世界3大バブルの一つ「ミシシッピバブル」。
このバブルは、他のどのバブルとも違い、たった一人の人物が引き起こしたと言われています。
その人物の名は、ジョン・ロー。
彼の評価は様々です。
- 近代金融の概念を作った偉大な金融家だった
- とんでもない詐欺師だ
- フランスを乗っ取ろうとしていた策略家
ジョン・ローの壮大な野望は当時のイギリスの人を熱狂させますが、最終的にはバブルと共に弾けてしまいます。
ミシシッピバブルはなぜ起こったのか
時代背景
18世紀のフランス太陽王と呼ばれたルイ14世による絶対王政の時代、国民総生産の1.5~2倍という大きすぎる借金を抱え、フランスの財政は危機的状況に陥っていました。
- フランスの芸術&文化活動の象徴であるベルサイユ宮殿の建築
- ルイ14世を始めとする王族による浪費
- ヨーロッパの他国との戦争費用
国民が食べるものにも困るような悲惨な日常を送る中、王の側近や摂政では、賄賂や不正が日常的に行われ、政府は完全に腐敗しきっていました。
フランスの財政破たん寸前の状況の中、ルイ14世が死去。
5才で国王になったルイ15世がフランスの舵取りをすることになり、これまで太陽王の元で我慢していた国民の不満が爆発、国王の像が叩き壊したり街で暴れ出しました。
「打つ手がない。。。」
ルイ15世や摂政が困り果てていたところに現われたのが、後に天才ともサギ師とも評される「ジョン・ロー」でした。
ジョン・ロー
ジョン・ローはずば抜けて頭がよく、優秀な人でした。
硬貨だけで紙幣を使わない国は商業国として極めて不適切である
と進言し、世界中がお金として金貨や銀貨を使うのが当たり前だった中、今のように紙幣をお金として使うことを提案しました。
そしてそれが採用され、ロー王立銀行で紙幣(王立銀行券)を発行し、金貨や銀貨でなく紙幣を通貨として採用。
王政が認めていた硬化が激しく価格変動していた中、この紙幣は価格を維持していたため、国民から信頼されるようになり経済が安定しました。
こうして、ジョン・ローはルイ15世や宮廷だけではなく、国民からも敬愛される財政家としてその名を知られるようになるのです。
ジョン・ローのミシシッピ計画
それをきっかけにジョン・ローは前から温めていた計画を実行することにしました。
ミシシッピ会社という「アメリカのルイジアナ州との独占貿易権」を有する会社設立を提案します。
当時フランスの植民地であった今のアメリカのミシシッピに、大量の金銀財宝が埋まっており、異国と貿易することで莫大な利益が見込めると熱弁。
政府は、ローにミシシッピとの貿易権を独占付与された会社として、ミシシッピ会社を作る許可が与えられました。
ジョン・ローは「夢のミシシッピ会社の株」を、宝クジのように一般国民に向けて販売、大人気となりました。
船団がミシシッピから金銀財宝を持ちかえれば、株券は何倍にもなるよ!
しかし、このミシシッピ計画にはジョンローの隠された目的がありました。
それは、
ジョン・ローによるフランスのっとり計画だったのです。(※諸説あります)
ジョン・ローの陰謀
ローは国にお金を貸しているという証明書の国債を、人気のミシシッピ株と交換させることに成功。
これにより、膨らんでいたフランスの借金を肩代わりすることになり、ルイ15世や宮廷には喜ばれます。
しかし、借金を肩代わりすることにより実質的に国の財政を握り、最終的にはフランスという国の乗っ取りを目論んでいたいのです。
ミシシッピ会社の株価は跳ね上がって、最初に売りに出した株だけでは不足し、株をどんどん発行。
株を持っている人相手に株を担保にお金を貸し、その結果紙幣もどんどん増えました。(硬貨の量はかわらない)
最初は国民の人が持っている金貨と銀貨以上の銀行券は発行してはいけないと固く禁じていましたが、ルイ15世や摂政から圧力が凄まじく、金貨と銀貨以上の銀行券を発行するようになっていきました。
いい事ではないが、乗っ取りのペースを上げるためにも、紙幣を発行するか....
