売却代金を相続しようとしたのか、裏切った夫への復讐なのか。真相は語られていません。

パトリチアはインタビューで次のように語っています。

パトリチア
パトリチア

幸せはお金では買えないけど、お金はある方がずっといい
自転車に乗って幸せでいるより、ロールスロイスの中で泣いてる方がまし

GUCCIの復活

GUCCI家の物語は以上です。
その後、GUCCI家が復興したとの話は聞こえてきません。

株を2人の息子に平等に配布した時から始まったGUCCI家の不幸は、パトリチアと言う魔女の侵入により決定的なものとなってしまいました。

おれたちギャングは「ブッ殺す」と心の中で思ったなら!
その時すでに行動は終わっているんだっ!

これは、ジョジョの「プロシュート兄貴」の名言ですが、いやはやパトリチアも即行動の女ですね。

その他こんな逸話もあります。

パトリチアの逸話
  • 2011年パトリチアは裁判所から出された仮釈放提案を拒否したそうです。仮釈放の条件は「仕事をすること」だったが、「人生で働いたことなんて一度もないし、これからもするつもりはない」と話した

  • 逮捕された時に家宅捜索され発見された日記に「殺人も金で買える」と書かれていた

さて、お話はGUCCIの不振で終わっておりますが、ご存知のようにブランドGUCCIは現在もトップブランドとしてファッション業界に君臨しております。

最後にGUCCIを復活させた方々を作品とともにご紹介しようと思います。

GUCCIを復活させた人々

ここまで見ていただいた方にはGUCCIに詳しくなっていただきたく、復活を担った歴代のディレクターを詳しくご紹介します。

1989年、ドーンメロー氏がクリエイティブディレクターに就任
一度広げた風呂敷をいったん閉じ、グッチの格となるデザインのみ展開を継続していったことによって徐々にグッチの経営を上向かせた。

1994年、トム・フォード
グッチのクリエイティブディレクターに就任してからは彼の出す新生グッチのコンセプトが瞬く間に世界のセレブリティに支持をされ、グッチは再び世界のトップブランドとしての地位に返り咲くことができたと言われています。VOGUE最高国際デザイナーなど、多くのデザイナー賞を受賞したことでも知られています。
1994年に約2億ドルだったグッチの売り上げは、2004年には30億ドルに成長しました。
GUCCIの完全復活です。

GUCCIのバック

2006年、フリーダ・ジャンニーニがクリエイティブ・ディレクターに就任します。
ジャンニーニはデザイナーになると決めた時から、グッチで働くことを夢見ていたそうです。グッチはジャンニーニによって、女性らしい温かさや優しさという魅力を手に入れます。

GUCCIのバック

ちなみに フリーダ・ジャンニーニは、自身の美しさでも有名なデザイナー。コレクションなどの場では、金髪の美貌と見事なスタイルを持った彼女が公の場で見せるファッションも大きな話題を呼んでいました。

また、当時のGUCCIのCEOであるパトリツィオ・ディ・マルコと実生活でのパートナーでした。この人、最強ですね。

フリーダ・ジャンニーニ

ちなみにジョジョとコラボを始めたのも彼女です。

2015年 新任のクリエイティブ・ディレクターに抜擢されたのは、アレッサンドロ・ミケーレ
ミケーレが考えだしたグッチは、動植物が活き活きと生命を謳歌する、楽園のようなデザイン。
新たなグッチのアピールにふさわしい華やかさで、審美眼に優れたセレブたちの共感を呼びました。

GUCCIのバック

鮮やかに復活し、GUCCI家が君臨していた時から売上が何倍にもなっているGUCCIですが、皮肉にも最近は「オールドグッチ」が人気です。

ブランドの元祖として世界的に広めたグッチ一族が手がけた製品が本当のGUCCIだと言われ、世界中のコレクターの中で美術品として人気が高まっているようです。

確かに最近の派手なものより、オーソドックスなものの方が良く見えますね。
グッチオ時代の魂のこもった作品、おひとついかがですか。

(おしまい)

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