カルロス・ゴーンの出生から逃亡までの経歴【フランスの日産乗っ取り計画と日本政府の逆襲】

カルロス・ゴーンの出生から逃亡までの経歴【フランスの日産乗っ取り計画と日本政府の逆襲】

連日ニュースを騒がしているカルロス・ゴーン。その逮捕劇の裏には、ルノーと日産に留まらず、フランス政府と日本政府の争いが隠れています。

本記事は、カルロス・ゴーンの生い立ちから日産までの経歴を追うとともに、逮捕・国外逃亡までに発展したフランス政府と日本政府の争いについて時系列でまとめています。

本記事の内容
  • カルロスゴーンの生い立ち
  • 日産に来るまでのキャリア
  • フランスの日産乗っ取り計画と日本政府の逆襲
  • これからのルノーと日産

プロローグ フランスの日産乗っ取り計画

2015年、フランス政府は仕掛けてきます。

ルノーは元国有企業であり、フランス政府とのつながりが非常に強い会社です。

大臣のマクロンは、ゴーンにルノーを介して日産への関与を強めるように要求します。

マクロン、日産を経営統合させなさい

統合反対の立場に立っていたゴーン氏は、反対します。

ゴーン、そんなことはできない

日産のCEOとしてなんとかフランスの要求を退けたゴーンでしたが、想定外の事態に襲われます。

なんとマクロンが39歳という若さでフランスの大統領になってしまったのです。

2017年マクロンはゴーンのルノーCEOの任期切れのタイミングを狙い仕掛けてきます。

マクロン
マクロン

ルノーに残りたければ、日産との統合を進めなさい

再任したければフランスの関与を高めるように再度要求してきたのです。

今度はフランス大統領として。

一旦要求をのむしか道はないな......

窮地に立たされたゴーンは、経営統合の路線を進む条件を飲んでしまいます。

結果的に、これは数々の難しい判断を行ってきたゴーンの致命的なミスとなります。

なぜならこの判断がクーデーターの原因となり、結局ゴーンは日産どころか日本まで追われる事になってしまうのです。

カルロスゴーンの生い立ち

カルロスゴーンの生い立ち

カルロスゴーンの幼少期

1954年3月9日、カルロス・ゴーンは、レバノン人の両親の間にブラジルで生まれました。

ブラジルで生活する2歳のゴーンにいきなり生命の危機が訪れます。

アマゾン川流域は蚊が多く、人々は水を煮沸して飲んでいました。

ゴーンはそんな生水を飲んでしまったのです。

くっ苦しい . ...

高い熱を出し、生死をさまよいました。

何とか一命を取り留めたもののなかなか体調が回復しないことから、6歳の時に両親の故郷・レバノンへ移りました。

レバノンで高校卒業後、母のすすめもあり、フランスの大学へ。

このような経歴から3つの国籍を保持しています。

ゴーンの国籍

ブラジル国籍:出生地
レバノン国籍:両親の国籍
フランス国籍:大学時代に取得

ゴーンが日産に来るまでのキャリア

ゴーンが日産に来るまでのキャリア

ミシュラン時代

1978年にフランスのタイヤメーカー大手・ミシュランに就職すると、26歳の若さで工場長に抜擢されました。

1985年に幹部としてブラジルに赴任した際は、生まれ故郷への思いから喜びました。

ついに生まれ故郷に帰ってこれた。

ブラジルでは金融危機・政情不安・インフレなど国の環境との戦いを強いられます。フランス本社からのプレッシャーにも耐えながら、3年で利益が出せるるようにする事に成功。

