現在、芸人・絵本作家として注目を集めている西野亮廣さんの。19歳でキングコングを結成してからの歩みは決して平坦なものではありませんでした。
感情曲線でみるとこんな感じです。
西野さんは物語を作成する上で、主人公の感情曲線を大事にしているそうですが、自身の活動も視聴者を魅了する見事な感情曲線となっています。
そんな波乱万丈のキングコング西野亮廣さんの歩みを相方の梶原さんの事件なども絡め、時系列で追いかけてみました。
ぜひ最後までお付き合いください。
19歳で芸人になるまでの生立ちについては別記事「西野亮廣の生い立ちや家族 」でまとめています。
躍進期 (1999年~2009年)
最速出世
1999年、高校を卒業した19歳の西野さんは、NSCという吉本の養成所に22期生として入所します。
そこで出会ったのが梶原雄太さん。
最初は2人とも「グリーングリーン」「NINNIN丸」と違うコンビを組んでいたのですがしっくり来ていませんでした。
お互い気になっていた2人は一緒に遊ぶうちに意気投合し、キングコングを結成することになります。
そこから大躍進がはじまります。結成5カ月でNHK上方漫才コンテスト最優秀賞を受賞、その最速記録はいまだ破られていません。
その後も数々の賞を総なめにしたキングコングは、1年間かけて行われるフジテレビのナイナイの次のスターを作るための新番組のオーディションに参加します。
2001年20歳、全国の若手芸人を押しのけて見事レギュラーを勝ち取ったのが「はねるのトびら」(当時深夜)です。
キングコングはこれを機に東京に進出します。
同年、芸歴2年3か月と異例の速さでM-1の決勝進出、7位の成績を残しています。
先輩を抜き去り、順調に出世していくのですが、そのころ関西の劇場にいた芸人はそうそうたるメンバーでした。
ブラックマヨネーズ、フットボールアワー、チュートリアル、ロザン、笑い飯、麒麟、千鳥、友近
また、当時完全に突き放した22期生の同期も豪華です。
NONSTYLE、南海キャンディーズ、ダイアン、ウーマンラッシュアワー、とろサーモン、なかやまきんに君、スーパーマラドーナ、平成ノブシコブシ、ピース
参考:ブログ「もしもキミが面白いことをやりたいのなら… by キンコン西野 」
出世が早いことで、これらの芸人の妬みや「やっかみ」の対象となり、キングコングを苦しめることになります。
突然の活動休止
順調に人気を獲得していったキングコングでしたが限界がきていました。
高校卒業からまだ2~3年で積み上げた物がない中、才能もキャリアもある他のお笑い芸人と比べられ「エリートなのに面白くない」と言われることも多く、徐々に疲弊。
2003年2月、相方の梶原さんが失踪、突然の活動休止となります。
休止期間中、「相方の戻る場所がなくなる」とピンでの活動を控えていた西野さんは、ずっと家に籠ってテレビを見ながらネタ作りをしてました。
ずっと忙しく人気芸人として活動していたのが急に家でやることがない生活、地獄だった。
一方、失踪した梶原さん、無事見つかったのですが、もう芸人を辞めると決めていたらしく、自由を満喫していました。
- 中型バイクの免許を取得
- 結婚(2004年4月に離婚)
- ボウリング場に通いプロ並みに上達する
ところがある時、母親から西野さんは活動を控えて待っていることを知り、西野さん一人活動していると思っていた梶原さんは衝撃を受けます。
急いで西野さんに誤りいき、なんとかコンビ復活したのでした。
この時の様子はYouTubeカジサックの部屋「キングコング西野さんが部屋に来てくれました」で語られています。
キングコングが全国区の人気を得る
復活したキングコングは再び出世街道を驀進。
2003年9月、笑っていいとも!の隔週レギュラー獲得、その他のメディアへの露出も増えていきます。
2005年10月には『はねるのトびら』がゴールデンタイムに進出、視聴率20%以上を連発する人気番組に、キングコングの知名度は一気に上がりトップタレントの仲間入りを果たします。
