本記事は、宇宙の話題で必ず出てくるアポロ計画が「壮大な嘘だった」との噂についての検証記事です。
- アポロ計画が始まった背景
- アポロ計画の6つの疑惑
- 6つの疑惑への反論
長年疑惑を信じていたかた、この記事を読めばすっきりしますよ。
では、まずその背景からお話します。
アポロ計画が始まった背景
第二次世界大戦後の1945年以降、戦争は終結したものの、アメリカとソ連は対立し、冷戦が続いていました。
そんな中、1957年10月4日にソ連が世界初の人工衛星「スプ―トニク」を宇宙に打ち上げたのです。
それまで自国が宇宙開発の最先端であると考えていたアメリカはショックを受けます。
そして、威信を取り戻すためにあるプロジェクトをスタートさせます。
それが、アメリカ人を月に送り地球に帰還させること、つまり「アポロ計画」だったのです。
当時の大統領ジョン・F・ケネディは、1962年9月12日に国民へ向けて行われた演説で国民に宣言します。
演説の“We choose to go to the moon(我々は、月に行くことを決めました)”のくだりは有名です。
会場であるライス大学のライス・スタジアムは大歓声に包まれました。
アポロ計画
アメリカ航空宇宙局(NASA)による人類初の月への有人宇宙飛行計画は、1961年から1972年にかけて実施され、全6回の有人月面着陸に成功します。
特にアポロ11号による人類初の月面着陸は、全世界人口の五分の一がテレビ中継を通じて見守ったと言われています。
ただ、このアポロ計画の月面着陸の成功は、すべてアメリカのウソだったのではないかとの説「アポロ計画陰謀論」があります。
アポロ計画はアメリカの壮大な嘘だった
アポロ計画はすべてフェイクで、月面着陸の映像はすべて地球のハリウッドで撮影されたものだったのではないかと言うのです!
- 月面で撮影されたはずの写真なのに、空に星が写っていないのはなぜか。
- 月面は真空であるはずなのに、写真や映像に写っているアメリカ合衆国の国旗(星条旗)がはためいているのはなぜか。
- アポロ11号でアームストロング船長が月面に最初の一歩を印そうと梯子を降りていく映像が無人のはずの月面から捉えられているのはなぜか。
- 宇宙飛行士の背中の箱に、飛行士を吊り下げるワイヤーらしきものが見える。
- アポロ計画の後、アメリカが地球軌道より向こうへ人類を送っていないのはなぜか。
- 米アポロ計画の貴重なデータを記録した磁気テープの原本700箱分も行方不明[28]になったのは、何かの隠蔽工作ではないのか。
いかがですか、私もこれらの噂を聞いていて、「もしかしてウソだったのかな」と思っておりました。
アポロ計画陰謀論への反論
どうやら当時テレビのパロディやネタ映像で「アポロ計画陰謀論」と言う企画があり、製作者も本気ではなかったようです。
しかしそれがねじ曲がって伝わり、これらの疑惑を生んでいる元になっているようです。
また、その後の検証で以下のような反論もされています。
- 星が写真に写っていないのは、撮られた時間が月の昼間に当たる時間であり、太陽光が当たって輝いている地表に露出を合わせているからで、写っている方がむしろおかしい(地球上でも天体写真を撮る際には、星に露出を合わせなければ撮れない)。
- 星条旗を地表へねじ込むときにポールを動かすので、真空中でもその反動で旗は動く(映像では、ポールに触れてしばらくの間しか旗が動いていない)。真空中では空気の抵抗が存在しないため、地球上よりも旗が動きやすいし、一度動き出した旗はなかなか止まらない。宇宙飛行士は格好よく見せようとあえてそれによって生じたしわを伸ばさなかったため、写真では飛行士が触っていない旗もまるではためいているかのように見えている。なお日本ではアポロ着陸前に、ワイヤーが旗に仕込まれているという報道が読売新聞(昭和44年7月5日発行)に掲載されたが、その報道内容は事実と異なり、実際には伸縮式の水平材でナイロンの旗面を上から支える設計になっていた
- 11号の月着陸船には、まさにその映像を捉えるために昇降梯子の横のMESA装備収納ハッチにテレビカメラが装備されていた。
- フィルムの傷かアンテナのようにも見える。いずれにしろ吊り下げるには重心から外れている。
- 当時は冷戦下であったため、ソビエト連邦への対抗という目的(「宇宙開発競争」)のためには、無謀に見える行為を正当化することも、膨大な予算を用いることもできた。アポロ計画に用いられた予算は、約254億USドル(現在価値で1,350億ドル、日本円だと13兆円から14兆円)である。同計画が途中で打ち切られたのも、予算の問題が大きかったこと、月面探査の結果から予算に比して得るものが少なかったことによる。また2004年にジョージ・W・ブッシュ大統領が2010年代をめどに再び有人宇宙船を送る計画(コンステレーション計画)を立てたが、次代のバラク・オバマ大統領の代で計画は中止された。これは研究の軸足を長期的な技術開発に移すためであるとされている
- 行方不明となった記録テープは、その後オーストラリアの大学で発見されており、隠蔽工作ではなく管理がずさんであっただけである
ちなみにホリエモンは次のように言ってます。
何バカなこと言ってるんだ、行ったに決まってるだろ
(おしまい)