1989年、ミシュラン北米CEOとしてアメリカに渡ります。

アメリカではユニロイヤル買収後の建て直しがミッションに。

ゴーンは、工場閉鎖など容赦ないコスト削減策を実施したことから「コストカッター」の異名がつきました。

見事建て直しに成功したゴーンはアメリカの市場での競争から学びながら着々と実績を積んでいきました。

ただ、ミシュランは一族経営であり、どんなに実績を積んでもトップになれません。

ずっとナンバー2でいいのか

そんな声が周りからも、自分の中でも響いていました。

ルノーでの戦い

カルロス・ゴーンのルノーでの戦い

ルノーは元々フランスの国営自動車会社でしたが、過激左派組織のテロなどフランス国内外での混乱を生じながらも民営化を成し遂げました。

その立役者がフランス予算省の上級官僚から転職したルイ・シュバイツァー会長(当時)でした。

 シュバイツァー
シュバイツァー

君がNo2の最有力候補だ、ぜひ来てほしい

1996年、カルロス・ゴーンはそのシュバイツァーからスカウトされ、18年務めたミシュランを辞めルノーに入社することを決意します。

ゴーンが入社した時ルノーは赤字決算が常態化していました。ゴーンはここでも積極的なコスト削減で実績を上げます。

ベルギーにあったルノーのビルボールド工場等の採算の在っていなかった部門の閉鎖や、調達先の集約などで経費の圧縮を進め、赤字だったルノーの経営を数年で黒字へと転換することに成功しました。

コストカッター、カルロス・ゴーン

これらの施策の実行から、経営者としてのゴーンは「コストカッター」「コストキラー」と呼ばれました。

ゴーン
ゴーン

なんとかやり遂げたぞ

会社の建て直しに成功したゴーンの次のミッションは、昔のルノーのように慢性的な赤字に苦しむ、日本の自動車会社の建て直しでした。

破産寸前の日産

破産寸前の日産

1999年当時の日産はおよそ2兆円に及ぶ有利子負債を持ち、日本国内の販売においては46車種中のわずか3車種しか利益が出ない状態にありました。
その評判は散々でした。

日産の評判
  • 日産は26、7年前から衰退の一途。最高で33-34%のシェアが現在では17,8%に減少した。立て直しは容易でない 。

  • 再建が不可能だと判断されていた。すでに2回も再建に失敗し、決して成功しない。

もはや外資の資本を投下するしか生き残る道はありませんでしたが、その提携先探しは難航します。

ダイムラーが有力候補でしたが、消滅。

消滅理由は、ダイムラーがクライスラーとの提携交渉を優先したためとなっていますが、真相は違います。

ダイムラーの条件に当時の日産社長、塙義一が激怒したことが原因でした。

ダイムラー会長
ダイムラー会長

全取締役の退職することが条件だ

塙社長
塙社長

ふざけるな!

とは言え、もうあと20日余りで資本注入しなければ倒産です。

そんな追い詰められた日産に手を差し伸べたのがルノーでした。

ルノーと日産提携

実はルノーは2000億程度しか資金をだせずに日産の求める8000億には到底及ばない状況でした。そこにフランス政府が裏書することでようやく資金調達のめどがたったと経緯がありました。

これが今日まで続く、フランス政府が強く関与してくる理由です。

もちろん激化する国際競争の中で、国際化を促進するというフランス政府の狙いがありました。

1999年3月13日土曜日、当日産社長の塙義一はエール・フランス機で16時07分にシャルル・ドゴール空港に到着し、空港内でルノーとのアライアンスを締結し、23時20分発でトンボ返りしました。

塙が急いだのは、月曜日朝、東京株式市場が開く前に、ルノーとのアライアンスを発表しないと、日産の株価がどんどん下がり続け、倒産の可能性が高かったからです。

それくらい追い詰められていました。

一方、仏側ではルノーのリスクを指摘する声が強く、資本提携のニュースが流れるや、ルノーの株価が2日間で10%下がりました。

一方、仏側ではルノーのリスクを指摘する声が強く、資本提携のニュースが流れるや、ルノーの株価が2日間で10%下がりました

フィガロ紙は、日産がこの7年間で6回も赤字決算を計上し、膨大な負債を抱えているほか、日仏の文化の相違を上げ、在日仏経営者たちがいかに、日本で苦労しているかを特集しています。

暗雲立ち込める中、1999年3月27日にルノーが日産の株式の36.8%を取得し、ルノーと日産の間で資本提携が結ばれました。

世界戦略的にも絶対にこの資本提携は失敗はできない、フランスの威信もかかっている。

会長のシュバイツァーはこの大仕事を最も信頼できる男に託します。

 シュバイツァー
シュバイツァー

この仕事を頼めるのは君しかいない、頼んだぞ

こうしてカルロス・ゴーンが日産に送り込まれたのです。

日産を救え!