テレビのレギュラーも増え、誰もがうらやむ人気絶頂の仲、西野さんは違和感を感じていました。
思ったほど、人気者になっていない
西野さんの転機
環境や状況は申し分無いはずなのに、人気を得ている手ごたえが薄い。
テレビで露出や視聴率は得ているが、キングコングで単独ライブすると人を集めるのに苦労する状態。
世間の認知を得ているだけで、本当の人気は得ていない。このままの活動を続けていたのでは、タモリ、さんま、たけし、ダウンタウンなどの大御所は追い超せない。
西野さんは別の道を模索、タモリさんの「お前は絵を描け」との助言を得て、絵本作家となる事を決意します。
世界戦略を見据えてジャンルを選んだ結果、翻訳が容易で、毎年生まれる世界中の子供がユーザとなる絵本に挑戦することにしたのです。
この批判があっても「ブルーオーシャンで闘う」は西野さんの戦略のベースとなっています。
漫才のテンポよく進めるスタイルも、当時主流だったダウンタウンの影響によるボソッとセンスある事を言うスタイルから、誰もいないフィールドで勝負したほうが目立つと考え確立したものでした。
当初「なんであんなに忙しいんだ?」と先輩などからの批判がありましたが、見事結果を出しています。
この時、相方の梶原さんとマネージャーに「テレビ辞める」と宣言。
人気絶頂の中、他の番組へのゲスト出演などの活動を断ることでできた時間で、コツコツと絵本作成作業を始めます。
順調な芸能活動
プライベートでは、2006年に梶原さんが読者モデルだった園田未来子さん(後のヨメサック、当時21歳)と再婚と順風満帆。
裏では絵本作成を始めますが、タレント活動の手を抜いていたわけではありません、世間的には「キングコング」のタレント活動は順調そのものでした。
他のフィールドに軸足を移したことを誰に文句言われないように漫才でも結果を出す
2007年には3年ぶりにM-1に参加すると、決勝進出をはたし惜しくもサンドウィッチマンに敗れるものの3位の成績を収めます。
2008年のM-1は梶原さんが「優勝を逃せば離婚」と意気込んでのぞみますが、8位に終わります。(優勝は同期のNON STYLE)
翌2009年のM-1ラストイヤーは準決勝敗退。結局M-1とは縁がありませんでした。
絵本作家デビュー
2009年1月、約5年の月日をかけ制作した最初の絵本『Dr.インクの星空キネマ』を発売、翌年2010年には2作目「Zip&Candy -ロボットたちのクリスマス』を出版します。
発行部数はいずれも2~3万部。
5千冊でヒットと呼ばれる絵本の中ではヒットとなりますが、人気芸人西野の次の活動の主軸とするには決して満足できる数字ではありませんでした。
炎上期 (2009年~2016年)
勢いに翳りが出始める
2009年後半あたりから「はねるのトびら」の視聴率が低迷していきます。新規のテレビも断っているので露出も減り、人気も徐々に下降。
2011年頃、右肩下がりのなか「えんとつ町のプペル」のストーリーを書き始めます。
2012年頭に後に映画の元となる長いストーリが出来上がると、サンリオピューロランドで同期のNONSTYLEの石田さんと舞台化、客の反応を見てストーリーをブラッシュアップ。
後の逆襲の種をまき始めます。
ただ、逆襲はまだまだ先の話、ここから日本中から嫌われる「炎上期」が始まります。
炎上&低好感度芸人へ
2012年4月、相方の梶原さんの年金不正受給問題が発生。キングコングの好感度は地に落ちます。
それがとどめを刺したのでしょうか。2012年9月、11年続いた「はねるのトびら」が視聴率低迷を理由に終了してしまいます。
2012年11月には、禁じ手・最終手段とも思える「タモリさんの原案」による3冊目の絵本『オルゴールワールド』を発売します。