そして紙幣がどんどん増え、金融緩和状態となっていきました。
ミシシッピ株への熱狂
金融緩和状態の影響もあり、ミシシッピ株はどんどん上昇します。
ミシシッピ株の株価は、売り出し当初1719年から1年足らずの1720年頭にはなんと20倍にも跳ね上がって行きました。
貧乏人から、国の役人&お金持ち、果ては神父さんまで株の売買に関わっていない人はいなくなっていました。
みんな株で儲けていたため、首都のパリでは、かつてないほど豪華なオブジェがあふれていて、彫刻や絵画、タペストリーが海外から輸入され、あっという間に完売するほどです。
フランス国内で、豪華な服やその生地、パン屋肉野菜などの食料品の価格までとんでもなく上がりました。
それに釣られて、フランス国内で働く人のお給料だけではなく、フランス全土の住宅価格も上がり建築ラッシュ。
1720年まではこのシステムも上手く回っていました。
過剰に紙幣を増刷すれば、国はいずれ破産に追い込まれるぞ!
そんな事はわかっている!
ちゃんとコントロールしているから大丈夫だ
高等法院から危険性を指摘されていましたが、無視していました。
しかし、1720年の初頭、ミシシッピ会社の新株購入を断られたある貴族が怒り、持っていた銀行券や株をローの銀行ですべて金貨や銀貨に換金しまう事件が発生。
そして...
ミシシッピ株の株価は大暴落することになります。
ミシシッピバブル崩壊の原因
1720年の初頭になると、ありえないほどの株価上昇に不信感をもっていた株式の仲買人などが、ローの銀行券やミシシッピ株を金貨や銀貨に変えて海外に持ち出すようになっていました。
それが普通の市民まで波及してくると、銀行は紙幣と金貨&銀貨の交換を制限、金貨と銀貨に自由に交換できないことにあちらこちらから不満の声が上がるようになります。
おい!話が違うぞ
ウルサイ!私の紙幣が唯一のお金だ
1720年5月、ローはこれを見て、ついに「正貨である金貨や銀貨の使用を完全に禁止」
このせいで、いよいよ銀行券の信用は地に落ち、それに伴いミシシッピの株価は暴落。
わずか半年で株価が20分の1になってしまいました。
バブルがはじけて、ミシシッピ株を買っていた国民の生活はどん底に落ちてしまいます。
あと少しで乗っ取り計画が完成していたのに ...
最終的には流通していたローの銀行券の量は、「正貨である金貨や銀貨の2倍以上の量」になっていたそうです。
ちなみに、ローはミシシッピ計画でフランスがヨーロッパ一の富裕国になることを最後まで信じていたと言われています。
その証拠に、ローは他の汚職にまみれた役人と違い自分の全財産をフランス国内に投資していました。
当時は詐欺師の極悪人としてヨーロッパ中に知られていたジョン・ローも、現代においては近代金融の概念を作った偉大な金融家として知られています。
ミシシッピバブル崩壊を察知することはできたのか?
この時代に投資をしていたとして、どうすればミシシッピバブルで失敗(破産)しなかったのでしょうか。
まず、アメリカ新大陸のミシシッピに金銀財宝がたくさんあると言うデマ、これを疑う事ですね。
ただ、その時代にいて疑うことができたのか.....
次の記事では過去の8つのバブルの分析し、対策をまとめていますので、参考にしてください。
3大バブル最後の一つ
さて、次にバブルが起きたのはイギリスです。
このバブルは、バブル言葉の起源となった「泡沫会社」により起こります。
バブル関連記事一覧
参考
本記事作成にあたり次のサイト・本を参考にさせていただきました。
(おしまい)