日産を救え!

カルロスゴーンの来日

ゴーンが日本にやってきました。

赴任の時、リュックを背負い、子供(4児の父)の手を引いてタラップを降りて行ったので、威儀を正して迎えに来ていた日産のお偉方は仰天したそうです。

その立て直しはたやすい道ではありません。まず日産側に伝統ある大企業がつぶれるわけないと危機感が欠如しているところがありました。

初のルノーの株主総会で、重役に選出された社長の塙は会見で、次のように宣言

塙社長
塙社長

できるだけ早い時期にルノーの株を取得する

シュバイツァーはちょっと呆れたというか、ムッとした表情をしました。

シュバイツァー
シュバイツァー

お宅はそれどころじゃないだろ

また、当時のゴーンが「火の車だというのに、まだ未来があるように対応していた」と証言しています。

ゴーンは日産の立て直しに着手します。

3ヵ月の間に、数百の施設を訪問し、数千もの人に会いました。

社内のコミュニケーションを重視し、重要な発表はメディアの前に幹部社員を集めて伝達、意思決定とそのプロセスがすぐさま伝わるように仕組みを整備。滝の水が落ちるように社員に瞬く間に伝わることからカスケード・コミュニケーションと呼ばれました。

そして、1999年10月18日、「日産リバイバルプラン」を発表。

日産リバイバルプラン
  1. 2000年度連結当期利益の黒字化
  2. 2002年度連結売上高営業利益率4.5%以上
  3. 2002年度末までに自動車事業の連結有利子負債を7000億円以下に削減

なんと3年で日産を多々直すというのです、この3つ達成目標を掲げ、異例の宣言をします。

なんと3つのうち、1つでも未達成の場合は「経営陣全員が辞任する」と公約したのです!

なんと3つのうち、1つでも未達成の場合は「経営陣全員が辞任する」と公約したのです!

この時にゴーンが使った「コミットメント」はという単語は話題になり、「必達目標」という見慣れない和訳とともに広り、広くつかわれるようになりました。

日産リバイバルプラン

ゴーンは日産においてもこれまでと同様の徹底したコスト削減の手法で経営完全に取り組みます。

ゴーンの施策
  • 不採算であった武蔵村山工場の閉鎖など、車両組立工場3箇所、部品工場2箇所を閉鎖し、国内の年間生産能力を240万台から165万台へと削減。

  • 従業員約21,000名の早期退職を進める

  • 下請企業を約半分に減らした。

  • ルノーとの部品の共有化や部品購買の共同実施

日産の2000年3月期連結決算は、本業の不振とリストラによる特別損失の計上が響いて、純損益が6844億円の赤字に陥りました。

ゴーン
ゴーン

負の遺産を一掃しただけだ、一過性の赤字に過ぎない

ゴーンはこのように強調し、強気の姿勢を崩さなかった。2000年6月には社長兼COOに昇格し、名実ともに日産のかじ取り役となりました。

目標達成の起源はあと1年です。

ゴーン流

当時、ゴーンは自分にも厳しく業務を遂行していました。

  • 目的が明確でない会食はすべて断る

  • 一日を無駄に使うのがいやでゴルフも嫌っていた

  • ワーカホリックのように早朝から夜遅くまで働くので「セブン-イレブン」とあだ名がついた

  • 「過酷な競合が繰り広げられる世界の自動車業界において最も多忙な男」と呼ばれる

2000年トヨタの会長だった奥田氏は次のように話しています。

奥田会長
奥田会長

ゴーンと一緒に食事をしたが、トヨタの役員で私が一番食べるのが早いのに、私よりも早かった。あれだけドラスティックなことは日本人経営者にはできない。解雇しようとしても社員や部品メーカーの経営者の顔や生活が浮かんでしまう。ゴーンはしがらみがないので大胆なリストラができるのだろう