ここで絵本への路線変更を強烈にアピールしたかったハズです。しかしこれも2~3万部で大ヒットとはなりませんでした。
中々認められない焦りからか、Twitterの発言による炎上事件が増えていきます。
- 2012年11月 千原ジュニアを批判ともとれる投稿で炎上
- 2012年12月 「ひな壇に座らないと決めました」と投稿し、大バッシングを受ける
- 2013年02月 放送作家・鈴木おさむの著書「芸人交換日記」に対し批判的なツイートをしたことで炎上
元々、芸人が他の事をすることを叩く風潮もあり、芸人なのに絵本を作っている西野さんは、度々批判されていました。
そこに、過激ともいえる発言と反対意見を言った人に対する粘着質な対応から、すっかり「低好感度炎上芸人」のイメージが定着していしまいました。
テレビでも、2013年11月のアメトーークの「好感度低い芸人」、2014年02月のゴッドタンの「マジギライ1/5」など本当の嫌われ者として取り上げられていましたし。
当時の映像をみると、司会者や共演者からの当たりが結構きついです。
タネをまき続ける
そんな中でも、西野さんは地道な試行錯誤を繰り返し、着実にファンを増やしていました。
当時誰も知らなかったクラウドファンディングで、585人から530万円の支援を得ることに成功、2013年02月にニューヨークで個展を開きます。
また、チケットの2000枚を手渡しで1年かけて販売し、日比谷公会堂にて独演会を開催。
映画化を目指して絵本「えんとつ町のプペル」を描き始めたのもこの頃です。
コンビの活動としては、2013年08月にYouTubeチャンネル「毎日キングコング」の配信をいち早く開始しています。
ただ、炎上も止まりませんでした。
2014年04月の「フォロアーを買う事件」、2014年11月の「差し入れ拒否」発言など世間を騒がし続けます。
2015年07月の岡村隆史さんが「27時間テレビ」での「ひな壇出ろよ」発言をキッカケに大炎上、西野さんの嫌われ度は頂点に達します。
風向きが変わってくる
炎上は続いているのですが、西野さんの活動に数字を伴った成果が出始めます。
- 2015年04月、「えんとつ町のプペル」の分業のための費用支援をクラウドファンディングで募り、3293人から約1000万円の支援を得る。
- 2015年08月、にしのあきひろ絵本原画展 in おとぎ町ビエンナーレを開催し、1万人を動員
- 2016年08月、 独演会のチケット手売りで前年の倍以上の4500人を集める
- 2016年08月、ビジネス書「魔法のコンパス 道なき道の歩き方」が10万部のヒット
- 2016年09月、「えんとつ町のプペル展」のための、クラウドファンディング、6257人から約4600万円の支援を得る。
ニューヨークの個展の頃から、「人を巻き込み、体験をコンテンツとする」が西野さんの基本戦略となっていきます。
その最たるものが2016年02月に始めたオンラインサロン「おとぎ町商工会(現・西野亮廣エンタメ研究所)」
メインコンテンツは、毎日投稿される西野さんの記事なのですが、リアルタイムで西野さんの活動が追え、たまに生配信や参加企画などが開催され、サロンメンバーは西野さんと活動しているような体験ができる。
会員数は順調に増え、いつのまにか「日本最大」となり、西野さんの活動の資金源となっています。
2015年10月に炎上の元だとTwitterを辞める宣言をするのですが、発信がブログに移っただけで炎上体質は変わりません。
ところが、実績が出てきたことから世間の風潮も徐々に変わっていきます。
2016年10月のアメトーク企画は「凄いんだぞ!西野さん」です。
芸人なのに絵本、アンチが多いことを揶揄する笑いは継続しているのですが、その中にも実績を認める内容が混ざり始めました。
ゴッドタンでは、実績はあるがアンチが多い西野さんを「服を破いたり」「肛門を責めたり」で貶める路線が大当たり、お笑い芸人としても再評価されます。