瀕死(ひんし)の状態だった日産に「緊急手術」を施したゴーン流改革は、結果となって表れます。

2001年3月期の純損益は3311億円に「V字回復」。黒字化どころか過去最高益である。

2001年3月黒字化どころか過去最高益である。

財務的なテクニックも駆使されたようだったが、赤字で倒産寸前だった会社がわずか2年後に最高益を出したのである。驚き以外の何物でもなかった。

日産はゴーン救われたのである!!!

ゴーン
ゴーン

最初のコミットメントは達成された

2002年には「リバイバルプラン」の1年前倒しでの達成を宣言。

剛腕経営者・ゴーンの名は国内外にとどろきました。

ゴーンの成果
  • 2003年には有利子負債を完済した。
  • 1999年度には1.4%であったマージンは2003年度には11.1%へと増加
  • 12%前後まで落ちた国内シェアを20%近くまで回復

2002年にフランス政府から、レジョンドヌール勲章(シュヴァリエ)を授与され、2004年に外国人経営者として初めて藍綬褒章を受章しました。

2005年5月には、ルノーの取締役会長兼CEOにも選ばれ、フォーチュン・グローバル500にリストされる2社を同時に率いる世界で初めてのリーダーとなりました。

2005年5月には、ルノーの取締役会長兼CEOにも選ばれ、フォーチュン・グローバル500にリストされる2社を同時に率いる世界で初めてのリーダーとなりました。

今思えばこの頃がゴーンの経営者としての頂点でした。

この頃から徐々に歯車が狂いだします。

ゴーンの陰り

ゴーンの陰り

目標達成の代償

ルノーのCEOにも選ばれたゴーンは日本とフランスを行き来する生活となります。

そんな中、改革によるほころびが見え始めました。

業績悪化
  • 前年までの計画を達成するために、新車発表を集中し利益の先食いをした
  • コミットメント経営により、目標達成を重視するため、日本独特の新卒を現場で一人前に育てていく教育的側面が無くなり、品質低下
  • ゴーンの変調、大事にしていた商品競争力報告会議でもうわの空
  • 2006年以降、関連会社の日産と歩調をあわせるようにルノーの業績も悪化

2007年4月26日に発表された同年3月期の決算では、ゴーンが指揮をとりだしてから始めての減益となります。

発表でもこれまでの覇気がなく、ゴーンの自信はゆらいでいました。

再建屋としての経験こそ豊富だが、日産のようなグローバル企業を安定成長に導いた経験はなく。 迅速なリストラや経費削減によって一気に収益を高め、企業価値を向上させるゴーンの経営手法は、どちらかと言えば短期手法で、長期的には限界があったのです。

しかし、ゴーンの判断のさえは健在で、さすがゴーンという場面もありました。

★的確な判断
SUVの2代目「エクストレイル」を出す直前に、デザインや外観をやり直すべきとの意見が社内で出始めた、やり直しの追加コストは50億。検討会議で黙って聞いていたゴーンは最後に「変更して売る自身があるならやりなさい」と即決。

★日産の利益尊重
2007年に発売したSUV「キャッシュカイ」が欧州で売れ始めるとルノーでも販売したいと依頼があった、日産が単独で開発した車を売れば開発費を負担せずに儲けられると考えてのことだ。ゴーンは「これは日産の収益を支える車だからルノーには提供できない」と即座に要求を却下。当時の技術陣は「さすがゴーン」と言って喜んだ。

2011年3月11日、大規模自然災害となった東日本大震災時、リーマンショックの判断などピンチに迅速な判断で動き、さすがゴーンと言われる場面があるなど冴えを見せる場面もありましたが、日産内には徐々に不満がたまっていきました。

ゴーン流のほころび
  • ルノー出身の幹部が優遇され日産の功労者が左遷される理不尽な人事
  • 意見が対立すると日本人は経営に失敗したのだからとの態度で接してくる
  • 長年のコストカットで疲弊し、品質が低下
  • 目先の達成優先で新人が育たない。

そして大きな分岐点を迎えます。

ターニングポイント

ターニングポイント

2013年11月、二期連続の赤字が発表され、ナンバー2のCOO(最高執行責任者)志賀俊之が解任されました。

志賀俊之氏は、ゴーンの子飼いだが、多少は意見が言える唯一の取締役でした。

その志賀俊之に赤字の責任をなすりつけ、解任してしまったのです。

この時ゴーンは59歳。外資系ではとっくに引退しても良い年齢です。

来日以来、数十回インタビューした記者の井上久男さんはゴーンの変化を次のように語っています。

ギラギラした部分がなくなり老いを感じた

志賀氏にかわりにナンバー2となったのが後に社長になる西川氏でした。

ただ、西川氏の社内の評判は必ずしも良くありませんでした。「世渡り上手」「ゴーンの顔色ばかり伺っている」などの評価を受けていました。

イギリスの歴史家ジョン・アクトンの言葉にこんなものがあります。

「絶対的権力は絶対的に腐敗する」

ゴーン巨大帝国

陰りが見えたゴーンでしたが、思いがけないチャンスが転がり込んできます。

度重なる不正で三菱自動車が経営危機に陥ったです。

すかさずゴーンは動きます。

2016年5月、日産自動車が2373億円の第三者割当増資を引き受け、34%の株式を取得しゴーン帝国の一員とします。

ゴーン巨大帝国

その結果、2017年通年の世界販売台数では、日産自動車と三菱自動車を加えた「ルノー連合」が世界第2位に浮上し、トヨタを抜きました。

2018年世界販売台数ランキング

1位:フォルクスワーゲン(1083万台)
2位:ルノー連合 (1075万台)
3位: トヨタ自動車(1060万台)
4位: GM (838万台)
5位: 現代自動車 (740万台)

ゴーンの3社で重要な地位を占める実質的支配者です。

日産自動車:会長 (CEOは西川廣人氏)
三菱自動車:会長(CEOは益子修氏)
ルノー:CEO( COOはティエリー・ボロレ)

ゴーン
ゴーン

いい買い物をした、ルノー連合はわたしの帝国だ!

2017年、ゴーンは3社連合の中期計画「アライアンス2020」を発表、世界販売台数を2022年までに1400万台にをめざす事を発表。ゴーンは経営者としての最後の花道を飾るべく規模拡大論戦を邁進しようとしていました。

しかし事はそう簡単には行きませんでした。

ゴーン亡きあとの体制を睨み、フランス政府の圧力が日に日に強くなってきたのです。

フランスの日産乗っ取り計画

フランスの日産乗っ取り計画

フランスの狙い

日産とルノーの資本関係を見ると次のような状態です。

  • ルノーは日産自動車の株式43.6%を保有する筆頭株主

  • 日産自動車もルノーの株主をフランス政府と同じ15%保有する筆頭株主

日産もルノーの筆頭株主ですが、ルノーの連結小会社であるため議決権はありません。

1999年の日産の危機時、ルノーが日産自動車株取得に費やした資金は総額で約8000億円だが、日産自動車に保有させている15%の株式分とこれまでに得た現金配当で、すべて回収済みです。