ゴッドタンで肛門をいじりされたころから、世間の風向きが変わり、西野革命のファンファーレが鳴り響きます。
2016年12月、めちゃイケ番組企画で、ひな壇の件で確執のあった岡村さんとも和解します。
逆襲期 (2016~)
絵本「えんとつ町のプペル」のヒット
活動は評価され始めますが、やはり本業としいている絵本でヒットがないと様になりません。
そんな中、ついに2016年10月21日に発売した4冊目の絵本「えんとつ町のプペル」が大ヒットします。
累計発行部数は2021年1月時点で65万部にもなります。
分業制で作ることで作品自体のクオリティが上がったこともありますが、最大の理由は西野さんが仕掛けた販売戦略。
一つ目がクラウドファンディングやオンリンサロンで「人を巻き込み、体験をコンテンツとする」ことで、ファンを増やしたこと。
2つ目が「分業制」「クラウドファンディングで資金集め」「Web無料公開」など斬新な試みでニュースを自ら作り、「メディアによる記事」だけでなく「反対するアンチの声」で爆発的な広告効果を得たこと。
この頃から炎上の中に「斬新な手法を受け入れられない人とのバトル」というパターンが出始めます。
そして炎上するが西野さんが結果を出して正しさを証明するというケースが増えるにつれ、世間が「あれ?」と思い始めます。
ビジネス書の第2弾「革命のファンファーレ」、第3弾「新世界」もヒット、LetterPot、しるし書店、「ホームレス小谷さんの活動」など斬新な試みも話題になり、起業家としも評価を受けるように。
さらに、渋谷のごみ拾いあたりから始まった慈善活動も評価されます。2018年1月「はれのひ事件のリベンジ成人式」、2018年1月「ラオスに「小学校建設」発表。
コンビとしても復活
不正受給騒動以来、瀕死の状態だった梶原さんが2018年10月1日にカジサックとしてYouTuberデビュー、2019年07月11日に登録者100万人、2020年05月16日に200万人を突破するなど人気を獲得し、芸人YouTuberの先駆者としての地位を確立。
コンビとしても勢いを取り戻します。
そして2020年12月25日、「えんとつ町のプペル」の映画が公開、動員140万人(2021年2月)を超える大ヒット。
海外40か国以上からのオファーも来ており、文句のつけようがない成功を手に入れています。
「信者ビジネス」など定期的にアンチの声はニュースになりますが、ここから1~2年は映画での躍進のニュースからの「西野さん再評価」の流れは止められないように思えます。
西野亮廣の先を見通す力
炎上期の真っただ中の2014年9月、DIAMOND onlineの記事「嫌われるよりも好かれない方がコワイ」で次のように語っています。
もちろん、好かれたいという気持ちはありますよ。なるべくなら全員に好かれたい。ただ、最終的には好かれたいんですけど、それは急ぎじゃないんですよ。5年後でも10年後でもよくて。その代わり、好かれるときはちゃんとした好かれ方がいい。自分のやってること、作ってるものをいいって思ってもらえたらそれがなによりですね。
すでに現在の成功を見通していたような発言。
西野さんの未来を設計して、そこを信じて地道に活動する力は本当にすごいですね。
今現在も進行形で様々な未来のための施策を打ち続けています。
- 兵庫県の地元に「えんとつ町」を作る、町を作ることをエンタメ化する。
- 現実と物語の境界を曖昧にする
- 世界展開を見越したプペルのミュージカル作り
- えんとつ町のプペルの3年後の物語の作成
「えんとつ町のプペル」の絵本と映画の大ヒットという基盤を手に入れた西野さんに死角はないように思えます。
ただ、最初に触れたように感情曲線を大事にしている西野さんですので、今後なにか大きな挑戦をして物語を盛り上げるはずです。
今の西野さんだと相応大きな物でないと挑戦とはならないでしょう。
何が出てくるのか今から楽しみです。