ただ、そんなことでフランス政府は満足しません、真の狙いは日産をルノーに完全に取り込む事です。

2015年、フランス政府は、仕掛けます。

経済・産業・デジタル大臣のエマニュエル・マクロンは「2年以上保有する株主の議決権を2倍に」する『フロランジュ法』を強引に承認させます。

マクロン
マクロン

ルノーと日産を経営統合させなさい

ゴーン
ゴーン

そんな事はできない

日産のCEOとしてなんとかフランスの要求を退けました。

マクロン再び

マクロン再び

想定外の事態がゴーン帝国を襲います。

2017年5月7日、なんと日産とルノーの経営統合を推進していたマクロンが39歳という歴史上でもっとも若いフランス大統領になってしまったのです。

2016年から三菱自動車もルノー連合に加わったことで、フランスにとっては益々重要度が上がってきています。

マクロンはゴーンのルノーCEOの任期切れのタイミングを狙い仕掛けてきます。

マクロン
マクロン

ルノーに残りたければ、日産との統合を進めなさい

今度はフランス大統領として、再任したければフランスの関与を高めるように要求してきました。

ゴーン
ゴーン

今ルノーを離れるわけにはいかない。一旦要求をのむしか道はないか......

窮地に立たされたゴーンは、4年の任期延長のため、経営統合の路線を進む条件を飲んでしまいます。

結果的に、これは数々の難しい判断を行ってきたゴーンの致命的な判断ミスとなります。

21年ぶりの日本人社長誕生

ルノーと日産自動車の資本関係は「ルノーが親、日産が子」だが、販売台数や時価総額では日産の方が多く完全に「親子逆転」となっています。

株式時価総額は、日産自動車が4兆7630億円なのに対し、ルノーが3兆7388億円です。

ルノー連合販売台数

日産自動車:581万台
ルノー :376万台
三菱自動車:144万台

そんな中、2017年西川廣人(さいかわ ひろと)氏が21年ぶりに日本人としてCEOに就任します。

西川氏は購買調達畑を歩み、切れ者で知られていました。2016年に代表取締役共同最高経営責任者、副会長。自工会会長や三菱自動車との資本提携交渉、ルノー取締役も10年以上務めるなど、「ポストゴーンは西川しかいない」と呼ばれ、自らもやる気十分でした。

そんな西川氏の就任会見で驚きの発言が飛び出します。

なんと就任後のあいさつでルノーから日産を取り戻すと宣言したのです。
西川社長
西川社長

日産が経営危機に陥ってルノーと提携してこれまで受け身の面もあったが、今度は日産がアライアンスの中核となって引っ張り、着実に進化、成長させていく

なんと就任後のあいさつでルノーから日産を取り戻すと宣言したのです。

これまでゴーンのご機嫌を伺い、ゴマをすり、社内からは嫌われ、ゴーン体制の不満の矛先となっても耐えぬいた男が、ついにその牙むいたのです。

「完成車検査」の不正が発覚

ところが2017年9月、出荷前の大事な検査である「完成車検査」の不正が発覚、さらに「無資格検査員が検査していた」、「検査員試験でカンニング推奨していた」など 次々に問題が発覚してしまいます。

これはすべて内部リークが発端でした。

完成検査問題などは40年前から行われてきた問題でした、それがこのタイミングで出てきたことには意味があるはずです。

高らかに日本人としての利益優先を宣言した西川CEOでしたが、すでに人望はなく、この事態を防ぐ事ができなかったです。

西川社長
西川社長

...このままでは終われない

20年以上も苦渋に耐えて掴んだ今の地位です、簡単失脚するわけにはいきません、西川氏は「逆転の一手」を探します。

クーデター

クーデター

ゴーン逮捕

2018年11月19日衝撃のニュースが流れます。

なんと、日産のカルロスゴーン会長が金融商品取引法違反容疑で逮捕されたのです。

不正に加担したとして、ゴーンの右腕のグレゴリー・ケリー取締役も同時に逮捕されます。

同日、日産はすぐさまプレスリリースを発表。夜には西川CEOが自ら、会見に臨みました。

西川社長
西川社長

残念という言葉を超えて強い憤りがあり、非常に落胆した

記者からの質問にも流暢に答え、会見が準備されたものである事がうかがえました。

日産はルノー側に傾いたゴーンを追放したのです!

ゴーンは留置所に勾留され連日厳しい取り調べを受けます。

拘留期限が切れ保釈されそうになると別件逮捕するなど身柄を拘束し続けます。

ニュースではゴーンの事件を連日報道、次々に明かされる、ゴーンによる私腹を肥やす行動に世間ではすっかり悪役のイメージとなります。

ただ、一部では本当に逮捕するほどの事件なのか、また検察の国策逮捕ではとの意見も見られました。特にフランスなど外国では容疑者を長期勾留する日本の司法制度への批判も高まっていました。

そして、ゴーンは大人しくやられっ放しでいるような人物ではありませんでした。

ゴーンの逆襲

ゴーンの逆襲

家族とも自由に連絡も取れず、厳しい取り調べと独房での孤独な日々は108日も続きます。この日本の長期勾留は「人質司法」と悪名がつく厳しいもので、環境に負けて不本意な自白をする人も多いものです。

検察
検察

トップで胡坐をかいているような人物はどうせすぐ自白するだろう

検察は甘くみていましたが、ゴーンは情勢不安のブラジルやビジネスの本場アメリカ、外国人に厳しい日本とどんな環境でも結果出し続けてきた筋金入りのビジネスマンです。

少々のプレッシャーでは屈しません。

そして、ゴーンは逆襲を始めます。

ゴーン元会長と共に逮捕されたグレゴリー・ケリーが2019年6月に「月刊文藝春秋」で西川CEOの不正を暴露しました。

それにより西川氏が株価に連動する報酬(SAR)を4700万円も多く受け取った事が発覚。

ゴーンを糾弾する立場の西川CEOが自らも私腹を肥やしていたことが明らかになったのです。

さらにケリー氏は、退職金の虚偽記載についても

ケリー
ケリー

なぜ私とゴーン氏に相談も議論もなく突然の逮捕に至ったのか? この件には関与したのは自身とゴーン氏だけではない 。

西川氏もサインをしており、突然2人だけ逮捕されるなど考えられない 。

つまり外国人だけが狙い撃ちされて、最高責任者にもかかわらず日本人の西川氏は逮捕されない不公平な処遇であると訴えました。

また、もともとゴーン被告の不正については、当時から取締役であった西川社長の監督責任が問われていました。

日産の歴史

実は、日産の創業の歴史を振り返るとほぼ20年周期で大きな内紛が起こっています。

独裁者があらわれ、独裁者を排除するために新たな権力者があらわれて、その権力者が独裁者になる。

1.創業者・鮎川義介
2.日産の天皇・塩路一郎
3.成功ブランドを潰した・石原俊
4.コストカッター・カルロスゴーン

カルロス・ゴーンは、子飼いである西川氏により、検察に売られてしまいます。そして、さらに歴史は繰り返します。

2019年9月9日の取締役会で西川CEOの辞任が提案されたのです!

発覚した西川氏の株価連動報酬の社内ルール違反を問題視され、辞任は全員一致で決定しました。

取締役会から辞任を求められた西川氏は次のように語っています。

西川社長
西川社長

きょう辞めろと言われるとは思っていなかった

ゴーンの元で忠実に汚れ仕事もこなし、日本人社員から嫌われながらもやっと社長の座に上り詰めた男のあっけない幕切れでした。

西川氏は20年どころか5年も経たない、たった2年で社長の座を追われることになります。

カルロス・Gone

カルロス・Gone

画像:飛行機の飛行ルートや時間を確認できるアプリ「Fligntradar24」で見れるゴーンの逃走ルート

密出国

2019年の大みそかとんでもないニュースが飛び込んできます。

カルロス・ゴーン被告がレバノンに国外逃亡したのです。

プライベートジェットの楽器ケースの中に潜み、まんまと出国検査をすり抜けたのでした。出入国管理の大失態です。

日本とレバノンは犯罪人引渡し条約を結んでおらず、身柄の引き渡しは絶望的です。

ゴーン
ゴーン

刑が確定する前から妻にさえ会えず、ルノーとも日産とも連絡がとれない。裁判は5年以上かかるという。

日本では公平な裁判が行われるとは思えない。日本の司法には絶望した。

倒産寸前の日産を見事蘇らせた天才経営者の日本での最後の一手は、日本の司法制度を見限っての「国外逃亡」でした。

最後に、ルノーと日産の代理戦争

ルノーと日産、両社の主導権争いは続きます。

日産はロビー活動によってフランス政府にゴーンの不正の詳細をリーク。また、ルノー内のゴーンの右腕の裏の報酬が暴かれた事でフランスでのゴーン擁護の雰囲気が消えたと言割れています。

資本の見直しをしたい日産。

最低でも現状維持をしたいルノー。

それぞれの国の威信を掛けた、代理戦争はこれからも続いていきます。

ただ、悠長なことを言っていられる状況でもありません。今、自動車業界は100年に一度の大変革の時期に来ています。

自動車の大変革CASE

Connected :つながる車
Autonomous :自動運転者
Shared    : 配車サービス
Electric    :電気自動車

車のスマホ化が進み、グーグルやアマゾン、ウーバーなどの巨大IT企業がライバルになりつつあります。

巨大IT企業は世界中から集めた顧客情報と豊富な資金を持っています。2017年の研究開発費をみると、日本では断トツ一位のトヨタよりのアマゾンが2.3倍、グーグルが1.7倍と多くの研究開発費を投じています。

トヨタの豊田章男社長は次にように語っています。

トヨタの豊田章男社長は次にように語っています

そんな存亡がかかっている変革期に、統合によるメリットで生き残ってきたルノーと日産と三菱自動車は離れたくても離れられない状態にはあります。

ルノー:利益の半分以上を占める、日産の配当がなくなる。自動運転などの技術が無くなることによる次世代開発での出遅れてしまう。

日産:ルノー43%の株が手放されたらオイルマネーや中国からの買収リスク発生、多数の共同プロジェクトが白紙になり次世代開発での出遅れてしまう。

良くも悪くも独裁力で3社のアライアンスを担ってきたゴーンの不在が、調整に手間取り、すばやい意思決定ができなくなるという事態を招いています。

逃亡したゴーンはレバノンで記者会見を開くなど、活動再開しています。そしてゴーンはまだルノーの取締役です。

ゴーンから逮捕直前の各政府の意向情報なども伝わってきています。

方向性の違い
フランス(ルノー):完全統合したい
日本(日産) :財団の設立(経産省管轄)
カルロス・ゴーン :ホールディングス(持株会社)設立

生き残りをかけた闘いの鍵を握っているのはやはり「カルロス・ゴーン」なのかもしれません。

生き残りをかけた闘いの鍵を握っているのはやはり「カルロス・ゴーン」なのかもしれません。

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ゴーン事件に興味がでたかたは別記事もチェックしてみてください。

次の記事では、日産の内部調査から始まる事件の経緯を時系列でまとめ、ゴーン事件の真相に迫っています。

次の記事では、ホリエモンが逮捕されたライブドア事件との類似点からゴーン事件をまとめています。

また、類似ケースであるホリエモンが逮捕されたライブドア事件を知るとゴーン事件がより見えてきます。

参考資料

本記事作成にあたり次のサイト・本を参考にさせていただきました。

◆書籍:
カルロス・ゴーン 国境、組織、すべての枠を超える生き方

日産vs.ゴーン 支配と暗闘の20年 おすすめ
20年以上自動車業界を取材してきた記者が長年にわたる取材(数十回のゴーンインタビュー、日産の従業員の意見)からゴーンの変貌と日産の歴史についてまとめています。長年取材した記者でないと書けない内容となっており重みがあります。

闇株新聞 the book

◆WEBサイト:
GHOSN(ゴーン)日本最大の司法取引:朝日新聞デジタル

市況かぶ全力2階建:カルロス・ゴーン

◆YouTube:
ホリエモンチャンネル:カルロス・ゴーン、行ってらっしゃい!

郷原信郎氏:ゴーン国外逃亡はわれわれに何を問うているのか

免責事項
  • 本カテゴリの記事は基本的に主人公寄りで書いています。
  • 極力資料に基づき記載していますが、会話の内容など一部脚色しています。

(おしまい)

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